como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

塚原卜伝 第1話「鹿島の太刀」

2011-10-10 11:18:17 | 過去作倉庫11~14
 裏大河ファンの皆さま、お久しぶりでございます。
 前作「テンペスト」を挫折してから、ほぼ1ヶ月のご無沙汰でございます。しばしのあいだ沈黙させていただいて、あまりにも口にあわなかった「テンペスト」レビューで味わった、O157とノロウィルスがダブルで襲い来たような苦しみの後遺症を癒やしておりました。
 
 「テンペスト」ファンのみなさまには今更申し訳ないんですけど、ホント辛かった…。けっきょく、ペリーと対面したあたりでに力尽きました。もう今更いろいろ言うのは控えますが、まあ、わかったのは、好みにあわないものを頑張って楽しげなレビューを(Gacktさんのパートだけはホントに面白かったけど)毎回書くっていうのは、回復の難しい疲労感を心に蓄積させるってことですね。

 そんな理由で、「塚原卜伝」も、実は最初から見る気がしなくって、ちょっと休んで傷を癒そう、でないと本命の「坂・雲」のときに力尽きてしまう、と思ったりしました。
 でも、初心にかえって考えるにこのblogはそもそも、「坂・雲」の完結までのレビューを最終目標にしてますから、そのファイナル直前に、ゲテモノに食あたりして打ちのめされて再起不能になってちゃしょうがないじゃない? と、まあそんなことで、とりあえずリハビリかねて、ぽつぽつとレビューを試みてみようと思います。
 なにぶんにも、このように息も絶え絶えな状態ですので、お察しいただき…コメントも、今回はまた御免願って参りたいと存じますので、ご了承くださいますようお願いします。

 ってなわけで「塚原卜伝」。原作は、津本陽先生の「塚原卜伝十二番勝負」でございます。
 津本先生の剣豪小説は、少々かじったくらいの印象ですが、実にサッパリしておりますよね。あんま陰惨な時代層とか、主人公の負った業とか暗い過去、みたいなドロドロは出てこない、ように思います。剣豪なら剣豪の、その剣がいかに豪であるかということに集中してて、それはそれでカラっとしてて嫌いじゃないです。
 前に水曜時代劇で、村上弘明さん主演の「柳生十兵衛七番勝負」シリーズってあったけど、あの路線を継承してるのかな。NHKの剣豪ドラマはあのシリーズが最後だったかと思いますが、剣豪復活の試みは、非常にうれしいし結構なことだと思います。
 以前の剣豪ものドラマに欠かせぬ顔だった脇役俳優陣が、嬉々として出演なさってるのもいいですね。ベテランが若い世代に、時代劇の立ち居振る舞いやカッチョイイ殺陣のノウハウなんかを伝授し、製作陣も、過去作の伝承を大事にしつつ、あらたな映像表現にも挑戦していく。そういうのって、出来た作品の良し悪しは別にしても、趣旨じたいに希望を感じていいいいなあ。
 あらたな時代劇俳優の登竜門だったり、意外な俳優の時代劇的才能の発掘、そしてもちろん、村上弘明や榎木孝明あたりで途絶えた時代劇「らしい」主演格スターのポジションに、いま30代から40前後の脂の乗った世代の中堅俳優の、誰が頭一つ抜けて出てくるか…。そのあたりを見ていくのも、ファンとしてはたまらない楽しみでありますね。

