yukarikoの好きなもの
旅の写真や思い出
PCでの雑感を並べました。
 



広島旅行の二日目はツツジが満開の「音戸の瀬戸大橋」と芝桜の
「花夢の里ロクタン」そしてお土産を買う「三次ワイナリー」ですが、
広島県世羅町一帯の「花尽くし」…世羅高原牧場「チューリップ祭り」と
花夢の里ロクタンの「芝桜と八重桜」「菊桃」は花がテーマなので別に。

だから今回はツツジ満開の「音戸の瀬戸公園」です。
素晴らしい眺望の公園には「新平家物語」の吉川英治の文学碑や
俳句の山口誓子・橋本多佳子師弟の句碑があります。
地図で分かるように幅90mと本当に狭い水路で海上交通の要所です。


下の文学碑の写真をCLICKして「音戸の瀬戸」にまつわるお話や
スナップ写真のスライドショーをご覧下さい。

平忠盛・清盛親子は瀬戸内の海賊退治を命じられたり国司として
安芸守にもなったので広島の事情に明るく「音戸の瀬戸」を開削して
日宋貿易を盛んにしようとしました。(1164年・竣工まで10ヶ月かかる)

難工事も完成の日となった翌1165年7月16日引き潮を見はからって
作業が行なわれることになった。

 この時を期して是が非でも完成させねがならず、清盛公の激励、役人、
人夫の血のにじむような努力が続けられたが、すでに夕日は西の空に傾き、
長い夏の太陽の光りも、はや、足もとも暗くなりはじめた。

 今ひと時の陽があればと、さすがに権勢を誇る清盛公もいらだち、
遂に立ち上がり、急ぎ日迎山の岩頭に立ち、今や西に沈まんとする
真赤な太陽に向い、右手に金扇をかざし、日輪をさし招き
「返せ、戻せ」とさけんだ。 
すると不思議なことに日輪はまい戻った。 
「それ、陽はあるぞ。」と必死の努力により、ついに音戸の瀬戸の
開削工事は見事に成就した。
ときに清盛公、四十ハ歳であったと伝えられている

「呉市の史跡を訪ねて」より引用させて頂きました。




※上の記事は先日の「広島点描」と共に「ゆかりこの部屋・広島編」
リンクしています。

また、千葉フォトギャラリーの「音戸の瀬戸公園のツツジ」
素晴らしい写真をご覧下さい。


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