como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

坂・雲 出直し学習会VOL3

2009-12-27 17:33:05 | Cafe de 大河
 え~っと、今回は、日清戦争の軍事データとか本当はやりたかったんですけど、ミリタリー系にも数字にも弱い私、おまけに暮れのことで忙しく、悩んでいるうちに1週間たっちゃって、もう最終回。アラマ。
 っつうわけで、そのへんは第1部のまとめもかね、最終回がすんでから、正月休みもつかってやりたいと思います。今回は軽く小ネタね。

脚気問題。

 江戸期から引きずっている日本人の国民病・脚気については、一昨年の篤姫のときにも、勉強会のテーマにとりあげました。コチラ参照
 上様のような高貴な人ではなくても、脚気は広く国民に蔓延しており、とくに大都市の江戸で多かったので「江戸病」と呼ばれていたこともあります。
なんで江戸で多かったかというと、江戸の主食は白米で、真っ白な銀シャリをもりもり食べるのが江戸前の粋であるとされていたからです。脚気の原因はビタミンB群の不足ですので、玄米や雑穀が多かった地方の食生活では、脚気問題はあまり起きませんでした。
 さらに加えて、江戸時代は肉食が禁忌であり、副食も大したものがなく、江戸っ子は豆類や雑穀を蔑む習慣があったので、これはもう、負いも若きも脚気になってバタバタ死んだわけですね。
 当然ながら、ビタミンの存在を知らない彼らには、脚気の原因はわかりません。遺伝とか、体質的なもの、あるいには伝染性と考えられていたこともあるようです。

軍隊の食生活

 さて、江戸時代は脚気禍から免れていた地方の農村出身の若者達でしたが、明治になり、徴兵制というものがはじまると、故郷の田畑を離れ、兵隊としてお勤めをはたすことになります。当然、農村で慣れ親しんだ玄米・麦・粟・稗なんかの質素な雑穀食からガラリと変わって、いままで口にしたこともない食品を経験することになります。

 明治も比較的初期に、海軍の給食として普及したものにカレーがあります。
当初「カレーソップ」とかと呼ばれてました。イギリス経由で、植民地のインドから伝わったものですね。
 ただし、本場インドのシャバシャバしたスープ状カレーですと、船は揺れるのでこぼれて、白いセーラー服が汚れますから、うどん粉のルウでとろみをつけ、こぼれないようにしてご飯にかけ、「カレーライス」として食べる、これは日本海軍の独創なんだそうです。

ただ、これも農村から出てきた青年にはけっこうカルチャーショックだったようで、

「シチューなんてものも、軍隊ではじめて食べた。はじめは『なんだか●○みたいで、いやだなあ」と思って食う気になれなかった。カレーライスもよく出たが、飯の上に○●○の△▼△をかけたものように思え、またカレー粉の香りがなじまずどうしても食えなかった」(大正初期の兵隊の回想)

…という、めちゃくちゃダイレクトな回顧談が物語るように、農村の青年は軍隊にはいるまで、洋食なんか見たことも口にしたこともないのが、大正期までふつうだったようです。(伏字部分は…想像しないでください)
 さらに、まっ白いご飯を腹いっぱい…というの農民一般の夢も、軍隊に入って初めて経験した者がほとんどだったようですね。
 明治前半期で、軍隊における白米の支給量は、兵士ひとりにつき1日6合だったそう。6合!!マジか。おもわず量を想像しちゃいますね(笑)。そりゃまあ、食うや食わずの農村から強制的に入営させられた若者にとっては、夢のような話だったことでしょう。
 でも、いくら若い男でも、一食あたり2合も白飯を食べてたら、おかず入らないですよね。そりゃまあ、農村から連れてこられた男子がバタバタ脚気で倒れるわけです。

 日本の軍隊の独創から生まれた食品に、牛肉の大和煮缶があります。この食品は、明治10年の西南戦争の糧秣として考案されたそうですので、日本の缶詰史の嚆矢というものですね。
 明治初年当時、まだ日本人は肉食に慣れてませんでした。軍隊では、兵士の体格向上のために肉食を奨励しようとしてたんですが、兵隊の抵抗が大きかったんですね。そこで考案されたのが、牛肉をしょう油味で煮込んだおかずで、その缶詰を携行すれば、野営で飯盒のご飯に混ぜて食べても美味しくて、好評を博しました。
 これで農村の兄ちゃんたちは肉の味を覚え、肉食一般に抵抗なくなっていくわけです。牛肉大和煮缶は、日清・日露の戦争でも大活躍し、さらに終戦後、缶詰のストックを業者がダンピングで民間に廉価で売り出し、安くて美味しくて栄養もあるということで、巷でも大人気。日本人一般もこれで肉の味を知り、肉食が普及していく…というわけで、軍隊食から日本人の食生活が変わっていった、という例です。

 ちなみに、牛肉大和煮缶と似た普及のしかたをしたものに、パンがあります。パンが庶民の食生活まで定着したのは大正も終わりなってからなのですが、軍隊では早くから、戦争中の携帯食として乾パンが支給されてました。
 パンのほうが炊飯の手間がいらなくて軍隊には楽なので、兵営でもパン食導入を試行してたようなのですが、やはりおコメで育った日本人のDNAは変えられず、パン食生活には至りませんでした。
でも、軍隊でパンの需要ができたため、御用パン屋という業種が出現し、また満期除隊してから手っ取り早くパン屋を開く兵隊もけっこういたりして、それで日本にパンが普及したという事情があるようです。これは日露戦争よりあとの話ですが。

