yukarikoの好きなもの
旅の写真や思い出
PCでの雑感を並べました。
 



りぼん

ブログTOPに紫のリボン、記事のTOPに足跡を付けました。

いろいろ変った事が出来るものですね!







コメント ( 0 ) | Trackback (  )




亜熱帯に属する沖縄の一月は「花の月」だそうです。
何しろ、日中の気温が18℃~23℃だそうですから本土の㋃並みの気温!

沖縄空港に着いた時もロビーも通路もめぼしい所は皆
胡蝶蘭の鉢が並んでいてびっくりしました。
温室咲きの高価なお花という印象ががらがらと…(笑)

雨・曇りという天気予報が良い方に外れ、沖縄に来たかった一番の理由
「一月末に満開の寒緋桜を見る」という目的も達成出来ました。

下の「八重岳桜の森公園」をクリックして23枚のスライドショーをご覧下さい。
綺麗で大きくBGMも付けられる「デジブック」を使いたかったのですが、
60日で消えるのでは 後日同じ形でHPに載せられないので諦めました。



またもう一つはあちこちで見た色とりどりの花々の画像です。
「花の島 沖縄」を実感しました。
ピエロの扮装をしたお嬢さんの絵をクリックしてお入り下さい。
23枚のスライドショー。(沢山ありすぎて…その内から)




二つとも左上隅の「準備中」→「待機中」になったら「開始/停止」をクリック、
後は自動的に絵が変わります。文字が読めるようにゆっくりと変わります。

※ブログへは左上の「戻る」ボタンでお戻りください。
 また以前他で『HPやリンクが開くのに時間がかかる』の声があったので
 音楽(MIDI)はあえて付けていません。

みやけ工房様よりスライドショーをお借りしました、


コメント ( 6 ) | Trackback (  )




13年前も行ったのに「ハブとマングースの戦い」しか印象に残っていないのは
漠然とお喋りしながら園内を歩いていたのでしょう。
後はここで食べた沖縄そばが美味しくなかった覚えしかありません。

ユーチューブに印象的だったエイサーの踊りとチョンダラーの指笛を載せました。
幅500にしてみました。大きさはいかがでしょうか?…

※画面の真ん中の三角印をクリックしてご覧下さい。





下に琉球村で見た展示をPhotogooで並べました。
ユーチューブのサイズが大きいからPhotogooも説明を入れて600*450です。

※画像をクリックして9枚ご覧下さい。

<
<
<





コメント ( 2 ) | Trackback (  )




「沖縄の味」といっても二回のツアーで食べた食事と
おやつの中だから大した物はありません。
ホテルの朝はお決まりのバイキングだし(笑)…(前回はグループ旅行)

ガイドブックの材料や調理法で『これは?』と思って食べたものを
思い出しながら沖縄料理の写真をお借りして載せました。

舌も歳と共に保守的になったらしく、前回の方が冒険をしていて、
色々と変わった材料でも食べ、義父への土産にもあれこれ買いました。
メンバーに男性がいると「酒のつまみ」が多くなるからかな?

今回はバスガイドさんに沖縄のおやつを聞いたせいもあって
ポーポー(ヒラヤーチー)、ぜんざいと試してみました。

歩き回り、写しまくって時間も無くなり、前回食べた国際通りの
アイスを今回はパスしたのが残念!です
タコライスの後と海鮮鉄板焼の後だから物理的に入らない(笑)


下の画像の上でクリックして13枚の料理をご覧下さい。
料理の写真は沖縄料理「ぱいかじ」さまのメニューよりお借りしました。


<<<



コメント ( 2 ) | Trackback (  )






※上の絵をクリックするとと「首里城公園公式HP」にジャンプします。
また、ポスター類は土産物店に貼ってあったたものです。


13年前もご近所ツアーで首里城を見学し、沖縄村も回りましたが知識もなく
首里城と「ハブとマングースの対決」だけが印象に残っています。
今回はもっと忙しいツアーでしたが、さすが二回目!
パンフと帰ってからのネット検索で後追い勉強をしました(笑)

特に首里城正殿の儀式以外に、王や王族の暮らしは?と関心が…。

新たに復元・公開された、赤い屋根に白木の柱、日本の書院造に似た
「書院・鎖之間」や琉球石灰岩の露岩に蘇鉄や松が植栽された庭園など
中国風の石造り門や正殿とは違った風情がありました。

首里城で行われている無料の宮廷舞踊も見たかったのですが、
東西410m、南北273m、面積約63,000㎡の広大な規模で築城形式は日本風
八つの楼門は全て中国風、石畳の坂道を早足で一周するだけで時間切れ!

せめてと思ってあちこちのポスターを撮影してきました。


下の地図を参考にしてPhotogooの14枚の画像をお楽しみください。
文字が多すぎて読み辛いですが、お許しを!

