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como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

平清盛 第39話「兎丸無念」

2012-10-08 11:57:44 | 過去作倉庫11~14
 土曜日にやっていた「負けて勝つ ~戦後を作った男・吉田茂」が最終回を終えました。
 いやあ、これは良かった。感動しました。話数が少ないせいもあるのですが、一切の手抜きが無い、高い緊張感で、尺が短いための端折り感も最小限。必要なところにきっちりフォーカスを絞り、むだなセリフなどほとんどなく、脚本も素晴らしかったと思います。
 俳優さんもいうまでもなく、主役の渡辺謙をはじめすべて適材適所。浮いている人は誰もなく、堪能しました。
 こういうのがあると、いつも「なぜこのクオリティが大河でできない」と思うわけですが、今回ばかりは一歩飛躍して、「もう大河ドラマは要らないんじゃないか…?」と、人生初めて思ってしまったのです。
 わたし、大河ドラマというのは、日本の俳優(とくに男優)の、世界に伍するクオリティやスキルを維持するために絶対必要で、歴史ドラマを作る脚本、美術、衣装その他の技術の継承という意味でも、続けることに意味がある。どんな駄作であっても、翌年につなげるだけでも無駄ではない、と思ってまいりました。
 でも、「負けて勝つ」のようなのを見てしまうと…。あと、昨年までの「坂の上の雲」、「白洲次郎」などもあわせて考えると、いま歴史ドラマとして渇望されているのはこっちじゃないかと。こういうのを短期集中型で、年に2本くらい放送できれば、大河ドラマはいらないんじゃないか、と思ったわけです。

 というのは、1年におよぶ大河ドラマは失敗しても途中でやめられず、修正もきかないという弱点が、この「清盛」を見てつくづく感じられたことでもありました。
 だって、どーみても失敗作だよこれ。脚本は見切り発車、企画意図はことごとくスベッてる。誰得なんだみたいな内容で、歴史に学ぶような深みもない。でも、企画したほーは責任上失敗と言えないから、「ご好評をいただいております(視聴率は関係なく)」と取り繕うように、寒気がするような行き当たりばったりのテコ入れ企画ブチ上げちゃ、そっちにつられてどんどんドラマ本編も寒くなっていくという…。この悪循環は史上最悪じゃないかな。内容がダメなだけならもっとダメな作品は過去にもあったけど、取り巻く環境の迷走ぶりというのは、ことし初めてでてきた珍現象だと思うのです。
 まあ、それはそれで愉快な見世物ではあるのだけど、こういうことが続くのなら、大河ドラマじたいがお金の無駄です。ハッキリいって。
 そんなことなら年に二回くらい、短期集中で良いドラマをやったほうがいい。できたら、昨今の近隣諸国との軋轢の原因が次第に理解できていくような、近現代史をテーマにした魅力あるドラマがいいです。民放では難しいテーマだと思うので。公共放送のお仕事というのはそういうところにあるんじゃないかな。モチはモチ屋ってやつで。どうでしょう。

 では、前置きが長引きましたが、今週もこちらから

(こうなったら意地でもつづけます大河ドラマ
草萌える 第9話「迫るカムロ 地獄の軍団 われらを狙う黒い赤い影」

 ついにスケ様(岡田将生)欠番…(涙)。まだ蛭ヶ小島で鬱状態で徘徊してるのか。そんなことやってる間に、源氏関連のエピソードでなんぼでも面白いのがあると思いますのに、なんでこーなんですかね。
っと、キレそうになる心を鎮めつつ、今週は、見せ場である遮那王(神木龍之介)・弁慶(青木崇高)の五条大橋出会いの場から始めたいとおもいます(ってか、これだけなんです今週は)。
今回はアバンタイトルを10分近く使っての大立ち回りでしたが、こんなん本編の中でやれや、と思わずにいられませんよね。なんでアバンなんでしょうか。
 ふたりのバックに流れる音楽は、♪きょ~おのごっじょうのはっしのうえ~~、というおなじみの童謡ではなくて、べんべらべんべらべんべら…と華麗な三味線(?)にのって、京のぉ~~ご~~じょお~~、ってな塩辛声の浪曲調。なかなかカッコいいです。
 そんで、大の男の弁慶は、遮那王の赤いかつぎを見て、やや、おまえが悪逆非道の禿というやつか、平家の手先め、こうしてくれる、とか言って、牛若めがけて斬りかかる。牛若は驚異の身体能力で弁慶の刃をかわして、前や後や右左、ここと思えばまたあちら、つばめのような早わざに…ってな童謡どおりの展開になって、最後は弁慶の泣き所をうたれて終わり。
 ここまでは普通なんですが、新工夫は、弁慶が、おのれ平家の手先め、とか言ったのを聞きとがめて、紅衛兵みたいな禿が湧いて出て取り囲むところです。「清盛様に謝罪せよ!」「自己批判せよ!」と言って毛語録を…あ、いや、赤い羽根をつきつけて迫る禿と、やむを得ずいっしょに戦う弁慶と遮那王。
 んで、禿が、なんで散ったんだかわかんないけどサーッと撤収しちゃって、そこで、話のながれで遮那王が「わたしは清盛様を父と慕って育ちました、というのは母常盤が…」とか身の上話をし、そこで弁慶が「おお?おめーあの牛若か?そーなのか??」とびっくらこいて、牛若~でっかくなったなあおい!!とかいって、状況も忘れて橋の上で大騒ぎするところで、アバン終わり。タイトル。
 まあいいんだけど、源平もの的には、ほんとならそろそろ関東方面の武士の事情とか、新宮十郎の暗躍とか、頼政なんかも乱の下地作りにエピソードを重ねないといけないんですけどねえ…。どーすんだろ。説明もなく乱勃発?? まあそれもいつものことだけどさ…
 ということで、また来週!!

