はい、裏大河・新選組血風録も3話目です。強引を承知で原作片手のドラマレビュー、今週も続けさせていただきます。
いまさらナンですけど、内容については遠慮なくネタバレしていますので、いやな方は読まないで下さい。
今週は、そのままベタに原作からのサブタイ「芹沢鴨の暗殺」ってことなんですが…うーん、わたしとしては、なかなか良い:残念=4:6、といった感じの出来でした。
芹沢鴨の暗殺は…まああれだ、いまさら流れを説明するまでもないやね。古今の新選組ものでは序盤の山場にあたる大きな事件で、流れは、こんなブログをわざわざご覧くださるような酔狂な方なら、文久3年9月18日雨の夜の、タイムテーブルまで頭に入っておられることかと。
今回、私のなかで残念な風が吹いているのは、なんというか、この暗殺事件の取り扱いに、、特別な新鮮味を感じられなかったことが大きいです。
まあ、大河「新選組!」みたいな長丁場じゃないから、暗殺にいたるまでの確執とか、芹沢って人の人となりについて、基盤ができているわけじゃないですよね。あと、数年前に、浅田次郎原作の「輪違屋糸里」のドラマ化があって、これは芹沢鴨暗殺事件に特化した物語だったんで緊迫感がちがい、主役が遊女(上戸彩)という目線の新鮮味もあって、(土方歳三役の伊藤英明が悲しいほどダイコンだった以外は)ほぼ文句のない出来のドラマでしたが、あれとも方向性ちがうし。
まあ、ちがうと分かってて比べるのもなんだけど、なんか…今回、「それでも、もうちょっと芸はなかったのか?」と思ってしまったの。
長丁場でも前・後編のピンポイントでもない、12回のドラマなら、それはそれなりに、描き方ってあると思うんですけどね。
まず、ほほー、と思ったのは、芹沢鴨役の舞の海…ちゃう、豊原功補が、なんか「目が冷え切ってる」ふうの、ちょっと特異な存在感を出してきたことですね。
「存外、正気なのである。芹沢のおそろしさは、これほど泥酔していても、どこか性根が冴えていることだった。歳三は、心の凍るような思いで、この男をおそれた」
「『だけど、芹沢先生というのはおかしなおひとだと思いますよ。我々は伏見の寺田屋の浜から三十石舟にのったでしょう。私はなかなか寝付けなかったんですが、先生は、舟にのると、もう文字通りの白河夜舟で、ぶつぶつ寝ごとなんかいってるんです。かつぶし、だとか、こんぺいとうだとか、食べものの言葉ばかりがいやにはっきり聞こえるへんな寝ごとで、(中略)先生の寝顔をのぞいていると、つくづく、こどものようなんです。あのひとは、私の知った中では、いちばんの善人かもしれない』」
(「芹沢鴨の暗殺」以下同)
ドラマ上では、こどもっぽい単純な豪傑ってキャラはやめて、粗暴だけどどこか冴えた怪物的な存在、という線でまとめてみたようです。でも、まあね、クールな豪傑は、「組!」の佐藤浩市バージョンの、山の如く動かし難い鉄板の存在感があるわけですから…。
今回、原作とも「組!」とも違っていてよかったのは、芹沢が、水戸天狗党時代に「一度死んだ」というエピソードを挿入したことですね。
一度死んだ男、というか、死ぬべきだった男で、彼のなかでは、心ならずも生きながらえて、何やってんだオレ、みたいな自嘲がある。暴力で得られる安直な達成感と、サーッと冷めたときの虚無感の落差がすごい。酔いがさめた状態に耐えられないんですね。アル中ですが、でもどっか「存外、正気」な感じがあって。すごく虚無的で、あきらかに「殺されるのを待っている」という感じ、なかなかのものがありました。
…なんだけど、やっぱりドラマのトータルの印象は残念なんですよ。なにが残念かって、舞の海の強烈な存在感を、強烈に作用させるのに失敗してるから。っていうのは、肝心の主役の土方歳三と、近藤勇の、この暗殺事件にまつわるアクション・リアクションの一連が、すべて既製のそれを踏襲しててぜんぜんはみ出していない、というのが一番残念です。