 で、今回、そのお試し場に登壇されるのは、堺雅人さんです。

第1話「鹿島の太刀」

 ときは16世紀初頭。鹿島の国は鹿島神宮の神官の家に生まれた、いたってフツーの男の子、塚原新右衛門は、鹿島神宮の御戸開神事の夜、御神体を一目見ようと神社にいって、そこで不思議な御託宣を得ます。ベタですが、お前はこれから鹿島の剣を護るために命を賭けることになるよ…というのですね。
 この鹿島神宮の御神体に使えているのが、物忌様と呼ばれる女性神職みたいな人で、これを江波杏子が演じてます。一瞬、巫女さんたちの赤い袴とかにテ〇ペストのトラウマが蘇りましたが(傷は深いですね)、うん、大丈夫でした。古い神社の土俗的な感じとか、なんか日本の原風景のようで、なつかしくもあります。
 成長した新右衛門(堺雅人)は、17,8歳になって元服すると、「廻国修行に出たい。全国の剣豪と渡り合って腕を磨きたい」と言い出します。
 お殿様やまわりの大人たちは必死になって止めるわけです。っていうのは、新右衛門は幼い頃から剣才のほまれ高く、お父さんや親戚たちが大事に大事に育ててきた掌中の玉。しかも、鹿島では名門の塚原家の養子として、将来を期待されているエリートでもあります。そんな大事な子を武者修行なんかに出して、傷でもついたらどうするのか。
…っとこの時点で、主人公がもう大事に大事に、ちやほやされちゃってて、そのあたりもよくあるハングリー(設定だけは)な剣豪ものと違いますよね。べつに何不自由もなくノホホーンと育った新右衛門が、望みっていっても別にないけど、まあしいて言えば広い世界をみたいかな、みたいな。軽薄無責任な感じも妙に今風であります。

 鹿島は鹿島神宮のご神威にまもられ…というかようは諸国から鹿島詣でにくるおのぼりさんの観光収入で食っていたんだけど、打ち続く戦乱のために客足も途絶え、すっかり廃れてしまった。神宮のご神威もおちる一方で、お金がないから神社の修繕もろくにできないわけですね。殿さまに訴えても、戦乱の世のことで城の防衛強化のほうが関心事であり、神社の修繕なんてものには予算がもらえない。
 そんなところに、神宮に夜盗が押し入り、境内を血で汚す事件がおこります。神域に夜盗がどんどん入ってきちゃうという、鹿島神宮の神威の衰えに打ちのめされて、ともに神宮の神官である新右衛門の実父(中村錦之助)と、剣の師匠(永島敏行)は話し合いました。
 このさい新右衛門を廻国修行に出してしまえば?彼がそのイケメンと剣の腕で全国で名を売り、ファンを獲得して、鹿島観光をアピールしてあるけば、ふたたび観光客の客足も回復し、お金がバンバン入るようになり、神社の修繕なんかも出来るかもよ、と。なんかえらくセコくていじましい理由だったりなんかして。
…そんな世知辛い大人の事情で、観光親善大使のノリで全国営業に出された新右衛門君。本人はいたってハッピーそうですが、すごく迷惑な顔をしてついていく男がひとり。従者の山崎左門(平岳大)です。
 この平さんが、意外やいい味をだしてんの。この方、平幹二朗さんと佐久間良子さんのご子息ということで、なんか無駄な貴公子オーラをまとってデビューしたんですけど、じつはこういう、ノホホンとした三枚目のほうがハマるんじゃないでしょうか。以前なら、平田満さんとか寺田農さんの役どころですね。あと、左とん平さんとか、もっと古いとこでは南伸介さん、みたいな(それはさすがに古すぎw)。

