yukarikoの好きなもの
旅の写真や思い出
PCでの雑感を並べました。
 






祇園祭も天神祭も終わって明日は7/31、もう一日で八月。
でも猛暑の日々がまだ40日ほど続くと思うとうんざりですね。

上の写真は祇園祭に四条駅構内に飾られていた生花です。
7/17の祇園祭撮影後、観蓮会の行われている法金剛院を訪ねたので
その様子をフラッシュでご覧下さい。下はJR花園駅と法金剛院の周辺地図。




法金剛院…待賢門院璋子が平安時代末に建立。
もとの寺域は広大で、双丘や北山を借景にし自然の池を利用した池、広い苑池を中心に
西に西御堂、東に女院の御所、南には南御堂、北斗堂、三重塔、経蔵等の建物があり、
川水を引いて滝を造ったりと、境内は壮麗なものだったようです。
今はJR山陰線に南北に分断され、境内は北部のみとなってしまい
青女(せいじょ)の滝だけが法金剛院創建当初の遺構です。




上の「揺れる蓮」の絵をクリックしてflash「法金剛院観蓮会」にお入り下さい。

「待賢門院璋子」については下にリンクしたsakuraさんのブログに詳しく載っています。
百人一首の「黒髪の…」の作者「待賢門院堀河」と「西行」の交遊を表わした
和歌もアルバムの形でこのフラッシュの下に載せました。


※法金剛院の説明は
sakuraさんのブログ「平家物語・義経伝説の史跡をを巡る」からお借りしました。




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先日は弟「桃南」の細密画の部屋のTOPページを更新しましたが、
同じサイトのflashをお借りして、「ゆかりこの部屋」の絵を変えてみました。

画像は「船鉾」→「法金剛院の蓮」。メニューの桔梗も法金剛院のお庭で。

「ゆかりこの部屋」京都編はこのお盆休みに
御所の桜・祇園祭・大文字などに分けた構成で、UPしようと思っています。
画像と文とを纏め直すのに時間がかかります。

とりあえずはTOPだけ!下の白蓮の絵をクリックしてください。


祇園祭の帰りに「法金剛院の観蓮会」も行ったので、ブログTOPも「蓮」と
思いましたが蓮は他の方がいいお写真をUPされていますので遠慮を(笑)
その代わりにこの暑い23日に見に行った「余部鉄橋を走る電車」にしました。

幅があっても高さがないので、鉄橋の凄さが足りません。
…一眼レフや倍率の大きいカメラが羨ましい!


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上の写真は弟が河原町御池通で撮影した船鉾の辻回しです。

650*431でUPし、これを使って例会の暑中見舞をはがき・横で作成しました。
モニターの縦横比率が?でちょっと横長ですが…






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祇園祭の鉾巡行での白眉は四条河原町と河原町御池の広い交差点で
鉾が直角に向きを変える時です。

各鉾の車方が濡らした竹を直径2メートルの木の車輪の下に差し込み、
車輪の動く方向にも竹を敷いて、その上を掛け声と共に滑らせて向きを変えます。

背が高く重さが10~11トンもある鉾がギシギシ音を立てながらも
バランスを崩さず、早い調子のお囃子と鉾前の4人の音頭取りの扇子、
掛け声と大きな身振りに合わせて、ほぼ同じ位置で見事に方向転換します。

四条新町は各町内の鉾山が引いた籤順どおりにメーンの四条通に並ぶ為に四条通側と
烏丸通り側と二方に分かれて順を待つ場所ですが、鉾町から出てこの辻で
小刻みに向きを替えて並びます。
ところがこの辻が狭くて、鉾一基に切り替えしが3~4回あります。

ユーチューブでご覧頂く船鉾は船型で高さより幅と長さがあるせいか、
回る時もどことなく安定感がありましたが、それでもこの画像が最後の転回。

この後北観音山や南観音山(柳の枝をつけている)も辻回しを行いました。
○○○山と名前が付いていますが、どちらも形は鉾です。

辻回しの時は通常の倍の4人の音頭取りが声を揃えて扇子と大きな身振りで
曳子を動かします。

その度に10トン以上もある鉾がギシギシきしんで鳴って凄い迫力でした。
鉾の組み立てには釘は使わず、背の高い重い鉾全体が木の楔や縄で
留められているのですから揺れるときしみます。