芹沢の片腕の新見錦を、料亭・山の緒で強引に切腹させた土方は、その夜、屯所でお梅と絡みます。そこで、暗殺実行にお梅がまきこまれるのを懸念し、出て行け、関わるな、と忠告するのですが…
なんか、ここが特に既製品っぽくってさあ。ほんとお願いしたいんだけど、「おれは鬼になるう!」って、このフレーズ、もう当分禁止ね。頼んます。
「鬼になれよ近藤」「姫しゃま勘助は鬼になりまする」くらいまではよかったけど、もう「おれは近藤さんのために鬼になる!」あーもう、また聞いてしまったかって感じ。こーゆーありきたりのセリフは、言っても言わなくても同じで、ほら、「わたくしにお任せくださいませ」とか「行くなら俺を斬っていけ!」とかと同じことだもん。
まあ、そういうあたりの作劇センスにもギモンがあるわけですが、やっぱり、土方はまだ土方歳三コンテストだし、近藤は、うーんどういったもんか、風貌は非常にそれっぽいんだけど、なんか、近藤勇の古写真を切り張りして、適当なタイミングでそれらしいセリフを挿入してるだけのような…。近藤勇botですかこれ?みたいな。
「ところで、土方君。局の金箪笥のなかに、どれほど金が残っている」
と、近藤は意外なことを訊いた。歳三は、隊の勘定方の岸島由太郎から毎月会計の報告をうけていたから、およその額をいうと、
「そうか、それほどあれば、よほど派手にやれるな」
「なにが、です」
「葬式さ」
歳三は、近藤が事件の最後まで構想していることに舌を巻いた。
「その隊費の半分は葬式の費用につかい給え。いやしくも、新選組の局長が死ぬのだ。葬送に疎漏があってはならぬ」
― その日が、近くなった。
まあ、原作と違うからダメっていうつもりはないんですけど、原作と違うなら違うで、違えたことに納得がいくくらい面白くしてほしいです。実際、舞の海の芹沢鴨は面白いし、引き込まれるものがあるわけじゃないですか、原作と違うけど。
なんか、いままでの3回で見る限り、やっているのはかぎりなく出来あいの新選組もので、芹沢鴨の暗殺にいたるのも「そういうものと決まっているから」という、へんな安泰感だけがあって、緊張感や生々しさが感じられないのです。
この3話を原作片手に見てみて思ったんですけど、原作の面白さっていうのは、幕末にたまたま新選組という組織が、なにかの間違いで誕生してしまい、その枠の中にはいった人間個々の、コンプレックスだったり、妄執だったり、恥部だったり…みたいな、それぞれの人生のアクというか、字余り部分みたいなのが噴き出てくる。そういう群像劇の面白みだと思うんですよね。新選組がありました、ダンダラの羽織着て京都の町をのし歩きました、彼らは誠を貫いた最後の武士でした、そういうだけの話だったら今さらやらなくても、いや、やっても別にいいけど「司馬遼太郎原作・新選組血風録」ってタイトルをつけてやらないで欲しい。
芹沢の粛清の段取りをすごく具体的に考えながら、頭のいっぽうで葬式の見積もりをしている近藤勇、この面白みが、ほんと、もうちょっと出てくれば全然違うと思うんですが…。この状態だとホントにただの近藤勇botだもん。
そして、ドラマは有名な文久3年9月18日、雨夜の暗殺の場に至ります。ここは、ほぼ舞の海のワンマンショーでした。
寝床で目を開けて、刺客が殺しに来るのを待っている風情から良かったんですが、立ちはだかるお梅をまず自分で刺す(!)、ここはハッとしましたですね。「先に行って待っていろ…」なんて、そんなひどい一方的な!と、「江」なんか喜んでみている向きは思うかもしれないんだけど、いやいや、この容赦のない男尊女卑が、近年見られなかった味ですよ。いえ、それも単に男尊女卑ってんじゃなく、この男女はそれで意志がまとまるくらい、人生終わってる虚無感で結ばれてたんだろうなあ…などとしっとり想像できるあたり、すごく良かった。
