como siempre 遊人庵的日常

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八重の桜 第15回

2013-04-18 22:52:09 | 過去作倉庫11~14
 はいっ、幕末劇の山場のひとつ、薩長同盟と、第二次長州征伐を描きます今回です。
 冒頭のアバンから感動してしまったのですが、参内する二条関白を大久保一蔵(徳重聡)が恫喝で引き留めて、征長の勅を決める朝議を妨害、一橋慶喜(小泉孝太郎)が「いち匹夫に朝議が左右されるなんて」と言って、一会桑の総辞職を言い出して朝議を脅迫、それで長州征伐がきまる…とう、このあたり史実を押さえ、正確にやってました。
アバンでこのクオリティですから、内容はさらに濃く、薩長同盟を、冷静な史実通りに的確に一筆書き。薩長同盟ぜよとか言ってくだらない作り話にダラダラ時間をくい、肝心の同盟の要点もろくに説明できず、ただ龍馬さんのマンセー話をやりたかっただけという、あのどうしようもない駄作クオリティで溜ったままだったストレスを、三年ぶりに解消してくれました。

 今週は歴史的に面白いとこ盛りだくさんなので、ちょっと変則で

第15話「薩長の密約」&出直し学習会マッシュアップ 薩長同盟~第二次長州征伐までをみます!

○ ジョー、ボストンに到着。

 アバンでは、二回目の登場になります新島ジョーが、1965年の7月にボストンに到着していました。函館から船に乗って、ボストン。えらい遠回りですね。なんでまた?と思ったら、このひとが函館から密航したのは上海行きの船で、そのあと上海で喜望峰回り欧州航路の船に乗りついで、地球を3/4周くらいしてアメリカの東海岸へ着いているわけなのね。そりゃまあ1年くらいかかるわ…という壮大な航路です。

○ 第二次征長の勅と、薩摩の妨害の背景

 実はドラマには出てきませんけど、この時期の朝廷と幕府が大騒ぎになっていたのは、長州問題だけじゃなかったんですね。
 この時期、幕府とって長州よりもきつかったのは、兵庫の開港を迫っていた四か国の圧力でした。その先頭に立つ英国公使ハリー・パークスに、兵庫を開港し、さらに長いこと棚上げになっていた通商条約の勅許をとって開国を国際的に正式なものにせよ、ダメならミカドに直談判させてもらうと強硬に迫られてて、取り急ぎ孝明天皇に勅を出してもらわないと、幕府としては顔が立たない状態になってたのです。
 とくに兵庫開港については、慶喜が責任もって天皇を説得する立場だったので、焦っているわけですよ。そんなことで朝議も紛糾するのですが、薩摩に操縦されてる右大臣の近衛忠房が、「長州処分は諸侯の意見をきき、合議で決定するべき」だといって一人反対し、決議を取らせない。幕府代表の一・会・桑はこれに真っ向から対立して、長州が朝敵なのは自明のことで、その処分の是非をみんなに聞いて決めてるようでは朝廷の権威にかかわる!と強く非難します。
 で、長州征伐の勅を出すという方向で朝議が決まりかけたところ、長州出兵の中止を画策していた薩摩の大久保一蔵が、関白二条斉敬の屋敷に押しかけて、勅許させるなとしつこく迫って参内を妨害しました。おかげで二条関白は、朝議に半日以上遅刻してしまい、イラついた慶喜が、薩摩の大久保の妨害の話を聞いてブチ切れ。「一匹夫の策謀で朝議が左右されるのであれば、将軍以下全員が職を辞すほかなし」(意訳=「ざけんなよ、薩摩のイモ一匹に振り回されて、やってらんねーよ。俺らやめるから。江戸帰るから」)といって脅しをかましました。
 忌み恐れる外国人が京都の鼻先の兵庫まできている状態で、一・会・桑に一斉に去られるのは、天皇にとっては恐怖であり、この脅しで震え上がった主上のひとこえで、征長の勅と、ついでに条約勅許も(こっちはちょっとゴタゴタ揉めたけど)降ります。おかげで幕府にとっては厄介ごとがまとめて解決した結果になりました。ちなみに兵庫開港は、またまた幕府のいつもの手で、漠然と「数年以内」の延期です…と、ざっとこんなとこが、冒頭の場面の背景事情です。
 ドラマ上では、声イケメンの大久保どんが、「長州をせめてはないもはん!ないもはんっつったらないもはん!!」と言って体を張って二条関白を止め、慶喜が青筋立ててブチ切れて、横で顔を引きつらせている容保様(綾野剛)とか、ほんとにこーだったんじゃないかしらってくらい良くできてました。短いシーンなのに、歴史の重要なポイントを付いていて気持ちいいです。