…四条河原町と違って狭いから、その作業がホン目前で見られます。

ただ、大勢の警官や婦警さんも必死にカメラマンの飛び出しを牽制するし、
一度通行止めになると解除されるまでが時間がかかって、又頻繁にあるので
位置を確保してじっとしているのは大変でした(笑)

長時間カメラを頭の上に掲げて撮っていたせいか、今朝は右肩が痛かったです。


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珍しく祇園祭の日に休みを取ったので思い立って鉾見物に出かけました。

8時半過ぎに四条烏丸に着いたけれど一番の見所「籤改め」と
「注連縄切り」は既に黒山の人で入り込む余地はなし。

少し遠いけれど長刀鉾の会所前で待ち、稚児が男衆の肩に担がれて
(十万石の稚児は地面に足を付けない)
鉾の正面梯子に上がったとの声にカメラを長刀鉾の正面に向けました。

頭と帽子、差し上げられたカメラ、携帯で鉾の先しか見えません。
注連縄切りの場所は遠すぎ、聞こえる歓声と拍手に『切ったか?』




その後、ゆっくりと通り過ぎた鉾の上で
稚児が舞うのを動画に撮りましたのでご覧下さい。

対象は遠いしカメラの腕が悪いのに、ユーチューブはぼやけるのが不満

鉾と山の順番は商工会議所での籤引き、籤改めは当日市長が行司の姿で。

「籤取らず」先頭の長刀鉾の稚児は唯一の人間。
9歳の岡澤一規君が八坂神社で十万石の位を授かり、祇園祭の当日まで
精進潔斎の日々を送ります。

祇園祭の詳しい記事は下の鉾MAPをCLICK、「八坂神社」HPでご覧下さい。





下の地図はお土産に買った鉾MAPハンカチ。縦横の通りと各鉾が置かれた町内が一目で。

浄妙山はsakuraさんの「平家物語・義経伝説…」で書かれた「橋合戦」の記事に書かれた山!

順番が後から二番目なので絶対に見逃すはずがないと安心していたら
狭い四条新町の角で行われた、船鉾や南観音山等々の切返しで横断歩道が
長時間の通行止めになり、いつの間にか見逃してとても残念!





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「水に逆さまに写ったり水に揺れる作成ソフト」を習いましたが
『水だけ揺らしたい時はどうすれば?』と先生にお尋ねしました。

HPに載せる作品用はQponさんがHPに「水の揺らぎ開発ツール」
を載せておられます。




でもブログの画像で少し遊びたい時使える方法がないの?と考えました。

先生が「ブログの会」に作品をUPなさり「GIAM」とヒントを…。

GIAMは画像を動画に→反対に動画を画像に分解…本当に『目からうろこ!』

しばらく七夕のflashや弟の絵のTOPページ作成で時間がなかったのですが、
折角頂いたヒントなので、手近にある画像でチャレンジしてみました。
水遊び出来る浅いせせらぎが、揺れのせいで深い池のよう。

近景の岩が白いと岩まで揺れるので、影響を及ぼさない為に
上下の絵で岩の色が違います

ソフトで作った「揺れる水面」も並べましたが、サイズが不揃いで済みません
画面の切り取り方と角度を変えると又感じが変りますね(笑)

撮影場所は尼崎・近松公園(近松門左衛門記念館が正面奥に小さく見える)の池






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flash素材の変わった頁を教わったので、その素材を使って
弟の「桃南の細密画の世界」のTOPページを更新する事にしました。

今回、絵も2枚新しい物を送ってくれていたのでそれも一緒に並べてあります。

絵を描く時はその風景を写真に撮り、それを元にして描くのですが、
出来上がった絵は又違う雰囲気で、今回はTOP頁にその元写真を使いました。







上の二つのロゴはそれぞれ違うフラッシュで作った、
「tounan' miniature」のTOPページにリンクしています。
「enter」をクリックして入る頁は同じ「桃南の細密画の世界」です。

どちらがいいか、見てやってください!コメントでご意見をどうぞ!
追加した絵も見てね!

yukarikoはマウスで遊ぶ上の方が作っていて楽しかったのですが…(笑)


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※「織姫様」または一番下の「短冊飾り」をクリックして「flash七夕」をご覧下さい。


左は機物神社の「七夕祭復活30周年記念」の
キャラクター「織姫様」です。

正式には天棚機比売神(アマノタナバタヒメ)と呼ばれ
中国では西王母(中国古来の織物の女神)に
日本では織物をする→天照大神の役割かも!

