yukarikoの好きなもの
旅の写真や思い出
PCでの雑感を並べました。
 





「桃南の部屋」に新作を5点UPしました。
下の「本能寺の雪景色」もそのうちの一枚です。
私は前回の「八坂神社夕景」も好きでしたが、この絵もとても好きです。

下の舞妓さんの「祇園白川」ボタンをクリックして
「桃南の部屋」→「新作品」をご覧下さい。
桃南の部屋にリンクさせた彼のブログは「堀内の掲示板」…
毎月月初めの頃に更新しています。







京都市中京区寺町御池下ルにある現在の本能寺本堂は大修理中で
H24年3月迄は見られません。
この絵は修理前の本能寺本堂です。


「余談ですが、yukarikoは信長が光秀の謀反で亡くなったのは
今の本能寺の場所だと思っていました。
本能寺の中には信長の霊廟や共に亡くなった家臣の供養塔もあるので
ここだとばかり。
下に載せたアニメの信長公廟の写真は09.10の時代祭に撮影。

実際は本能寺の変で焼失した後、秀吉によって現在地に移転させられたと
先日弟からこの絵の制作裏話を聞いて初めて知りました。

信長のお墓は大徳寺総見院以外に八坂神社近く「ねねの道」の北の突き当り
大雲院にもあり、彼を祭った神社は先日訪れた船岡山の「建勲神社」です。
下のアニメと地図でご覧下さい。



元の本能寺は今の本能寺より南西に1.2KM離れた元本能寺南町にあり、
現在蛸薬師通油小路下ルには「本能寺跡」の碑が立っていますが、
跡地付近には京都市立堀川高等学校本能学舎と京都市本能特別養護ルームの
施設があるのみとか。知らないのも当たり前でした。

以前訪ねた和泉式部が初代住職だった新京極・誠心院や近くの
「女人往生の寺」誓願寺→秀吉の命で元誓願寺町より寺町へ移転…と同じでした。



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上の鯉のぼりは「パソコンアートクラブ」のA班のテキストを拝借し、
枠の青空と地面は「大人のお絵描き」を参考に同好会5月課題の
オリジナルの便箋に使う初夏用の挿絵を描きました。

下の同好会HPへのボタンの「てんとう虫とクローバー枠」は
「桜のフレーム」や「てんとう虫とクローバー」を参考に描いたものです。
枠付きの鯉のぼりをクリックして同好会HPにお入りください。




課題は「ワードで作る私好みの便箋」
講師はフーミン様
便箋は簡単に作れますが、
一筆箋はA4に3枚を設定するのが
面倒なのでパス。

代わりに可愛い動物や花の一筆箋の
テンプレートをDL出来るサイトと
一筆箋の描き方のコツをご紹介!

お気に入りをDLして楽しんで下さい。



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本日のお絵描きのテーマは「写真をトレースして描く2」
ワイングラスの写真を下敷きにその曲線をなぞり、そこにガラスらしい光沢を付け加えて
ワイングラスを完成させる(左側の絵)「頂点の編集」を使って嬉しいほど簡単に
グラスのカーブが描けました。
その絵に光沢を作って加えて行くとあら不思議!立体感が生まれます。
でも影や光を置く場所や大きさを間違えると不自然で先生の的確な指示がないと大変!
絵を描かれるフーミンさんの『筆で描く方がずっと楽!』に皆で大笑いしました。

全員同じ絵だけでは面白くもなんともないので違う写真を+して遊んでみました。
でもグラスの中に入れると光沢が邪魔で猫が見えにくいので光沢部分を少し減らし、
下の猫が写っているように見えても面白いかなと…。

孫のお供で行ったおもちゃ屋の「ガチャガチャ」に猫の置物「まんまるねこ」があり
とても可愛いので7種あるから欲しいのが出るかどうか分からないけれど200円を投資!
欲しかったのは「アメリカンショートヘア」で出てきたのは「スコティシュフォールド」
本当にまんまるで置物用の赤い台が付属。もう一度やってみようかな?