そこが良くって、あとはまあ、普通でした。暗殺現場の八木家住宅は、行かれた方はご存知と思うけどもっとはるかに狭く、隣の部屋で八木家の子供が寝ていて、襖といっしょに倒れこんできた芹沢の下敷きになって、刀で足をケガさせられた、という実話もあります。ドラマは、まあそこはドラマだから、実にひろびろ、のびのびと、殺陣を繰り広げておりましたね。べつにかまわんですが、せっかくの実話エピソードですし、襖一枚隣で家人が寝てる、みたいな息苦しさや圧迫感や異常な空気のほうが、暗殺劇の舞台としては面白いんじゃないの?と思いますケド。どうかしら。
先週言及した、原作にある、お梅の死後のオチですが、軽やかにスルーでした。ま、いいですけど、これはこれで好きなのです。お梅の旦那である呉服屋が、お香典を持って、自分の妾と情死した芹沢の葬式に参列する場面ですね。
「あの男は、商売のために来ているのです」
歳三には、はじめ沖田のいう意味がわからなかった。しかしよくきいてみると、菱屋太兵衛は、新選組の御用達になりたいために、わざわざ香典を持って会葬にでてきているのだという。
「なるほど、商売のためにか」
「ええ、そうなんです」
沖田は厳粛な顔でうなずいた。
(世の中にはえたいのしれぬ人間もいるものだ)
と思ってから、ふと葬列に参加している菱屋太兵衛も、この葬列を指揮しているじぶんも、局長近藤も、この沖田総司も、えたいの知れぬ点ではおなじではないか、とおもった。
そうなんですよねー。この、妙にぬるっとした、人間の不気味な部分っていうの?そういうのも、もうちょっとドラマに出てくるといいのですが。
で、その、ぬるっとした妙な部分という意味で、断然いいと思うのは沖田総司ですね。はじめて見る役者さん。
この子、初回の時は、ちょっと浮いてる?と思ったんですが、その浮き感というか、変なかみ合わない感じが、なんかいい風に作用して味をだしてるみたいです。
次週はその沖田総司の黒い部分が出る(はず…原作どおりなら)、「長州の間者」。この味がどれほどのもんか、じっくり見るのが楽しみ。ではっ!
いまさらナンですけど、内容については遠慮なくネタバレしていますので、いやな方は読まないで下さい。
今週は、そのままベタに原作からのサブタイ「芹沢鴨の暗殺」ってことなんですが…うーん、わたしとしては、なかなか良い:残念=4:6、といった感じの出来でした。
芹沢鴨の暗殺は…まああれだ、いまさら流れを説明するまでもないやね。古今の新選組ものでは序盤の山場にあたる大きな事件で、流れは、こんなブログをわざわざご覧くださるような酔狂な方なら、文久3年9月18日雨の夜の、タイムテーブルまで頭に入っておられることかと。
今回、私のなかで残念な風が吹いているのは、なんというか、この暗殺事件の取り扱いに、、特別な新鮮味を感じられなかったことが大きいです。
まあ、大河「新選組!」みたいな長丁場じゃないから、暗殺にいたるまでの確執とか、芹沢って人の人となりについて、基盤ができているわけじゃないですよね。あと、数年前に、浅田次郎原作の「輪違屋糸里」のドラマ化があって、これは芹沢鴨暗殺事件に特化した物語だったんで緊迫感がちがい、主役が遊女(上戸彩)という目線の新鮮味もあって、(土方歳三役の伊藤英明が悲しいほどダイコンだった以外は)ほぼ文句のない出来のドラマでしたが、あれとも方向性ちがうし。
まあ、ちがうと分かってて比べるのもなんだけど、なんか…今回、「それでも、もうちょっと芸はなかったのか?」と思ってしまったの。
長丁場でも前・後編のピンポイントでもない、12回のドラマなら、それはそれなりに、描き方ってあると思うんですけどね。
まず、ほほー、と思ったのは、芹沢鴨役の舞の海…ちゃう、豊原功補が、なんか「目が冷え切ってる」ふうの、ちょっと特異な存在感を出してきたことですね。
「存外、正気なのである。芹沢のおそろしさは、これほど泥酔していても、どこか性根が冴えていることだった。歳三は、心の凍るような思いで、この男をおそれた」