秦氏が祀り、織物が盛んだったので
秦→機となって、機物(ハタモノ)神社と呼ばれる。


漢人・庄員が機織りの技術を伝えたその頃の交野ヶ原は養蚕技術を携えて渡来した
渡来民部族が支配し、北部の枚方(平方は鉄を延ばしたものを云う)一帯に
新しい技術と共に中国の道教思想なども伝わったようだ。

短冊に願い事を書くのは平安時代以降の風習で、これを燃やして煙として
天に届けるのは、道教寺院の道観でお札を燃やす風習を思わせる

平城京末期~平安初期桓武帝は17回嵯峨帝4回の行幸をし、他にも仁明・宇多帝と
平安貴族に鷹狩の遊びが流行し一大リゾート地となった。
在原業平も惟喬(コレタカ)親王の供をして惟喬親王の別荘渚の院で歌を詠んでいる。

渚の院跡は百済王神社と片埜神社のほぼ中間にある。

「狩り暮らしたなばたつめに宿からん 天の河原にわれはきにけり」
歌人で色好みの美男子が誰かに一夜の恋を誘っている!…それはさておき(笑)



機物神社と天の川をはさんで対面の高台地に
彦星・牽牛を祭っていた中山観音寺跡に
(南北朝期の戦乱により焼失)牽牛石がある。

七夕には、この牽牛と機物神社の織姫が
天の川の逢合橋で逢瀬を楽しんだと伝えられ
銀河に見立てた天の川に架かる橋は逢合橋

下流には天津橋や七夕の夜牽牛と織姫が逢う時
カササギが翼を並べて天の川を渡したという
伝説の橋カササギ橋が架かっている。
 (カササギ橋は枚方市)




flash「七夕」に使用したMP3-2曲をお借りしました。


※最初の「織姫」または下の「短冊飾り」をクリックして「flash七夕」をご覧下さい。


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昨夜は七夕、日中晴れたのに、夕方には薄いベールのような雲で
星はおぼろげにしか見えません。

でも下界からはベールの向こうでも年に一度の逢瀬に
胸を焦がす二人は晴れただけで嬉しかった?

私は「天の川」も分からないので「アストロアーツ」様の「星図」で
その方向を眺めました(笑)

※星図をCLICK→「アストロアーツ」のHPへ



6日の産経新聞の記事「すてきなところへ・七夕」の中で
大阪府交野市の七夕伝説にちなむあれこれが掲載されていました。


→その一部をご紹介すると…
地名の「星田」「天の川」「天野川」だけでなく、交野市には伝説にちなむ名が残る。

交野市倉治の機物神社(ハタモノジンジャ)の御祭神は「天棚機比売(アマノタナバタヒメ)」他。

交野では古代から渡来民の秦氏が住み(京都の嵐山付近と同じ)、養蚕、
機織りの技術が伝えられ、機織りが盛んで後世の河内木綿の元となったとか。

この神社の祭礼は7月6日が宵宮、7日が本宮で露店も多く出る。
ながらく途絶えていたのを宮司が昭和54年に復活、今年が30周年となる。
好ましいのはこの七夕祭が地域を結びつける要(カナメ)となっている事だ。

二千戸の氏子に短冊を配り願い事を書いて貰い、当日は40本近い笹が
境内に並び、願い事を書いた短冊を風に揺らす。

そして地元の婦人会、世話方が総出で支度や世話をする。
すっかり定着しあちこちから老若男女が訪れるようになった。…




朝から記事を読んで、牽牛と織姫が逢った「逢合橋」での七夕祭と
機物神社の宵宮の飾りを見てこようとバイクでひとっ走り。

七夕祭の詳しい写真は次回flashにまとめます。
今は現地の地図と逢合橋の七夕飾り、吊り灯篭を見て下さい。





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七月は暑中見舞の時期ですが例年何かで作っているので、

今年は違うやり方を…と手持ちの写真で簡単な

やり方をkazuさんと相談しました。





上は’07七月の津軽で。

下は昨日撮影してきた交野市天の川(ホントの地名)の

逢合橋(牽牛と織女の)七夕飾りを使いました。

機物神社の七夕祭は次回!




見本作品は同好会の頁にあります。
上の絵どちらかをクリックして「同好会のHP」へどうぞ!

手持ちの画像をどんな風な絵葉書に?…をお楽しみ下さい。


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