「平清盛」第39話の部。

 いやいや、架空の人物というのは難しいですね。出演枠を増やすためにか、「架空の人物」は大河ドラマによく出てきますが、過去の事例を見るに、架空の人物を物語にうまくに絡めるのは簡単なことではないようです。
 たいがい、主人公の第二の目となり耳となって、主人公が行けないところ(おもに市井の場末)にいき、同時代の別視点の情景をドラマに織り込むというのが、架空人物の常道の使い方ですが、良くできた脚本でもなかなかうまくいかないのが、この人を最終的にいかに始末するかです。
 たいてい活躍も不完全燃焼で、コソコソとフェードアウトする、または唐突に外国に旅立つとか(笑)。毎回苦労するようですが、今回の兎丸(加藤浩次)に関しては、そのような苦労のあとも見えない退場でした。そこはよかったと思います。
 って褒めてるんじゃないですよ。ただ賑やかしにいただけで、退場時のオチに苦労するような活躍が一切なかったから、どう消えてもべつに不自然じゃなかったという意味です。加藤浩次さんの演技以前の芸もまことに役柄相応であり、俳優さんの無駄遣いみたいな歯がゆさを感じずにすんだのも良かったと思います。

 今回のお話は、エア大輪田泊エア普請で、エア日宋貿易のため強行日程を組まれ、エア嵐に襲われて難航。最終的にはエア人柱の力で完成までこぎつけ、エア新しき国の姿がみえたぞという、みごとに史実を踏まえた展開になっておりました。パチパチパチ。素晴らしい。
 ってどこが素晴らしいんだこんな話。
 予算が削られたんだかなんだか、お金が無いのは涙ぐましく伝わってきましたが、それにしても大輪田泊の普請がビジュアル的に一切出てこない。ぜんぶ、福原のキヨモリ宅の庭先でいろいろやってて、これじゃ泊の大普請なんだか、キヨモリ邸の庭の改装なんだかわかんない。
 こういうときこそCGでもなんでも使って、多少ウソっぽくても見せればいいじゃないかと思いますけどねえ。序盤の、あのどうでもいい海賊船に予算の大半をつぎ込んだって、バカじゃないのかほんと。力点おくべきところがわかってなかったとしか思えんよ。
 歴史ドラマのストーリーってのは、歴史の本を読めば展開は子供でもわかるので、あるていど練ってから作ってくれんかな。これ遊園地のアトラクション企画じゃないから。歴史ドラマだから。

 ほんとしみじみとどーでもいい内容ですが、一応拾っておきますと、時忠(森田剛)の率いる禿軍団のことを、ウサギ丸はキヨモリに忠告します。「あんなん放っておいたらろくな大人にならんでえ」とか言って。
 でもキヨモリとしては、宋国の内閣総理大臣相当のエライ人が、大輪田泊をとおって来日することがきまり、何が何でも平家批判を封じなくてはならない。これもすべてアタラシキクニのためじゃタミノシアワセのためじゃ、とか言って禿の暴走を放置します。
 禿はそのうち、捕縛した反革命不満分子を、時忠のゴーモン部屋に連れ込むのも省略し、必殺仕事人みたいにその場で始末するまでにエスカレート。御所の縁の下とかにも入り込んでます。必殺技は、赤い鳥の羽を撒く目つぶし作戦。
 ほんで、キヨモリが必死になってる泊の普請のほうは(口でいうばっかで実物は一切でてきませんケド)、難航してて、突貫でもあと半年はかかる、と。そこをキヨモリは、何が何でも三か月でやれ!死んでもやれ!!っつうわけだ。
「清盛のいうあたらしき国が、われわれにはとんと見えませぬ…」と、御所の九条兼実(相島一之)とかも言ってましたが、欠かさず見ているワタシにもわからんよ。いや、盛国(上川隆也)もわかんないって言ってるし、これはホントに、キヨモリの頭のなかにしかないんでしょうね。あと脚本家の。
 あ、いや、脚本家の頭のなかにあるのかどーかは怪しいよな…などと、ワタクシなんかは疑っちゃうんだけど。ガッツリ見てればやがて謎が解けて、すばらしいカタルシス展開が待ってるに違いないと、無邪気に期待するには、ちょっと過去の実績が頼りなさすぎるからねえ。そしてキヨモリの壮大な夢は、その死とともに誰にも知られず消えた!しかし!それはこの国の明日につながっている!!…ってな、ジャンプの10週打ち切りマンガのラストみたいなオチになるんと違うかな。いや、シャレじゃなく。