「『だけど、芹沢先生というのはおかしなおひとだと思いますよ。我々は伏見の寺田屋の浜から三十石舟にのったでしょう。私はなかなか寝付けなかったんですが、先生は、舟にのると、もう文字通りの白河夜舟で、ぶつぶつ寝ごとなんかいってるんです。かつぶし、だとか、こんぺいとうだとか、食べものの言葉ばかりがいやにはっきり聞こえるへんな寝ごとで、(中略)先生の寝顔をのぞいていると、つくづく、こどものようなんです。あのひとは、私の知った中では、いちばんの善人かもしれない』」
(「芹沢鴨の暗殺」以下同)
ドラマ上では、こどもっぽい単純な豪傑ってキャラはやめて、粗暴だけどどこか冴えた怪物的な存在、という線でまとめてみたようです。でも、まあね、クールな豪傑は、「組!」の佐藤浩市バージョンの、山の如く動かし難い鉄板の存在感があるわけですから…。
今回、原作とも「組!」とも違っていてよかったのは、芹沢が、水戸天狗党時代に「一度死んだ」というエピソードを挿入したことですね。
一度死んだ男、というか、死ぬべきだった男で、彼のなかでは、心ならずも生きながらえて、何やってんだオレ、みたいな自嘲がある。暴力で得られる安直な達成感と、サーッと冷めたときの虚無感の落差がすごい。酔いがさめた状態に耐えられないんですね。アル中ですが、でもどっか「存外、正気」な感じがあって。すごく虚無的で、あきらかに「殺されるのを待っている」という感じ、なかなかのものがありました。
…なんだけど、やっぱりドラマのトータルの印象は残念なんですよ。なにが残念かって、舞の海の強烈な存在感を、強烈に作用させるのに失敗してるから。っていうのは、肝心の主役の土方歳三と、近藤勇の、この暗殺事件にまつわるアクション・リアクションの一連が、すべて既製のそれを踏襲しててぜんぜんはみ出していない、というのが一番残念です。
芹沢の片腕の新見錦を、料亭・山の緒で強引に切腹させた土方は、その夜、屯所でお梅と絡みます。そこで、暗殺実行にお梅がまきこまれるのを懸念し、出て行け、関わるな、と忠告するのですが…
なんか、ここが特に既製品っぽくってさあ。ほんとお願いしたいんだけど、「おれは鬼になるう!」って、このフレーズ、もう当分禁止ね。頼んます。
「鬼になれよ近藤」「姫しゃま勘助は鬼になりまする」くらいまではよかったけど、もう「おれは近藤さんのために鬼になる!」あーもう、また聞いてしまったかって感じ。こーゆーありきたりのセリフは、言っても言わなくても同じで、ほら、「わたくしにお任せくださいませ」とか「行くなら俺を斬っていけ!」とかと同じことだもん。
まあ、そういうあたりの作劇センスにもギモンがあるわけですが、やっぱり、土方はまだ土方歳三コンテストだし、近藤は、うーんどういったもんか、風貌は非常にそれっぽいんだけど、なんか、近藤勇の古写真を切り張りして、適当なタイミングでそれらしいセリフを挿入してるだけのような…。近藤勇botですかこれ?みたいな。
「ところで、土方君。局の金箪笥のなかに、どれほど金が残っている」
と、近藤は意外なことを訊いた。歳三は、隊の勘定方の岸島由太郎から毎月会計の報告をうけていたから、およその額をいうと、
「そうか、それほどあれば、よほど派手にやれるな」
「なにが、です」
「葬式さ」
歳三は、近藤が事件の最後まで構想していることに舌を巻いた。
「その隊費の半分は葬式の費用につかい給え。いやしくも、新選組の局長が死ぬのだ。葬送に疎漏があってはならぬ」
― その日が、近くなった。
まあ、原作と違うからダメっていうつもりはないんですけど、原作と違うなら違うで、違えたことに納得がいくくらい面白くしてほしいです。実際、舞の海の芹沢鴨は面白いし、引き込まれるものがあるわけじゃないですか、原作と違うけど。
