ロシアとウクライナ及びEUの争いにおいて、ガス供給はロシアにとって常に外交上の重要な武器だ。先日も、ロシアの国営ガスプロムがウクライナ政府に対して6月分のガス代金の前払いをするよう要求し、5月16日までに支払いがなければガスをストップすると迫っている。その背景として、ロシア側はウクライナが2月、3月、4月分のガス代金を支払っていないことを挙げているが、一方、ウクライナ側は、それはガスの適正な価格を巡ってロシアと揉めているため、それが解決するまで支払いを凍結しているのだ、と主張している。
ウクライナ側は、5月28日までにガス問題が解決しなければ、ストックホルム商工会議所仲裁機関に持ち込み、仲裁を求めるとしている。
なぜここで、ストックホルム商工会議所の仲裁機関が登場するのか、非常に興味深いところだが、ニュースでこの名前を耳にするのは珍しいことではない。ウクライナの内政に圧力をかけたいロシアとウクライナの間では、以前からガスを巡る紛争が繰り返されてきたが、2009年の紛争ではロシア側が「解決できなければ、ストックホルム商工会議所仲裁機関を持ち込む」と脅しをかけていた。
では、このストックホルム商工会議所仲裁機関(The Arbitration Institute of the Stockholm Chamber of Commerce (SCC))とは何なのか?
企業同士や企業と国との間で結ばれる国際的な商取引において、万が一、問題が発生した場合を想定して、その場合の解決方法を契約の中にあらかじめ盛り込んでおくケースが多い。その一つの解決方法が「ストックホルム商工会議所仲裁機関に判断を仰ぎ、調停してもらう」というものだ。
似たような仲裁機関は、パリの国際商業会議所(International Chamber of Commerce (ICC))やロンドン国際仲裁裁判所(The London Court of International Arbitration (LCIA))のほか、主要各国にあるが、仲裁件数で見るとストックホルム商工会議所仲裁機関はそれらの中でもトップ3に入るようだ。
ここには、スウェーデンが冷戦中に東西両陣営の間に位置した中立国であったことが関係しているようだ。西側陣営の国と東側陣営の国の企業同士や国同士が商業契約を結ぶ場合、それぞれの側は当然ながら「問題が生じた場合は、自分たちの国において紛争解決を図りたい」と言って譲らない。その結果、一つの妥協案として選ばれやすいのが、地理的にも政治的にも両者の中間に位置し、信頼が置け、法制度もしっかりしており、英語を流暢に使える弁護士の多いスウェーデンのストックホルムだった。アメリカとソビエト連邦も1977年以降、両国間の通商紛争を解決する場として、ストックホルム商工会議所仲裁機関を指定していた。
紛争調停の場としてのストックホルムの人気は、冷戦終結後も続いている。ガスプロムなどロシアがらみの商取引のほか、90年代以降、経済的な表舞台に躍り出てきた中国の企業も、欧米との商業契約において、ストックホルム商工会議所仲裁機関を選ぶケースが多いようだ。このことは、ストックホルム商工会議所仲裁機関のホームページが、スウェーデン語と英語のほか、ロシア語と中国語で表示されることからも分かる。また、最近の傾向として、中東の国や企業の間でもストックホルムの人気が高まっているようだ。
この機関で仲裁される紛争の数はますます増えているが、企業間や国家間の紛争調停に加え、最近増えているのは企業と国との紛争調停だという。世界中で増え続けている自由貿易協定のためである。
