スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

スウェーデンで不発弾発見?

2005-12-08 09:01:17 | コラム
日本では東京で地下鉄の工事の際に、地下から第二次世界大戦当時に投下された不発弾が見つかることがある。周囲の建物からすべての人に退去してもらって、不発弾の処理する、といったニュースは、スウェーデンでも国際ニュースの端っこのほうで取り上げられたりしている。

第二次世界大戦に、運良く巻き込まれなかったスウェーデンは似たような出来事はないのかと思いきや、今日こんな事件が起こった。

ヨーテボリ沖合いで操業していたトロール船が、昨夜遅く、漁を終えてヨーテボリ港に戻り、取れた魚を市場の横に水揚げしたところ、普段よりも網が重く、別のクレーン車を使ってやっとのことで水揚げをした。魚の中に混じっていたのは、大きな鉄の塊。でもその時は、何の疑いも持たれなかった。

さて、今朝がたに明らかになったのは、実はこれが機雷だったということ。(機雷というのは、海に敷設され、艦船が触れると爆発する、海の“地雷”。スウェーデン語では、両方ともmina(地雷)と呼ぶ)第二次世界大戦当時のものだと推測された。最悪なことに、この機雷の起爆装置は未だにアクティブで、いつそれが作動してもおかしくないとのこと。



急遽、警察が出動し、ヨーテボリの魚市場の周囲1.2kmを封鎖してしまった。通勤客が職場に向かい始める時間と重なってしまった。魚市場横を通過する幹線道路はこの時間は通常ごった返すのだ。それが閉鎖されてしまったために、通勤客は市内に乗り入れることができず、大渋滞が発生。魚市場付近の建物が立ち入り禁止となったばかりではなく、ヨータ運河の対岸の建物も1.2km圏内に入ったため、退去を余儀なくされた。ちなみに、私のオフィスがある大学の建物は、現場から2km。かろうじて、逃れている。

海の交通も大混乱を来たした。というのも、魚市場がある並びは、ちょうどフェリーの発着場になっており、ヨーテボリとデンマーク、イギリスを結ぶフェリーが立て続けに出たり入ったりしているところなのだ。そこも閉鎖され、運河の河口の海上交通もすべてストップしてしまったので、やってくるフェリーは港に着くことができず、ヨーテボリ沖合いに数珠繋ぎになって立ち往生。



さてさて、近年の国防軍の縮小で、ヨーテボリの海軍部隊はあいにく閉鎖されたばかり。なので、機雷のエキスパートは残る海軍部隊があるストックホルムから、わざわざ派遣されることになった。待つこと数時間。彼らによって明らかになったのは、この機雷が第二次大戦当時のものではなく、なんと第一次大戦当時のものであること。1918年のイギリス製と判明した。

トロール船が丁寧におき残してくれた、このありがたいお土産は、明日、海水中に沈めた上でヨーテボリの沖合いに船で運び出して、そこで爆破処理をすることになった。触らない限りは大丈夫だということで、午後から退去勧告は緩和され、交通もほぼ元通りになった。



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今回のようなハプニングは、これが初めてではないそうだ。漁船が一緒に吊り上げて港に持ち帰ることはこれまでも合ったらしいが、起爆装置がまだ作動している機雷が陸に引き上げられるのは、ごく稀だということだ。

第一次世界大戦では、ドイツが開発した新型兵器「潜水艦(U-båt)」が民間の商船をも標的にする無差別攻撃を繰り返したために、イギリスを始めとする国々が機雷を敷設して、ドイツの潜水艦の航行を妨げようとしたという。今回の機雷もその一つ。

また、第二次世界大戦では、スウェーデン周辺の国々はドイツに占領されている。ノルウェー、デンマークはドイツの手に落ちた。スウェーデンとデンマークの間のKattegatt海峡は北海とバルト海を結ぶ重要な航路であり、ここでドイツの動きを阻むべく、連合国のイギリスが数千におよぶ数の機雷を敷設した。また、中立国のスウェーデン海軍もドイツの急襲からヨーテボリを守るべくヨーテボリ沖合い一帯に機雷を敷設したという。

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さて、今回の事件で、ヨーテボリでは今朝は魚のセリが行われなかった。ヨーテボリの魚市場はスウェーデン西海岸で獲れた魚が集まってくるだけでなく、ノルウェーなどから輸入される魚介類も、一度ヨーテボリに運ばれた後に、スウェーデン全国にさばかれて行くのだそうだ。だから、クリスマスを前にした、魚介類の需要の高い季節だけに、各地で魚の品不足が発生しそうだ。というわけで、まだ機雷が港にあるものの、今夜は特別に市場が開けられ、今朝の分のセリが行われたとのことだ。