スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

Feministiskt Initiativ (フェミニスト党)-その後

2006-09-17 08:54:25 | 2006年9月総選挙
今日は土曜日。総選挙も明日に迫った。ヨーテボリ市内は普段の土曜日よりもさらに活気づいているようだ。アヴェニュー突き当りのGöta platsenでは、首相Göran Perssonが大演説。Kungsportsplatsenでは、各党の選挙キャンペーン小屋が所狭しと並び、歩いていると次から次へとビラを渡される。サンドイッチマンも登場して、キリスト教民主党のGöran Hägglundをやたらと宣伝しているし、政党だけではなく“動物の権利”といった団体もビラを撒いて、自分たちのよいと思う政党へ投票を呼びかけている。駅近くのショッピングモールNord Stan内では、事前投票(不在者投票)のための大きなブースが立ち、人々が行列をなして事前投票をしようとしていた。

大きな広場Brunnsparkenには例のFeministiskt Initiativ(フェミニスト党)がキャンペーン小屋を構えている。私も立ち寄って、政党マニフェストを手に入れた。前回の書き込みと重なるけれど、フェミニスト党が今回の選挙で掲げている5点とは、
① 女性の賃金の向上
② 男性による暴力の封じ込め
③ 育児休暇の個人化(2分割)
④ あらゆる形の差別の禁止
⑤ 女性の視点から見た社会の構築


このマニフェストとともに、国会や地方議会へ立候補者リストをもらったけれど、国会のほうはGudrun Schymanを筆頭に58人もの名前が並ぶ。そのうち男性と思われるのは2、3人のみ。

フェミニスト党のマニフェストと候補者の名前が載った党の投票用紙


前回の続きだが、立ち上げ当初のメディアの注目は大きかった。国内だけでなく、他の国でもFeminism界の大きな出来事として注目を浴びた。アメリカでは「Sweden did it!(スウェーデンがやってくれた!)」という見出しで報じられたというし、フランスでも「男女平等政策が最もすすんだ国での変事!!」として報道されたという(SHOKOさんの情報提供)。このように、国外ではセンセーショナルに報じられたフェミニスト党も、話題性ばかりが強調されるあまり、その後どうなったのか、何故うまくいかなかったのか、国外にはあまり伝わっていないようだ。実情は以下の点にまとめられるかもしれない。

◎ 一元的な白黒論
男性だけでなく女性からも支持を失うことになったのは、フェミニスト党の結成メンバーを支えた白黒的な社会の見方。「男は獣だ」「男性と女性の権力的分配を是正すべきだ」「男性の本性は暴力によって権力を示すこと」「スウェーデン国民の50%(つまり女性)は常に虐げられ、市民権を奪われている」「男性税を新設すべき」といったセンセーショナルな主張は、一部の人々には大受けしたけれど、一方で、ドグマ的な社会の捉え方や、男性と女性を真っ二つに分け、互いの権力闘争を描き出すことで女性の地位向上を達成しようとする手法に拒否感を示す人々も多かったという。

◎ 左派・右派の両方を包括することに失敗
当初の狙いは、左派(社会リベラル)と右派(個人的リベラル?)にまたがる包括的な“フェミニスト・フォーラム”を作ることだった。設立時のメンバーには、社会主義的なフェミニストだけでなく、右派のフェミニストも含まれていた。しかし、異なるイデオロギーを幅広く包括するフォーラム的集まりは長続きせずに、内紛に至る。結果として、左派的、社会主義的なフェミニストや、レズビアン・フェミニストが主導権を握る結果となった。上に挙げた「一元論」にも関係してくるが、次第に、男女平等問題の根源を、“支配する・支配される関係”というマルクス主義的な視点でしか見なくなる傾向に陥ってしまう。“革命”という言葉は使わないまでにしろ、“支配される側”が“支配する側”に打ち勝って、関係が逆転すればすべての問題は解決する、という議論の単純化が、この党のアジテーションを支配してしまう結果となった。そして“威勢だけはいいけれど、具体案に欠ける党”というイメージができてしまった。

ちなみに、社会主義的フェミニストに対抗する(個人主義的な?)フェミニストは、女性をひとつの集団と捉え、集団全体として地位向上を図るやり方には反対で、あくまでも一人一人の闘争を通して、女性の地位向上を図りたいと考えているようだ。