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TOPと下のアニメ画像は安満山の満開の桜の下にある沢山のお墓!
ここに来るといつも西行法師の有名な歌を思い出します。

「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」

自分の歌った歌の通り、お釈迦様の涅槃の頃に亡くなった西行程ではなくても
整然と並ぶ終の棲家のお墓の上に満開の桜!どの花よりぴったりな気がして。

我が家のお墓は昔の安満村墓地、高速道路の傍、北高の横にあります。
入口の六地蔵さんの上や古いお堂の傍の古木を初め沢山の桜にうっとりします。
すでに散り初めていたので今回画像はありません。
なにぶん広い場所なので画像もちょっと大きめです。(700*525×4枚)



大阪南部葛城山のふもと、広川寺にある西行法師のお墓(古墳)の周りには
その西行を慕い、西行の墓を発見した江戸時代中期の歌僧似雲が墓の周りに
桜の木を植え、西行堂を建てて、傍に自分の庵を建て暮したそうですが、
西行を慕う人達や広川寺の二代のご住職が近年山中に千本の桜を植えられ
「西行桜山周遊路」として整備されています。

…下の紫色の文字は2008.4.13に広川寺を訪ねた時の記事です。

この時はもう桜が散っていたし、山歩きの出来ない姑を待たせていたので
広川寺から山中に分け入った場所にある、西行のお墓を見ただけで帰りました。
それで今年こそもう一度行こうねと春前に主人と話していましたが天候不順で
満開の時期がはっきりせず、いい時に桜山周遊路を巡る事が叶いませんでした。

以前は西行の生きた時代を知らず、歌を聞いても『なるほどぴったり』(笑)
でしたがこの二年sakuraさまのブログ「平家物語・義経伝説の史跡を巡る」
西行自身も関わりのあった院・貴族・武士達がもがいて生きる様を読んで、
その波乱万丈の世を世捨て人として生きた彼に対する気持ちを新たにしました。

院政といくさの激動の時代を出家として歌を読みつつ漂泊の人生を送った
西行が崇徳院のお墓に詣でた話なども読ませて貰ったせいでかそれ以前より
生きた人間として感じられて…。

二年前はタグで画像を動かしましたが、目も悪くなり今は根気も続きません。
桜を撮ったら山里の春を他のやり方で編集し直してHPの大阪編にUPしようと
思っていましたが、満開の桜の写真は当分無理になり、墓地公園の桜を見て
彼の歌を思い出し、桜繋がりで記事を載せました。


※西行法師は1118年田仲の庄(現和歌山県那賀郡打田町)で武家の家に生まれ、
佐藤義清(のりきよ)という。
18歳のときに宮中に北面の武士として平清盛らと同じ鳥羽天皇の警護の職に就くが
1140年23歳の時無常を感じて出家する。
高野山、晩年には伊勢を本拠として諸国を行脚遍歴し、その足跡は東は陸奥から
西は中国、四国に及んでいる。
 最晩年の1189年弘川寺に来住。翌年1190年2月16日、桜の花の盛りの満月の夜、
弟子慈円らに看取られて、ここ弘川寺で73歳の生涯を閉じた。
述懐歌にすぐれ、新古今集には94首と最多歌数が採録されている。
家集に『山家集』『聞書集』『残集』『山家心中集』など。
…「ウイキペディア」より抜粋



西行法師が桜に囲まれて入寂された終焉の地「弘川寺」を
姑と主人の三人で訪ねました。

ここは大阪の南・富田林から金剛バスで40分、葛城山麓の静かな山里。
弘川寺は天智天皇の頃、役行者に開創された由緒ある古刹。
戦火で伽藍は焼失してもご本尊を始め貴重な寺宝は保存され、
近年二代のご住職の丹精で広い寺域、奥山も整えられています。


※画像下のサムネイルにマウスを置いてもらうと場所の説明が出ます。

弘川寺十ニ景
 < <弘川寺・山里の春 <桜山遊歩道の枝垂桜 <弘川寺本坊入口・奥が本堂 <隅屋桜を前景に弘川寺本堂 <元の隅屋桜は枯れ、後継の枝垂れ桜が境内を彩ります。 <天然記念物の海棠は樹齢350年華やかな色です。 <西行記念館前の桜の古木は葉桜、花びらが風に舞います。 <本堂脇を少し登ると西行堂・横手から本坊の桜が下に <似雲が見つけた西行の墳墓・周りは桜の広場です。 <本坊の客殿・春秋の風景写真が展示されています。 <桜が終わる頃花桃が満開! <もうあちこちに霧島ツツジが…! <

西行を慕う似雲法師を始め多くの西行ファンに寄贈された沢山の桜は
既に盛りを過ぎ、境内から墳墓や花の庵(似雲の庵)のある
裏山まではらはらとそこかしこに舞っていました。

でも天然記念物の「海棠」や「花桃」、「菜の花」「八重桜」「つつじ」と
山一面に萌える若緑の木々、あたりは「山里の春」真っ盛りでした。


弘川寺境内案内図



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2010年の今年は3月後半が寒かったので桜の満開が四月にずれ込み、
お陰で日帰りツアーや「バイクで回る京都」や友人との桜狩りに
撮影が出来ました。(4/3~4/7)

