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アナニヤとサッピラ

2017-05-29 14:11:28 | 日記
<使徒行伝第5章>
教会の生活(5・1-11)アナニヤとサッピラ
(1)ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、
(2)共謀して、その財産をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。
(3)そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。
(4)売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。
(5)アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。
(6)それから、若者たちが立って、その死体を包み、運び出して葬った。
(7)2時間ばかりたってから、たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。
(8)そこで、ペテロが彼女にむかって言った、「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか」。彼女は「そうです、その値段です」と答えた。
(9)ペテロは言った、「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」。
(10) すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。そこに若者たちがはいってきて、女が死んでしまっているのを見、それを運び出してその夫のそばに葬った。
(11)教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた。

教会の生活

2017-05-29 11:45:23 | 日記
<使徒行伝第4章>
教会の生活(4・32-37)
(32)信じた者の群れは、心を一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。
(33)使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。
(34)彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、
(35)使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。
(36)クプロ生れのレビ人でバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、
(37)自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。

み名(キリスト・ロゴス・神の言)にあずけてしまえ

2017-05-28 18:44:44 | 日記
ええい、気になることは
キリストに預けてしまえ、
という気になった。
キリストと言うのは
私は「神の言」(ロゴス)のことを
指している。
「初めに言あり。言は神と共にあり。言は神なりき」
の「神の言」のことである。
自己に宿るキリストに
預けてしまおうと、
今そういう気になった。



円満完全なるものというのは「生命」

2017-05-27 19:24:19 | 日記
円満完全なるものというのは、
「生命」なのだ。
自分の生命だけでなくすべての生命もそうだ。
万物の「生命」が円満完全なのだ。
だから生きているということは
健康であるしかない。
病気の生命なんて
考えられないことだ。
だからもし人が病気であるならば
それは
現象の心、それも迷い心の所産ということになる。

われに「完全なるもの」宿る

2017-05-27 14:21:09 | 日記
癒しの本体は
実は自分自身に宿っている。
この「完全なるもの」は
言葉にするとわかりにくいので
臨済禅師は「無依の真人」と言ったりするし、
道元禅師も言葉で言い切ることをしていない。
キリストは「わが名」(ロゴス・神の言)と説き、
霊とも説いている。
谷口雅春先生は自己に宿る完全なるものを
「生命の実相」と説いたり、「神の子」と説いたりしている。
みんな一つことを言っている。
この自己に宿る完全なる「中心」が宇宙万物・環境世界を
全部創造するのだから、
お釈迦様が蓮華の花を
これが真理だということで大衆に示したのは、
この中心帰一を示唆したのである。
すべての人が
「完全なるもの」を
自己の内にもっている。
この実相円満完全なることを信じ切ることは
神の子円満完全、万物円満完全を「信」ずることだから、
その人はその「信」により
一切合切円満完全を
顕わすことになっていくのだ。