今回の「日本百名城を巡る旅」は、岩国城、津和野城に次いで「萩城」が最後の目的地となる。
前日泊った津和野から萩へは、1時間40分ほどバスに揺られて移動した。
まずは「萩城跡」へ。
桜も開花し、良いタイミングであった。
二の丸南門のあったところでは、毛利輝元公の銅像が迎えてくれる。
二の丸を抜け、内堀に架かる橋を渡ると「本丸」となる。
向こうに見えるのが「指月(しづき)山」で、本丸はふもとに築かれていて、萩城跡(又は指月公園)として整備されている(入場するのは有料)。
天守台の石垣がその姿をそのまま残していて、この城跡の中で一番のビューポイントだといえるであろう。
それほど高くはないが隅石のカーブが柔らかい曲線を描き、全体に安定感のある形である。
惜しいことに、明治になって天守は解体されてしまったが、5層の堂々たる天守が建っていたという。
天守台に残る礎石。
本丸の奥に「志都岐山神社」という神社がある。
神社に向かう万歳橋の脇には、「ミドリヨシノ」という珍しい桜が咲いていた。
ガイドマップには、この桜は県指定の天然記念物とある。
萩城跡のあと、萩の城下町を歩くことにした。
この一帯は、往時の屋敷、門などが数多く残されていて、幕末にタイムスリップしたようである。
「古地図を持って歩いても歩けるほど昔と変わっていない」と何かで読んだ気がする。
偶然、「木戸孝允旧宅」の前を通った。
このように、あちらこちらに歴史に名の残る人物にゆかりの住宅などを見ることができる。
ここは藩の御用をつとめた菊池家の豪邸で、入口は「御成道」に接している。
建物や庭園をはじめ、古文書、美術品など保存されているものが展示されている。
米蔵があっても驚きはしないが、お金を保管するための大きな「金蔵」には驚いた。
その他、萩では外せないポイントがいくつもあるが、時間の制約もあり、「萩・明倫学舎」と「松陰神社」を巡った。
萩の藩校であった「明倫館」。
幕末・維新の歴史を、科学・工業の側面からみられる「幕末ミュージアム」をおもしろく見学した。
もう一か所が「松下村塾」。
松陰神社の鳥居をくぐり真っすぐ進むと「松下村塾」がある。
この小さな塾では、維新に活躍した優秀な人材、伊藤博文、高杉晋作、久坂玄瑞、等々が学んだ。
見学するのにも、なんとなく背筋が伸びる。
萩市の移動には、便利な「まぁーるバス」があり、主な観光スポットを周ることができる。
バスをうまく利用しながらも、やはり萩の町は歩いてこそ良さが分るように思う。
曇り空で、時々雨が降るあいにくの天候だあったが、なぜか歩いている時には雨が止んだ。
今回もまた、「晴れ男」の名誉?を保てた旅であった。