 そんでウサギ丸はブチ切れて、配下の三下連中を引きつれてプロジェクトから総撤収。橋の下で酒飲んででかい声で、平家が何ぼのもんじゃあ~、キヨモリのクソ外道死にさらせ~、とか言って、気が付けば三下連が消えて一人になって(なんで消えたのか忘れた)、そこへ、待っていましたと禿軍団が来襲するわけです。
 ウサギ丸は禿軍団に立ち向かい、こんなんやってたらろくな大人にならへんで、もうやめえ、みたいな、あんた状況わかってんのか的なお説教をかましたところ、キレた禿に、ダーツの矢みたいなのを刺され、針刺しみたいになって死んでしまう。
 そんな無残な骸になって翌朝発見されたウサギ丸。それはキヨモリのところにも伝わって、現場に(場所どこだか不明なんだけど)急行したキヨモリは、ウサギ丸の亡骸を抱いて号泣するのであります。

 ほんで六波羅の本宅に帰ってきたキヨモリは、一族を招集し、ウサギ丸の葬儀はねんごろに盛大に執り行う、と。ははっ、と平伏する一門の向こうの庭に、禿軍団が、庭石の影とか縁の下とかにウヨウヨいるわけです。なんかニコニコして、頑張ったでしょ、ご褒美は?ねーねー、みたいな、子犬っぽい顔して。
それを目の端に入れつつキヨモリは、「時忠、禿は始末しろ」と。
 始末って…。まあ、たいがい想像はつきますけど……。時忠は、夜、すごい泣き笑いのような顔をして(ここんとこの森田君の表情はすばらしいものがありました)ひとり禿の装束を火にくべるんですが、もしかして中身ごと焼いてんのか…??と戦慄するような不気味さがありました。
 で、時忠はともかく、キヨモリですけど、愛するウサギ丸を自分の身から出たサビで殺されて、まあ自分のやったことだから「始末する」って、それはいいけど、それじゃあ今まで禿に抹殺されたり身ぐるみ剥がれた罪もないパンピーのことはどーなんですかね。何にも考えてないのかね。
 主人公がおのれの業だか修羅の道だか、そーゆーのの罪深さに戦くのは、大河の常道だし別にいいけど、史実を利用してそれをやるには、もう一歩、というか三歩、四歩、歴史に対する考察が足りない。歴史を「主人公の苦悩」のために安易に利用してしまう。そこんとこの思慮の浅さが見え透くことが、このドラマはホントに多く、やっぱりこの脚本家は、歴史が好きではないというか、基本、興味がないんだろうなと、思ってしまうわけです。

 で、最後は盛国が、殿、殿はどこまで修羅の道をいかれるのですか、この盛国も殿とともに修羅となって歩みますだか、そんなこと言って続く、なんですが、前にもどっかでいいましたね。「修羅の道」「鬼になる」この二大フレーズは禁止して下さいと。
 だってこれって、すげー浅薄な内容でも、そもそも内容がなくっても、なんかそーぜつな運命を生きてるみたいに、手軽に使える便利用語なんだもん。こんなん言わされて、とりあえずのシメの役ばっかりやらされて。いくらトメクレジットとはいえ上川さんも不本意だろうなあと、他人事ながらお察し申し上げます。

それではまた来週。


1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (通りすがりさん)
2013-07-29 15:47:25
最近の大河ドラマ平清盛含めて全般的にキャスティング見て思ったが、人気俳優に頼りすぎで内容や中身やクオリティーがた落ちこれじゃ視聴率取れないですね。

もし一年間のロングで、大河ドラマでゴールデンタイム勝負するなら過去の傑作レベルの大河ドラマのキャスティング、クオリティー内容の内容の大河ドラマ制作べきですね。
やる以上は、NHKは、生半可な気持ちで大河ドラマ作るな!
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