契約締結後に、実際にパートナーとの間で問題が生じた場合、実は仲裁機関に頼らず、どちらかの国の通常の裁判所に持ち込んで判断を仰ぐという解決策もある。しかし、もし契約に仲裁機関に関する規定が盛り込まれている場合は、その仲裁機関での調停が好まれるようだ。その理由は、まず、判断が出るまでの時間が裁判所よりも短いことである。また、もう一つ大きな利点は、仲裁プロセスが当事者以外には秘密であるため、商業機密やデリケートな情報が公表される恐れがないことである。
(ただ、企業が国を訴えるケースにおいては、その秘密主義が批判されているようだ。例えば、これはストックホルム商工会議所仲裁機関が扱った案件ではないが、ある国が立法によって、タバコ広告の規制とパッケージへの健康被害の写真掲載を決めたが、それに対して、大手タバコ企業がその国を相手取り、損害賠償を求めて仲裁機関に訴えたケースがある。この場合、どういう結果になるにしろ、そのプロセスが公開されないのは訴えられた国の市民としては納得がいかないし、そもそも、ある国が自分たちの立法(特に健康や環境保全に関する法律)の結果として、一企業に損害賠償を払わされるのはおかしいという声もある。そのため、最近は自由貿易協定において、仲裁機関の規定を含めない国もあるようだ。)
ロシアとウクライナ間のガスを巡る紛争の他に、私が最近このストックホルム商工会議所仲裁機関の名前を耳にしたのは、ヨーテボリ市と路面電車メーカーとの間の紛争のニュースだ。
ヨーテボリ市交通局は、市内で走らせる路面電車の新車両を、イタリアのメーカーAnsaldobredaに発注したが、納期が大幅にずれ込んだ上に、納入された車両の大部分で、ドアの不具合、エアコンの不具合、運転席の質の悪さ、軋み、雑音、車体の亀裂、車輪とレールの摩耗などのありとあらゆる問題が見つかった。さらに最近は、当初の予想よりも大幅に早くサビの侵食が見つかってもいる。そのため、ヨーテボリ市交通局は不良車両を随時、自前で修理しながら、騙し騙し使っているような状況だ。日によっては、購入した65編成のうち30編成が使用できないこともあるという。そのため、この新型車両の購入をもって退役するはずだった1960年代購入の旧型車両がいまだに市内を走っているし、最近はそれでも車両が足りず、2両で1編成の旧型車両を、1両ずつに分けて、別々に走らせたりもしている。とんだマガイ物を掴まされた、というのがヨーテボリ市民の率直な感想だろう。
これまで、そして今後の修理費用を誰が負担するのかを巡って、ヨーテボリ市と伊メーカーAnsaldobredaで協議が続いてきたが、話し合いは難航。ついに、ヨーテボリ市交通局は業を煮やして、契約で規定されていたストックホルム商工会議所仲裁機関に訴えることを今年初めに発表した。
「どうして、通常の裁判所ではなく、仲裁機関での調停を選んだのか」という地元紙ジャーナリストの質問に対して、市の担当者は「メーカーとの協議にこれまで長い時間を費やしてしまい、今はとにかく解決を急ぎたい。仲裁機関での調停は少し費用がかさむが、素早い解決を期待できるからだ」と答えている。
bajs
ウクライナ側は、5月28日までにガス問題が解決しなければ、ストックホルム商工会議所仲裁機関に持ち込み、仲裁を求めるとしている。
なぜここで、ストックホルム商工会議所の仲裁機関が登場するのか、非常に興味深いところだが、ニュースでこの名前を耳にするのは珍しいことではない。ウクライナの内政に圧力をかけたいロシアとウクライナの間では、以前からガスを巡る紛争が繰り返されてきたが、2009年の紛争ではロシア側が「解決できなければ、ストックホルム商工会議所仲裁機関を持ち込む」と脅しをかけていた。
では、このストックホルム商工会議所仲裁機関(The Arbitration Institute of the Stockholm Chamber of Commerce (SCC))とは何なのか?