 脚気問題と森鴎外

 海軍と陸軍を比べて見ると、海軍のほうが洋食化の進みが速く、ビタミンB1豊富な豚肉や、牛乳なども取り入れ、パン食も始まっていたのです。
 というのは、一般から徴兵されてきた兵士に脚気があまりにも多く、罹患率が3割にもなって、それでは軍隊が使い物にならないわけですね。これはなにか、食生活に問題があるのでは…と、すばらしい先見の明で気付いた軍医がいました。高木兼寛という人です。
 とにかく従来の日本型の食事がダメなら、洋食にすればいいんでないか、飯でなくてパンのほうがいいんじゃないか、ということで試行錯誤して、兵食改革を行ったわけです。先のカレーやシチウをはじめ、思いっきりバタ臭い献立に変えてみたら、脚気の罹患率がガタッと減ったんですね。明治17年の話です。日清戦争や、日露戦争で殊勲をあげる海軍の活躍には、このような食生活の下支えがありました。

 陸軍ではこうは行かなかったのです。脚気の原因が食生活にあるという海軍説を、断固として否定して、脚気は伝染病だ、衛生上の問題だ、白米を沢山食べて体力をつけさせればいいんだ、と言い張る軍医長が、兵士の食生活を相変わらず白米6合の世界に停滞させてたんですね。この軍医長というのが…はい、森林太郎(鴎外)なんです。
 しつこいようですが、当時まだ世界的にも、ビタミンのはたらきは解明されてませんでしたので、脚気と食生活を結びつけて考えられなかったのは鴎外の失点とばかりはいえないのですが…。
 でも、この人が日露戦争まで頑固に自説をまげず、海軍の改善例に学ぶということもなかったため、陸軍の兵隊は日露戦争がおわるまで脚気で苦しむことになります。ようやく陸軍が兵食改革をおこない、麦ご飯の導入で脚気の罹患率がカンタンに激減に転じるのが大正になってから というのですから、やっぱりこれは、医師としての鴎外の汚点かも。…


4 コメント

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カレーvsカリー (SFurrow)
2009-12-28 00:22:35
横浜から湘南のほうに行くと「横須賀軍艦カレー」をいっぱい売ってますね。牛肉とジャガイモを入れるのは英国海軍経由になった時に英国の農産物が利用されたと聞きます。でも私はビーフじゃなくてチキン系の新宿中村屋の「インドカリー」のほうが好みだな~。「インド独立の志士」ってのがいいじゃないですか。日本に入ってきたカレーはこの2系統以外にもあるんでしょうかね。
年代性別の差なく誰でも好きなメニューになった今でも、「カレー味の●●●or●●●味のカレー:究極の選択」などというギャグが出るくらいだから、当初は結構反発もあったでしょうね~(笑)
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体格と食事 (嘘苦斎)
2009-12-28 05:30:08
カレーが海軍食から始まったというのは、拝読してみればどこかで聞いたことがあるような気もしますが、
揺れる船の中で食べるためにとろみをつけ、ご飯にかけるようになったことは知らず、勉強になりました。
カレーライス食べたくなった……(笑)。

前回は小村寿太郎が「日本人は小さい」と侮辱される場面がありましたが、
きっと食事のせいもあったんでしょうね。
同じ米食民族でも、中国人や朝鮮人の方が大柄なのは、
彼らにとって肉食はタブーではなかったからなんでしょうね。
特に朝鮮人は高麗時代に遊牧民族のモンゴルに支配され、
鎌倉時代の日本に一緒に攻め寄せて来ているし。
韓国時代劇も見ているのですが、
朝鮮王朝の給食部門の用語にはモンゴル語起源のものが多いらしいです。

でも考えようによっては、
昔の日本人って世界で一番エコな食生活をしていたんじゃなかろうか?
必要以上に自然から収奪しないことで、
自らの体格を生きていく上で必要最小限の大きさにとどめていたのだから。
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イギリス経由だと… (庵主)
2009-12-30 20:59:45
SFurrowさん

伊丹十三さんのエッセーによりますと、英国人は外国の料理を自分好みのアレンジってしないそうで、ロンドンで食べられるカレーはインドで作っているそのままだと思ってよいと。そのかわり、フランス人と日本人は全部我流にアレンジして、ほぼ別物にしてしまう。カレーはその国民性が良く出てるお料理だとか。
たぶん、英国経由で海軍に来たときには、インド料理の原型をとどめていたんでしょうね。インドでは牛肉を食しませんから、そこはアレンジだというのは納得。

わたしも中村屋のチキンカリー好きなんですよ。たくさんの薬味がたのしいし、あのホロホロッとした鶏肉がいいんですよね。たべたくなってきた。
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肉食人種との違い (庵主)
2009-12-30 21:06:47
嘘苦斎さん

>同じ米食民族でも、中国人や朝鮮人の方が大柄なのは、彼らにとって肉食はタブーではなかったからなんでしょうね。

それはもう、絶対ですよね。知り合いにインド人が居るのですが、彼らはカーストによって食べられる食品がちがうじゃないですか。で、鶏肉くらいならタブーじゃない階級もあるんですけど、その人たちの体格は、菜食階級の人たちと全然違うんですよね。なんか、筋骨がちがうんです。あきらかに。菜食階級の人はすごくナヨッとして見えたりします。
たぶん、同時代の日本人と中国人とかの違いも相当だったと思いますが…。なんかいまだに、血の気の多さとか体温とか、違うような気もしますよね(笑)

>朝鮮王朝の給食部門の用語にはモンゴル語起源のものが多いらしいです

ほー! それは意外なお話ですね。なんか、モンゴルって、羊の肉と馬乳酒しか食べていないような気がするけど(笑)。あの多彩な薬膳とかの韓国料理と、そんなとこで繋がるとは。
しかし、ほんとにこういうこと話してるとカレー食べたくなってきますね(笑)。
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