なんか、いままでの3回で見る限り、やっているのはかぎりなく出来あいの新選組もので、芹沢鴨の暗殺にいたるのも「そういうものと決まっているから」という、へんな安泰感だけがあって、緊張感や生々しさが感じられないのです。
この3話を原作片手に見てみて思ったんですけど、原作の面白さっていうのは、幕末にたまたま新選組という組織が、なにかの間違いで誕生してしまい、その枠の中にはいった人間個々の、コンプレックスだったり、妄執だったり、恥部だったり…みたいな、それぞれの人生のアクというか、字余り部分みたいなのが噴き出てくる。そういう群像劇の面白みだと思うんですよね。新選組がありました、ダンダラの羽織着て京都の町をのし歩きました、彼らは誠を貫いた最後の武士でした、そういうだけの話だったら今さらやらなくても、いや、やっても別にいいけど「司馬遼太郎原作・新選組血風録」ってタイトルをつけてやらないで欲しい。
芹沢の粛清の段取りをすごく具体的に考えながら、頭のいっぽうで葬式の見積もりをしている近藤勇、この面白みが、ほんと、もうちょっと出てくれば全然違うと思うんですが…。この状態だとホントにただの近藤勇botだもん。
そして、ドラマは有名な文久3年9月18日、雨夜の暗殺の場に至ります。ここは、ほぼ舞の海のワンマンショーでした。
寝床で目を開けて、刺客が殺しに来るのを待っている風情から良かったんですが、立ちはだかるお梅をまず自分で刺す(!)、ここはハッとしましたですね。「先に行って待っていろ…」なんて、そんなひどい一方的な!と、「江」なんか喜んでみている向きは思うかもしれないんだけど、いやいや、この容赦のない男尊女卑が、近年見られなかった味ですよ。いえ、それも単に男尊女卑ってんじゃなく、この男女はそれで意志がまとまるくらい、人生終わってる虚無感で結ばれてたんだろうなあ…などとしっとり想像できるあたり、すごく良かった。
そこが良くって、あとはまあ、普通でした。暗殺現場の八木家住宅は、行かれた方はご存知と思うけどもっとはるかに狭く、隣の部屋で八木家の子供が寝ていて、襖といっしょに倒れこんできた芹沢の下敷きになって、刀で足をケガさせられた、という実話もあります。ドラマは、まあそこはドラマだから、実にひろびろ、のびのびと、殺陣を繰り広げておりましたね。べつにかまわんですが、せっかくの実話エピソードですし、襖一枚隣で家人が寝てる、みたいな息苦しさや圧迫感や異常な空気のほうが、暗殺劇の舞台としては面白いんじゃないの?と思いますケド。どうかしら。
先週言及した、原作にある、お梅の死後のオチですが、軽やかにスルーでした。ま、いいですけど、これはこれで好きなのです。お梅の旦那である呉服屋が、お香典を持って、自分の妾と情死した芹沢の葬式に参列する場面ですね。
「あの男は、商売のために来ているのです」
歳三には、はじめ沖田のいう意味がわからなかった。しかしよくきいてみると、菱屋太兵衛は、新選組の御用達になりたいために、わざわざ香典を持って会葬にでてきているのだという。
「なるほど、商売のためにか」
「ええ、そうなんです」
沖田は厳粛な顔でうなずいた。
(世の中にはえたいのしれぬ人間もいるものだ)
と思ってから、ふと葬列に参加している菱屋太兵衛も、この葬列を指揮しているじぶんも、局長近藤も、この沖田総司も、えたいの知れぬ点ではおなじではないか、とおもった。
そうなんですよねー。この、妙にぬるっとした、人間の不気味な部分っていうの?そういうのも、もうちょっとドラマに出てくるといいのですが。
で、その、ぬるっとした妙な部分という意味で、断然いいと思うのは沖田総司ですね。はじめて見る役者さん。
この子、初回の時は、ちょっと浮いてる?と思ったんですが、その浮き感というか、変なかみ合わない感じが、なんかいい風に作用して味をだしてるみたいです。
次週はその沖田総司の黒い部分が出る(はず…原作どおりなら)、「長州の間者」。この味がどれほどのもんか、じっくり見るのが楽しみ。ではっ!