幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
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特別史跡・古代の防衛施設「水城跡」

2024-05-29 | お城

「大宰府」周辺のイラストを見てみると、大宰府を挿むように大野城と基肄城(きいじょう)があったことが分かる。

そして、博多湾から大宰府に向かう、平地の狭くなった部分を遮るように「水城(みずき)」があったことも分かる。

水城は、日本書紀に書かれている内容から664年に築かれたことが分かる、古代の防衛施設だった(土塁と濠)とのことである。

 

大正時代に建立された「水城大提之碑」

 

「東門」のあったところに残る礎石。

 

東門の近くには「水城館」があり、ビデオなどで水城について知ることができる。

その前の広場には、大伴旅人と児島の別離の時に詠まれた歌が刻まれている。

「凡ならば かもかもせむを 恐みと 振り痛き袖を 忍びてあるかも」 児島

「ますらをと 思へる吾や 水茎の 水城のうへに 涙拭はむ」 大伴旅人

 

水城館の脇から、展望所に登ってみる。

 

県道112号線の向こうに見える、こんもりとした森が水城跡。

 

水城の構造は、土塁と両側に掘られた濠でつくられていて、約1.2kmあり東西に門があったという。

発掘調査の結果では、土塁の高さは10m、外濠は幅は最大80m、深さ4mあったと推定されている。

長い年月の間に土塁には草木が茂り、濠は土砂で埋まったようだ。

 

土塁の上にのぼってみると、雑草や、大小の樹木がうっそうと茂っている。

 

外国からの侵略を恐れた国が大宰府を移し、水城を造り大野城を築きその防備を固めたという。

素人ながら観光マップと資料を読むと、確かに地形を生かした良い位置にあるように思える。



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