企業同士や企業と国との間で結ばれる国際的な商取引において、万が一、問題が発生した場合を想定して、その場合の解決方法を契約の中にあらかじめ盛り込んでおくケースが多い。その一つの解決方法が「ストックホルム商工会議所仲裁機関に判断を仰ぎ、調停してもらう」というものだ。
似たような仲裁機関は、パリの国際商業会議所(International Chamber of Commerce (ICC))やロンドン国際仲裁裁判所(The London Court of International Arbitration (LCIA))のほか、主要各国にあるが、仲裁件数で見るとストックホルム商工会議所仲裁機関はそれらの中でもトップ3に入るようだ。
ここには、スウェーデンが冷戦中に東西両陣営の間に位置した中立国であったことが関係しているようだ。西側陣営の国と東側陣営の国の企業同士や国同士が商業契約を結ぶ場合、それぞれの側は当然ながら「問題が生じた場合は、自分たちの国において紛争解決を図りたい」と言って譲らない。その結果、一つの妥協案として選ばれやすいのが、地理的にも政治的にも両者の中間に位置し、信頼が置け、法制度もしっかりしており、英語を流暢に使える弁護士の多いスウェーデンのストックホルムだった。アメリカとソビエト連邦も1977年以降、両国間の通商紛争を解決する場として、ストックホルム商工会議所仲裁機関を指定していた。
紛争調停の場としてのストックホルムの人気は、冷戦終結後も続いている。ガスプロムなどロシアがらみの商取引のほか、90年代以降、経済的な表舞台に躍り出てきた中国の企業も、欧米との商業契約において、ストックホルム商工会議所仲裁機関を選ぶケースが多いようだ。このことは、ストックホルム商工会議所仲裁機関のホームページが、スウェーデン語と英語のほか、ロシア語と中国語で表示されることからも分かる。また、最近の傾向として、中東の国や企業の間でもストックホルムの人気が高まっているようだ。
この機関で仲裁される紛争の数はますます増えているが、企業間や国家間の紛争調停に加え、最近増えているのは企業と国との紛争調停だという。世界中で増え続けている自由貿易協定のためである。
契約締結後に、実際にパートナーとの間で問題が生じた場合、実は仲裁機関に頼らず、どちらかの国の通常の裁判所に持ち込んで判断を仰ぐという解決策もある。しかし、もし契約に仲裁機関に関する規定が盛り込まれている場合は、その仲裁機関での調停が好まれるようだ。その理由は、まず、判断が出るまでの時間が裁判所よりも短いことである。また、もう一つ大きな利点は、仲裁プロセスが当事者以外には秘密であるため、商業機密やデリケートな情報が公表される恐れがないことである。
(ただ、企業が国を訴えるケースにおいては、その秘密主義が批判されているようだ。例えば、これはストックホルム商工会議所仲裁機関が扱った案件ではないが、ある国が立法によって、タバコ広告の規制とパッケージへの健康被害の写真掲載を決めたが、それに対して、大手タバコ企業がその国を相手取り、損害賠償を求めて仲裁機関に訴えたケースがある。この場合、どういう結果になるにしろ、そのプロセスが公開されないのは訴えられた国の市民としては納得がいかないし、そもそも、ある国が自分たちの立法(特に健康や環境保全に関する法律)の結果として、一企業に損害賠償を払わされるのはおかしいという声もある。そのため、最近は自由貿易協定において、仲裁機関の規定を含めない国もあるようだ。)
※ ※ ※ ※ ※
ロシアとウクライナ間のガスを巡る紛争の他に、私が最近このストックホルム商工会議所仲裁機関の名前を耳にしたのは、ヨーテボリ市と路面電車メーカーとの間の紛争のニュースだ。
ヨーテボリ市交通局は、市内で走らせる路面電車の新車両を、イタリアのメーカーAnsaldobredaに発注したが、納期が大幅にずれ込んだ上に、納入された車両の大部分で、ドアの不具合、エアコンの不具合、運転席の質の悪さ、軋み、雑音、車体の亀裂、車輪とレールの摩耗などのありとあらゆる問題が見つかった。さらに最近は、当初の予想よりも大幅に早くサビの侵食が見つかってもいる。そのため、ヨーテボリ市交通局は不良車両を随時、自前で修理しながら、騙し騙し使っているような状況だ。日によっては、購入した65編成のうち30編成が使用できないこともあるという。そのため、この新型車両の購入をもって退役するはずだった1960年代購入の旧型車両がいまだに市内を走っているし、最近はそれでも車両が足りず、2両で1編成の旧型車両を、1両ずつに分けて、別々に走らせたりもしている。とんだマガイ物を掴まされた、というのがヨーテボリ市民の率直な感想だろう。
これまで、そして今後の修理費用を誰が負担するのかを巡って、ヨーテボリ市と伊メーカーAnsaldobredaで協議が続いてきたが、話し合いは難航。ついに、ヨーテボリ市交通局は業を煮やして、契約で規定されていたストックホルム商工会議所仲裁機関に訴えることを今年初めに発表した。
「どうして、通常の裁判所ではなく、仲裁機関での調停を選んだのか」という地元紙ジャーナリストの質問に対して、市の担当者は「メーカーとの協議にこれまで長い時間を費やしてしまい、今はとにかく解決を急ぎたい。仲裁機関での調停は少し費用がかさむが、素早い解決を期待できるからだ」と答えている。
bajs