○ 薩長同盟、成立

 これはもうあまりに有名なお話なので、あらためて説明するまでもないのですが、今回は幕末劇としては非常にめずらしく、「脱藩浪士の仲介で」とだけいって、背中の桔梗紋だけチラッとみせて処理したのはクールでした。これは特筆しときたいと思います。
 薩摩がなにをやりたかったかというと、武力倒幕というのはもっと先の段階で、とりあえず幕府からの事実上の独立。幕府を見限っていたにはいたんだけど、だから倒すというほど煮詰まったものでもなく、さしあたっていまでいう地方分権とか、道州制みたいな政治スタイルを描いていたわけですよね。。
 そのために、期日の差し迫った兵庫開港で、幕府にこれ以上に対外貿易の利益を独占されるのは阻止したい。で、(はからずも朝敵というかたちで)幕府と敵対して独立の道をあゆむ長州と組む、ということを考えたわけです。それは長州=朝敵→征伐という考えでいっぱいになっている幕府や朝廷サイドには、まったく想像もつかぬ発想の転換でした。
 と、こういうあたりが、ありがちな幕末劇だとあまりちゃんと描けなくて、ただ漠然と坂本龍馬の手柄にしちゃって、あとは流れで倒幕イケイケドンドン、となるんだけど、今回はここまでの対立軸がしっかり描けていたので、薩長同盟の本来の意味も表にでていたし、よかったと思いますよ。
 というか、薩長同盟の意味をしっかり説明するには、仮想敵としての会津の存在って、実は不可欠だったんですね。今回はそれで目からウロコがおちました。そうか、龍馬伝とか篤姫で、薩長同盟がなんだか意味不明なイベントになっちゃってたのは、会津の存在感がなかったからだ!

 で、薩長同盟の、意味はともかくシチュエーションは、いまや福山雅治のファンでも知ってるくらいのメジャーな話ですし、何もひねらずそのままやっといてくればいいです。大久保・西郷・桂役のみなさんも、淡々といい仕事してますから。
 とくにこの段階で気持ちが乱れて、「薩摩にあたまを下げては一歩も引かずに戦って死んだ仲間に申し訳が立たないっ!」と、長州からの同盟の申し入れを拒む桂小五郎(及川光博)は良いです。このときは改名して木戸寛治になっていたはずですが、まあ、めんどくさいからね、改名問題は。でも明治まで話が続くならどっかで木戸にならないとまずいわけで、この史実通りのタイミングで名前変えてはなぜいけないんでしょうか。
 それはともかく、この桂=木戸さんの、ベタベタに情緒的な感じはなかなか良い。「会津とはもう切れもした」とアッサリいう西郷(吉川晃司)の真っ黒さとの対照も良かった。こういう重要な歴史事件の場面は、ピンポイントな描写で、そんなに長尺使ったり長々と回想シーンを引いてこなくても、史実にくわえて人物それぞれの感情面なども説明できる好例です。これは脚本と演出のよさと、なによりそこまでの史実描写の正しさの結果なんだよね。大河ドラマでこういう知的な作業が見られるのは喜ばしいです。なんせ久しくその種の知性とは縁が無かったので…(ボソ)。

○ 幕府歩兵隊について補足

 そうはいっても大きなイベントの長州戦争が、まったく映像がでず、ナレーションと伝聞処理だけで済まされたのは、ここまでの盛り上げがよかっただけに、ちょっと拍子抜け。会津が出陣してないから、いいっていえばいいんだけど、やっぱ盛り上がらないです。
 そのまえに、江戸から将軍の出陣についてきた「幕府歩兵隊」が、京都の町で狼藉をはたらき、新選組の斎藤一(降谷健志)にコテンパンにされる…という場面が、佐川官兵衛(中村獅童)との出会いなどからめて描かれます。
 獅童さんがたっぱがあるので、例の斎藤一役の、新選組始末記の土方歳三の息子さんが、えらく寸詰まったような体形が目立ってしまい、アラアラ…という感じではありました。あまりに大人と子供みたいなのも、見た目にギャグになってしまいます。
 剣豪役っていうのは、やっぱし、細くても背のある人をつかわないとそれっぽく見えないし、この土方歳三の息子さんも、どういう必要性があって斎藤一役をやってんのか、ちょっとわかんないですよね。ほかにも役者はいくらでもいると思いますけど。