 んで、まあ今週のオハナシは、その新右衛門と左門の凸凹コンビが、楽しそうに旅をしながら、農村を荒らす野武士に立ち向かって村を護って戦い、「ほんとうに勝ったのはこの百姓たちかもしれん」みたいなことを遠い目をして呟いたり(←それ違う映画)、挑戦者求むの高札に引かれて腕自慢の剣豪と御前試合し、みごと勝って殿さまの覚えもめでたく、臨時剣術教師に召抱えられたり…とゆー、何だかはあ、結構づくめのお話であります。
 こんなもんで毎回つづいて7話で最終回じゃ世話はねえやな、とも思ったのですが、とりあえず初回は、かなり無難な安全運転。過去の時代劇作品のセオリー踏襲しつつ、作って見ました試作品、てな感じで。なので、これといって見るべきところもなく、ツッコミどころも格別なかったのですが、強いて言えば、今週のアイキャッチャーは新右衛門が召抱えられたお殿様でしょうね。それはなんと海原雄山であります。
…あ、いえ違います。中尾彬…いや、それ中の人。えーと、伊勢宗瑞。すなわち、北条早雲です。(トグロ巻いてる小田原城のビジュアルも、「風林火山」が懐かしいですね)。
 ここで北条宗雲が出てくるってあたり、大河ドラマ・北条五代への布石のようなニオイもするのですが、先走りすぎの期待でしょうか。とりあえず小田原市は、大河誘致をあせって三流のパツキン丹前作家(火坂雅志ともいう)なんかで手を打つ前に、こういうのを見てじっくり良い原作を探したほうがいいと思います。
 失礼、脱線しました。そんなことで、海原雄山…、ちゃうわ!でもあの髪型、問題ありすぎだよね。パンダうさぎみたい。中尾彬のパンダうさぎ状ツートンカラーのロン毛ヅラなんてのも、たぶん二度とは見られない珍しい見ものでしょうから、それだけでも今回見た甲斐はありました。
 はい、そうでした、伊勢宗瑞ですね。この殿さんは、若き新右衛門に、真面目な顔して、「戦とゆーのは空しいもの、この世の地獄ぢゃ、その方が修行と称して勝ち続ければその数だけ死体が山をなし、なにも世の中よくならんのだけど、そのほうそれを如何する」みたいなことを言ったりします。
 おおーっと、いきなりパンダうさぎ状の中尾彬の口から「みんな仲良ぉせんとイカンぜよ!」みたいな、どっかの誰かが憑依したようなお題目が飛び出したもんだから、寒~い空気が流れてしまったぞ。こーゆー、めざせ世界平和!の前提ありきで時代劇作っていくと、まずろくなもんにならんのだけどな…。でもまあ、まだわかりません。7回かけて、イケメン剣豪が毎回バタバタと強敵を倒し、世界平和を布教して、最後は愛の兜でフィナーレ、みたいなしょうもない話になる…ということも、そうでなきゃいいなあ、とは期待はしときます(そーゆーパターンでもしょうがないや、とも思うけど)。

 若き新右衛門は考えます。闘わずして勝つってどゆこと?負ければ死ぬんじゃん??勝ち続ける以外に目指せッつっても何を目指すわけ??
 と、そういう、わりとラジカルな命題にも「まっ、いいか」とアッケラカンとして、旅を続けるのでありました。
 そう、このアッケラカンとした感じは、悪くないですよ。 途中、新右衛門が「初めて人を…斬った」とか言うとこがあって、それ前々作の「新選組血風録」にもあったんだけど、血風録と違うのは、人を殺めたこと自体にはケロッとしてるんだよね、この人は。で、その興奮が、なにか動物に近いというか、本能的に血が騒ぐ感じだったりして。こういうのは近年の生ぬるいモラトリアム時代劇には無かったので(「血風録」がやりそこなったのはそこのとこよな)、ちょっと良さげに思いました。
 でも、ほんとにケロッとしてるだけのバカっぽい兄ちゃんが主役じゃ問題だけど、そこはそれ、堺雅人さんってそうじゃなくてね。
 この人、映画の「壬生義士伝」で沖田総司をやったときからワタシは注目してたんだけど、笑顔と真顔の落差がすごいのね。そこの落差にそこまでの凄みがある役者さんって、ちょっとほかに考えつかないです。で、それがまた変幻自在で、ほんとに天真爛漫な笑顔も、目だけ笑ってない笑顔も、血ぶるいみたいな獰猛な笑顔とかも、すごいナチュラルに出来ちゃうわけです。それはすごい資質だと思うし、そのへんに、この人が塚原卜伝を演じる意味とか、先々の期待とか、あるんじゃないかとも思えます。

 イマドキの時代劇で剣豪がいかに強いかをを表現するためには、役者さんの身体能力以外にも、いろいろの工夫が必要なわけですが、そのへんも、割り切っていろいろ思いつく限りやって、試してみてる感じ。ストップモーション、スローモーション、コマおくり、ワイヤーアクション、スポットライトも、こーなったらなんでもいろいろやってみて頂戴。効果的な剣豪モノの映像表現なんてことについて、あーだこーだ考察するのも楽しそうだしね。

 あと、予告編。本田博太郎さんのお歯黒&白塗り公家メイクに(ひょええ)、風間杜夫さんとか、山口祐一郎さんも見えたような…。んでもって、榎木孝明さん!!この渋い豪華キャストどうよ。
 予告編まえの「卜伝紀行」なんてのも大河のセルフパロディちっくで楽しげだぞ。

 ではまあ、そんなことで、体力と相談しながらユルユル視聴続けてみたいと思います。「塚原卜伝」
 また来週お目にかかります。んでは。 


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