※宮廷舞踊の絵の上でクリックすると絵が変わります。


<<<


--------------------------------------------------------------------------
[簡単な琉球史]
 琉球王国とは1429~1879まで約450年、日本の南西諸島に存在した王制の国。

日本の鎌倉時代に当たる12世紀頃から各地に「按司(あじ)」とよばれる
豪族が現れ、抗争を繰り返しながら次第に整理・淘汰され、
1429年尚巴志が主要な按司を統括し琉球王国を確立。

中国、日本朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通して海洋王国へと発展。

 1609年春、首里城は四千の薩摩軍に攻囲され、王尚寧は城を明渡し降伏した。
薩摩軍は空城となった首里城に入り、宝物を略奪、軍船で鹿児島に運んだ。

 薩摩軍は、城を出て和を請う尚寧王までも捕虜として薩摩に連行。

駿府の大御所・徳川家康、また江戸の将軍秀忠のもとへ送った。
秀忠は王を哀れみ「早く帰って祖先の祭祀を続けよ」と帰国を許した。

 国王は島津氏から莫大な年貢の拠出を強要され、
二年五ヶ月後に那覇の地を踏むが、その後270年間の長きにわたり、
琉球は表向きは中国の支配下にありながら内実は薩摩の属国として
屈辱の歴史を刻む。

明治維新で成立した日本政府は1879年軍隊を派遣し首里城から
国王尚泰を追放し沖縄県の設置を宣言。これにより琉球王国は滅亡。

現在直系の子孫の方は東京在住とか…?




コメント ( 3 ) | Trackback (  )




sakuraさまの「平家物語・義経伝説の史跡を巡る」で「法成寺跡・東北院…誠心院 」
読んで和泉式部の墓・法篋印塔が見たくなり、実母の見舞いがてら新京極に行きました。

新京極は、その昔、秀吉が寺を集めて寺町とした所で、人が集まる
各寺境内を貫く道路を新しく拵えて歓楽地としました(明治初期1872)

今は若人向け洋服・雑貨・京小物、飲食店、映画館、ゲームセンターが多く
修学旅行や観光客、一般客でいつも混雑しています。土産の「ロンドン焼」も大行列!



和泉式部の墓については諸説あるそうですが、今回は「誓願寺・誠心院」縁起や
「謡曲・東北、誓願寺」を参考に誠心院法篋印塔としました。

和泉式部が「誓願寺」で女人往生を遂げた話や一遍上人とのお話は
謡曲「東北」「誓願寺」として流布されています。

和泉式部が尼になって上東門院(彰子)の東北院の一隅に小御堂を建てて貰い
そこで「南無阿弥陀仏」の称号を唱えながら大往生した…とは
今回sakuraさんの記事で初めて知りました。
その小御堂が「誠心院」の初めで、色々と説話があるようです。

「誠心院」「誓願寺」はリンクしましたので詳しい解説はそちらでご覧下さい。

「誓願寺」は清少納言も帰依、この寺の本堂脇に庵を構え大往生とか。
法然上人も住職の大寺院。鎌倉の後は一遍上人と時宗なども。

sakuraさんがお書き下さった「軒端の梅」と歌碑や和泉式部の有名な和歌や
百人一首、尼姿、「法篋印塔」などをphotogooで13枚の画像で見て下さい。


※下の画像の上でクリックすると絵が変わります。
<<<


和泉式部
 大江雅至の娘。誠心院専意法尼(戒名)の墓所 誠心院・法篋印塔

976年頃~没年未詳(3/21に和泉式部忌・謡曲東北・誓願寺の奉納あり)
和泉式部は女房名で、江式部とも呼ばれた。
20歳ごろに橘道貞と結婚して小式部内侍を生む。
やがて冷泉天皇の皇子為尊親王、その死後は弟の敦道親王と恋に落ちた。
その経緯は『和泉式部日記』に詳しい。
1007年敦道親王にも先立たれ2年後に一条天皇中宮彰子の許に出仕。
その後、藤原保昌と再婚。
1027年までの生存は確認されているが没年は不明。
平安中期を代表する歌人の一人で、新鮮で情熱的な叙情歌が多い。
中古三十六歌仙の一人。
奔放な恋愛と和歌はさまざまな説話・伝説を生んだ。


また、3首の歌の解説は「やまとうた」様からお借りしました。

人形の写真は「歌仙人形発売元ウェブショップヤマネ」様よりお借りしました。



コメント ( 5 ) | Trackback (  )






上の絵をクリックして頂くと「Wordでお絵描き」をする前の
基本設定を教えて貰えます。

お絵描きの前にワードの設定をきちんとしておくと
楽にお絵描きが出来ます。
お試しください。

上の絵「」スノードロップをお描きになり、講師をして下さっている
「Wordでお絵描き」の提唱者「Yume Pallet」高倉幸江さん。

ケアハウスでパソコンボランティアを行いながら
シェイプアートの普及活動を推進。作品も発表もされています。

高倉さんのホームページは上の絵から入ったHPですから、
ご自身や活動されているセンターの作品なども見て頂けます。

「Yume Pallet」
http://www2t.biglobe.ne.jp/~t-yukie/


コメント ( 2 ) | Trackback (  )