 で、幕府歩兵隊ですね。幕府歩兵隊は、将軍家茂が長州征伐の指揮をとるために出陣(慶応元年5月)したときに一緒についてきました。大島口の戦いで長州戦争の戦端が開かれた慶応2年6月なので、丸1年以上も待機していたことになります。どこで待機してたかと言うと、基本的には将軍家茂の本陣が置かれた大阪ですね。
 なので、ドラマ中の幕府歩兵隊の人たちが、京都の町中で酔っ払って狼藉に及んだり、市民に迷惑をかけている描写は、どういう状況かわかんないのですが、京都に買い物か、遊びにでもきてたのでしょうか。
 ちなみに幕府歩兵隊とは、文久の兵制改革のときに創設された西洋スタイルの軍隊の試行作品であります。文久二年に兵賦令が発布され、旗本はその知行地から、石高に応じた人数の兵士を供出することになりました。文久三年に江戸に官舎が立てられて訓練がはじまり、手探り状態ながら、それでも百姓の息子たちが鉄砲を持ち、号令にあわせて行進したり、軍隊運動をすることができるまでに成長。ちなみに、銃を支給された歩兵が百姓に限定されたのは、兵士を取りまとめる士官クラスの旗本たちが、鉄砲などは足軽など下賤の者の持ち物であると嫌悪したからです。
 歩兵隊の名誉のために(?)補足しておきますと、長州征伐のために出陣してきた将軍の軍隊で、いちばん素行がわるかったのは、江戸の旗本・御家人クラスの直参の武士たちだったようです。
 1万人以上の江戸の男が、1年近くも大阪に留め置かれてやることがなにもなく、暇を持て余していたわけですから…。差し迫った長州戦争の緊張感など一切なくて、ほんとに太平楽に遊び暮らし、この時期の大阪の飲食・興業・風俗等の業界に、異様なテンションの遊興バブルに染め上げました。まがりなりにも軍隊として訓練され、実戦の経験もある歩兵隊なんか、これにくらべれば全然いいほうだったはずです。
 この歩兵隊の狼藉の描写は、長州戦争後にいったん解雇された歩兵が、吉原などで打ち毀し騒乱事件をおこした件をスライドさせているのかも。でもそれは全然事情がちがう事件なので、これは、ちょっとどうかと思う描写ではあります。
(ところで、この大阪滞在中の幕府軍については、野口武彦さんの「幕末気分」(講談社文庫)に活写されてますが、この稿の参考に読み返してみたら、もう面白くてゲラゲラわらってしまった。ご興味あるかたは、ぜひご一読を。面白いよ~)

○ゲベール銃とミニエー銃

 そんな次第で、全藩あげて必死で戦った長州軍が、幕府と諸藩連合を各地で撃破して、おどろくことに圧勝してしまった…というのは、幕末史、いえ日本史の、歴史を変えた活劇の一つとして広く人口に膾炙されるところであります。
 ドラマでは戦争の詳細は取り上げられませんでしたけど、長州軍が標準装備していたのが、施錠式(ライフル)のミニエー銃であり、滑腔式のゲベール銃では相手にならなかった、という話は出てきます。会津も遅ればせながら、ミニエー銃を標準装備しなければ…ということで、覚馬(西島秀俊)と修理(斎藤工)が、長崎に派遣されることになるのでした。
 このとき長州軍が使ったミニエー銃は、坂本龍馬の仲介で、薩摩の小松帯刀が名義貸しし、長州の伊藤俊介と井上聞多が、長崎のグラバーから買い付けた…というのは、龍馬伝見ていた方ならご存知のことですよね。
 グラバーから買い付けたのはミニエー銃4千三百、ゲベール銃3千で、おねだんは、ミニエーが一挺18両、ゲベールが5両だったそう。時代遅れのゲベールをあえて抱き合わせで買ったのは、御予算内で一つでも多く銃をそろえたかったからかな?(それかセット売りで割引になっていたとか)。
 昔の貨幣価値を換算するのは無理があるのですが、あえてざっくり通説のように1両=4万円と考えても、ミニエーは一挺72万円もする。すごい高級品ですよ。まあ、幕末期の相場の急激な下落で、その半分程度としたって、やっぱり何十万もする高級品にはちがいなく、そういうのを庶民出身の奇兵隊など諸隊に標準装備する長州の本気度と、先見性がわかりますよね。
 じゃあ当藩もやりましょうと、右から左に何千も、すぐ買い込むというのも出来ない相談で、特に東北の会津で、コメの作柄も思わしくない年などに、銃器の一新というのが血の涙を流す苦悩の決断だというのもわかります。ただ頭が固いというだけではないのですね。