ツアーが太秦の撮影所と坂本龍馬の伏見港、バイクで太秦の広隆寺・車折神社
・千本釈迦堂・建勲神社そして友人との神泉苑・二条城・京都植物園・鴨川堤防

一まとめにするのは無理なので一番印象が深かった桜を「2010京の桜」と
題してUPしました。「ゆかりこの部屋・京都編」にもリンクしています。
※下の「狛犬としだれ桜」をクリックしてご覧下さい。


二条城は何度も桜の時期にも訪ねていますがいつも誰かのスナップばかりで
桜に焦点を当てたのは今回が初めて、御殿やお庭の写真はパス!(笑)
千本釈迦堂は弟の桃南の絵に誘われ昨年訪ねましたが、
仏様に供えられたような本堂前の満開(少々散り初め?)のしだれ桜は豪華でした。
有名な桜だけに満開少し前からカメラマンが一杯だったとか、
この日は門前の染井吉野が満開の花の雲状態で見事でした。

夜桜も4/2から始まった植物園はしだれ桜は若木が多く、
染井吉野の古木が並ぶ温室近くは神社やお城の景色ともまた違う素晴らしい眺め、
鴨川堤防の「半木の道」の紅しだれもちょうど見頃で春を満喫しました。

パノラマ写真代わりに下のユーチューブで植物園の桜並木をご覧下さい。
太秦・広隆寺や車折神社・伏見港は別に纏めてUPする予定です。

※又ユーチューブが始まりましたら画像の解像度を360Pから480Pに代えて下さるときれいです。







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先日ツアー先の東映映画村で俳優達による花魁道中を見ました。

芝居小屋「中村座」や吉原仲の町の「三浦屋」を始め、民家、商店、日本橋など
ロケ用の舞台となる新撰組頓所や町奉行所のお白州等々、セットも常設されていて
タイムスリップしたようで大変楽しく過ごしましたが、呼び物の「花魁道中」を見て
昨年春に高槻の商店街の催しとして行われた劇団俳優による「花魁道中」を
もう一度見たくなり、再編集しユーチューブにUPしました。

中心の花魁の衣装や歩く時の独特のステップ「外八文字」を比べてみて下さい。
衣装と鬘(かつら)が重く、三本脚の高下駄を回しながら歩くのはとても大変。
先にUPした映画村での女優さんの顔が緊張で引き締まっているように見えます。
昨年の女形さんの方は華奢に見えても男性だからかゆとりがあるようで、
笛、太鼓のBGM付きの道中で花魁の役になりきっているように見えました。


※ユーチューブが始まりましたら画像の解像度を360Pから480Pに代えて下さるときれいです。




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kazuさんと東映映画村「桜祭り」と撮影所の見学、そして伏見港で
お花見をしてきました。
実家のあった伏見の港はよく知っていますが、映画村は初めてで、
「花魁道中」があるというので見たくなりツアーに参加しました。
お天気ながら風が冷たく、戸外で食べた冷たい「ロケ弁当」にも震えました(笑)

とりあえず呼び物の「花魁道中」だけユーチューブで見て頂きます。
枠の下にある360と480の数字は480を選んで下さると画像がはっきりします。
花魁の衣装や飾り、付き添う男衆や禿などは素晴らしかったのですが、
昨年芥川商店街の催しの一環として行われた「花魁道中」の方が
流し眼やポーズが決まって、艶やかだったような気がします。

どちらも役者さんですが女形の方が上手なのかしら?と考えました。
女を意識するポーズが決めになるのでしょうし、商店街の花魁は
「商店街大売り出し」宣伝中だからサービス精神が大だったのかも。
昨年の花魁道中も又載せますね。





ここしばらくブログから遠ざかったままで更新もしていません。

HP「ゆかりこの部屋」やHP「タカツキACパソコン同好会」そして
ブログ「yukarikoの好きなもの」のWebデータ用の有料スペースが一杯になり
その引越しを3月始めから取りかかっています。

引っ越すだけならリンクのアドレスを書き直すだけでOKと思えますが
この3年習った時々の方法を使ったので見せ方も方法も一貫していない上、
分かりにくいので、この際不必要なものは削除し、リンクも貼り直そうと決心。

思い付きは良かったのですが…実際にやってみると大変!
休みの日に一つか二つの記事が書き直せたらいい方です。
ようやく後は大阪と東京をやり直せば終了の所まで来ました。

桜が見頃になってきたので、今年もまた2010の桜を求めてバイクで
京都太秦(広隆寺・車折神社)や建勲神社を廻りましたが、
雑用が重なってPC前にいないのでブログ用の写真は撮影しても
根気よくまとめる時間が足りません。

でも今週は散り急ぐ桜を見て回りたいと思うのでもう少しお待ちください!



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