ユーチューブの大画面を発見したのでこのサイズにぴったり画像は『これしかない!』と
最初の目的「桜」映像を差し置いてUPしました。

大きい水槽の迫力を味わって下さい。





コメント ( 3 ) | Trackback (  )




先日からお知らせしている二月例会のバレンタインカード
「クマとチョコレート」を自分でも描きました。

課題のお知らせだけUPして自分の作品は描いていなかったので、
休みの日に3時間かけて描きました。

形は単純だし、同じ形はコピー貼り付けとグループ化で案外簡単に
描けるかな?と思いましたが、見本そっくりに作るって難しいですね(笑)
眼も鼻も自分流になりましたが、yukariko流のくまちゃんでOK!にしました。

一度描くと要領が分かるのですが、テキストを見ながら試行錯誤するのは
面倒で時間がかかります。

ぜひ例会までに練習の為に最初の部分だけでも作ってみて下さい。

顔はまんまる(SHIFTを押しながら楕円を描く)→耳はコピー・縮小ですが、
胴体はコピーしてから縦長にして、手足はもっと引き延ばします。
縫い目の線も曲線できれいに描こうと思わずに、かちかちと短く
クリックして描き、後から「頂点の編集」でなだらかにすると簡単です。

口のカーブがどうして「月」でなの?と思いましたが、二つ並べてから
縮小すればそれらしく見えました(笑)

少しぐらいはみ出してもくまちゃんにまとめると分かりません!!
背景もお手本の白と自己流のカラー版の二つ作ってみました。

ご覧下さった皆さまもご自分流の「バレンタインカード」を作って、
来る2/14にはどなたかへのプレゼントに添えると盛り上がりますよ!






コメント ( 3 ) | Trackback (  )





沖縄は二回目、13年前の1995年11月に近所13名(男6女7)で旅行積立をして
沖縄中・南部を一泊二日で回りました。

首里近くの高台・那覇都ホテル(地図右側)で泊まり、東南植物園、琉球村、
万座毛、玉泉園(鍾乳洞)、平和祈念公園、ひめゆりの塔と強行軍でした。
その頃の写真を見るとさすがに皆若いですね(笑)

遅い夕食はホテル、夕方にタクシー分乗して国際通りに買物に出かけました。
男性軍は泡盛がお目当てで女性陣は公設市場見学と評判のアイスクリーム試食!
入りたい店も男女で違い、通りをうろうろして時間はあっという間に過ぎました。

今回はツアーですが旅行社の帰着便変更で那覇での滞在時間が増えた上、
ホテルも国際通り近く、ゆいレール駅まで8分と自由時間での散策ができそう。

13年前と比べてびっくりしたのは「ゆいレール(モノレール)」でした。
昔読んだ小説にも那覇は自動車とバスが足とあり、そう思い込んでいましたから。
それが今は市民の欠かせない足!渋滞知らずですものね。

それで朝食後、県庁前駅~牧志駅まで3駅、200円で乗り、朝の国際通りも見学。

もう一つは2002年コミック「大使閣下の料理人12」で紹介された「タコライス」を
食べること。国際通りには専門店が幾つもあると情報誌にも載っています。


タコライスとは蛸が入ったご飯ではなく炒めた牛ミンチと
レタスの千切り、チーズ、トマトの細切りが載ったご飯に
ピリ辛のチリソース入りケチャップがかかってます。

コミックによると進駐軍(アメリカ軍)の兵士が好んで
食べた事から広まったとか。

「タコス」は薄い小麦粉の生地に同じ具材が挟まれている。
沖縄ぜんざいは小豆以外の豆のぜんざいの上にかき氷が載る。

むつみ橋通りの第一公設市場は凄かったです。本当に圧倒されました。
前回はこんなにじっくり見ていなかったですね。記憶もあやふやでした。
自分でブログに載せなきゃと思うと必死ですね(笑)下の写真でご覧下さい。


※下の画像の上でクリックして14枚の写真をご覧下さい。
<<<


夕食はバスでステーキハウスへ。
シーフードを選びましたが照明が暗過ぎてスープの色も黄土色か薄緑か?
何の魚のソテーか思案しながら食べました。雰囲気だけは良かったです(笑)

ホテルに帰って二回目の探索(笑)
他の人達はバスタイムだというのに…!kazuさま、ごめんね!
ホテル→RBC琉球放送前→「県庁前」駅→沖縄銀行本店前→県庁前広場へ。
ここから牧志まで国際通りの繁華街です。

雨も上がり夜のネオンが派手で華やか、みやげ物屋、居酒屋の呼び込みも
派手でした。観光の町那覇の面目躍如ですね。

おばさん二人組は土産物以外は手が出ずに「見てるだけ!!」
でもホテルへの道を3回も通りながら、とっても満足した那覇観光でした。



コメント ( 2 ) | Trackback (  )


« 前ページ