○ 慶喜七変化

 そして大坂城で、かねて病と闘っていた将軍・家茂が薨去し、長州戦争はそれを潮に無理やりに休戦に持ち込まれることになります。休戦といったって、限りなく幕府の敗北に近い状態での手打ちには違いないのですが。
 そして、次期将軍は当然、慶喜。…ところが慶喜は、義務として徳川宗家は相続するけど、将軍職は御免をこうむる、という。「良いではないか。(将軍の座を)しばらくあけておいても」、と不敵にわらう。そして慶喜は、自分が出陣して長州戦争にケリつける!と立候補して周囲をおどろかせるのでした。
 いやあ、小泉孝太郎くん! すばらしい。ほんとに、血は争えないって感じがする。この時期の慶喜はほんっとに、その七変化っぷりで世の中を手玉にとって翻弄していくのですが、この慶喜をただの小物とか、ガラスのエリートみたいな簡単な描き方をしちゃうのが多いんだよね。そんな中で、このシタタカな感じはイケますよ。上品だし、顔も古写真に似てるし、いうことないです。このあとの慶喜がからむイベントがめちゃくちゃ楽しみです。
 そして、そんな悪魔のような慶喜の本心など想像もつかぬ、純情な容保様は…。「一橋様は、長州戦争に勝って自分のねうちを釣り上げて、将軍の座につかれるおつもり」と察しながらも、でも一橋様ならやるに違いない、長州に勝ったら晴れて会津も守護職のお役を御免となり、会津に帰れる。みんなの苦労も報われる…と、目を潤ませる容保様が、ああもう痛々しい…。
 そしてこのあと10日もしないで、慶喜は、出陣宣言をコロッとひっくり返し、征長の中止と解兵を、孝明天皇に内奏するのですね。その衝撃を、無垢な容保様がくらったショックで表現してましたが…。
 もう、ほんと痛ましいですよ。このあと容保様にはつらい出来事しか待っていないので、せつないですけど、見守りたいと思います。いえ、実は楽しみなんですけど(←不謹慎)。こんなに容保様の痛々しさを、真っ向から描いた映像作品ってなかったと思うので。それにしても綾野剛君の容保と、小泉孝太郎君の慶喜ってのは、放映前にはここまでハマるとは想像もしなかった。歴史に残るキャストだわ。うん。

…ああっ、ここまで書いて、ヒロインの八重ちゃん(綾瀬はるか)についてなにも書くことがないことに気づいた…!
 うん、まあ…歴史劇として見ごたえがあって満足感が高くても、女主人公の一代記ドラマとしては少々問題があるのは、こうなると否定できないけど……まあ、いいよね? ヒロインドラマのお約束ごとである「火事」も出して、盛り上げようという努力は見えますし(そこですか…)
 そんで来週は黒木メイサ(中野竹子)も投入されんのよね。べつにそっちで盛り上がらなくてもちっとも構わないんだけど(オイ)、まあ、そこも見どころのひとつとして楽しみにしたいと思います。

また来週っ!


3 コメント

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Unknown ()
2013-04-18 23:45:00
あのー、この年の会津大火は史実ですので、話を盛り上げるためにでっち上げたみたいな書き方はいかがなものでしょうか。
国許の困窮に拍車をかけることにもなった不幸です。
黒木メイサの竹子にそんなに重点置かなくていいというのは同意です。
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回を追う毎に楽しみが増します (素問)
2013-04-26 05:01:15
僕も背中の桔梗紋だけチラッと映す演出は優れものだと思いました。

巷では坂本龍馬の扱いが軽すぎると批難する向きもあるようですが、当時の情勢から見れば龍馬は得体の知れない一介の浪士でしかないのですから、あの描写が正解だと思いました。

また僕は今まで坂本龍馬に対して「好きな人物だけどどうも人物像が掴みきれない」と感じていたのが、あのシーンを観てはっきりと理解できました。

無位無冠無役ではあるものの逆にそれを利点として、旺盛な好奇心と行動力そして裕福な実家からの仕送りを元に勝や西郷・桂といった「有名人の間を動き回る御用聞き」の役割を果たしたのだとわかりました。

沢山の有名人と面識があるのに維新後までしばらく名前が表に出なかったのは、龍馬の活動そのものが裏方だったからですね。

今月からNHKBSで龍馬伝の再放送が始まっていますが、その辺も合わせてじっくり見直してみようと思います。

また薩摩陣営と慶喜のしたたかな牽制の仕合など、見所が次々と出てきて早く次回が観たくて仕方ありません。(^_^;)
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Unknown (ayn)
2013-04-26 08:04:21
綾野ファンです。
詳細な解説かつ、ファンとしてうれしい内容満載で
毎回楽しみに拝見しています。
更新がないので、寂しくなって
コメ入れてしまいました!!

よろしくお願いします。(´Д` )
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