◎ 内紛、そしてメディアでの暴露
内紛はメディアで大きく報じられた。“女性同士の喧嘩は派手だ”というステレオ・タイプにピッタリだったので、メディアも半ば面白おかしく報じたのだ。フェミニスト党に言わせれば、主要メディアは事実上、男性社会に支配されており、彼らがフェミニスト党潰しにかかったのだ、という批判もあったが、それだけが原因ではない。フェミニスト党メンバーのメディア対応も相当に酷いものだった。内紛で負けたある執行部メンバーは、新聞の独占インタビューに登場したり、ニュース番組に生出演したりして、執行部の批判をおおっぴらに行った。「フェミニスト党なんて名ばかりで、結局は、権力欲しさに群がる女性集団」と暴露した。それに対し、批判された側にいたあるレズビアン・フェミニストは「彼女は男性に身を売る売国奴、そして、中流のオバサン(borgerlig kärring)」とこれまたメディアで言ってのけた。このように、党内の争いを自分たちで進んで外に暴露してしまったのだ。カリスマ的代表であったGudrun Schymanはメディアの扱いには得意で、騒動の際も冷静に行動していた。しかし、メディアに不慣れなそれ以外のメンバーが小波をワザと大きくして、自分たちの船ごと沈めてしまったようだ・・・。

◎ 既成政党のこれまでの努力
上に挙げたスキャンダルよりも、もっと大きいのがこれではないかと思う。既成の政党も、性別間の権力構造を是正するためにはどうしたらよいか、意思決定をする集団(議会、政党、企業の中の執行部、家族etc)により多くの女性が就く事ができるようにするためにはどうすべきか、積極的に努力してきているのだ。戦後の長い政治運動の中で、政治的な権利の平等化、教育へのアクセスの平等化、税制の個人化(男性を扶養者とした上で、家族を単位に課税する、のではなく夫と妻それぞれに課税)など、着実に前進してきたのは社会民主党をはじめとする党だ。既成政党にはたいてい“女性の会”があり、彼女らが政治に積極的に働きかけてきた成果が大きい。現在でも、多くの党も世論の変化には敏感だから、“フェミニズム”という言葉は必ずしも使わないにしろ、男女平等や賃金差別、雇用差別などの改善を訴えている。

さらには、フェミニスト党が党綱領で掲げた点の中に、すでにある程度、達成されたものも多くある。まだ達成されたいない点でも、特に左派では社会民主党、左党、環境党、右派では自由党や中央党などが、政党プログラムに盛り込んでいる。だから、いくらフェミニスト党、と言っても、そんなに目新しいことをする余地は無いようだ。スウェーデンの有権者にとっても、そんなに珍しい動きでもなかった。

また、ある女性コラムニストに言わせれば、“スウェーデンでは男女同権や平等に関しての法制度の整備は既に相当なされてきており、法律の上では、男女はほとんど平等になった。あとは、人々の意識の問題”と(確かDNで)書いていた。つまり、フェミニスト党が主張する“立法による強制力”で、これ以上何かしようとしても、もう手が尽きている、という意味だ。フェミニスト党のプログラムが世論にあまり受けない理由は、この点にもあるようだ。

私が思うに、少なくともスウェーデン社会において言えることは、労働市場や家族生活で、未だに男女間の格差が残るとすれば、それは、男性が男性であり、女性が女性であるから、ではなくて、経済的な理由、つまり、女性は出産・育児のために休職をしがちだから、とか、就いている職種のために賃金が低いので、育児休暇を取るとすれば女性が・・・、という結果になっているのだと思う。だから、改革していく余地があるとすれば、女性が負っている経済的な不利を軽減していくことだと思う。(日本のように、部長職に女性が就いてもらうのは嫌だ、といった見下した見方や、女性はOLとして働き、結婚すれば退職するもの、といった考えは、スウェーデンではほとんど見られないう。(中高年ではあるかもしれないが))

◎ エリートによるトップダウン集団
草の根の運動ではなく、元左党党首Schymanのカリスマ性を中心に集まるエリート集団として始まったところにも大きな問題があったのかもしれない。つまり、女性の実生活に基づいた草の根からの運動ではなく、フェミニズムを哲学的・社会学的(?)に議論するエリート集団だったのだ。だから、タダでさえ抽象的な「フェミニズム、ジェンダー」という言葉だけが、難しいまま弄ばれ、独り歩きしてしまったために、女性の地位向上や男女同権を本当に必要としている“現場の”女性の共感を得るには至らなかった、という批判もある。

また、あるメンバーは「党内の会議といっても、メンバーから幅広く意見を吸い上げていくボトムアップのやり方ではなく、執行部が決めたことが紙に既に印刷されており、それを他のメンバーが同意するだけの、トップダウンの組織だった」とも暴露している。

(エリート・フェミニストに言わせれば、一般の女性は、自分が虐げられていることに気づいていない、だから、私たちが“啓蒙”してあげなければいけない、と言うことなのだろうけれど、問題が理論的に語られ、抽象化されればされるほど、その本意が伝わらない、という“ジレンマ”があるのだろう。これは、他の社会運動にも言えることかもしれないが。)

◎ 焦点のズレ
党の当初の目標が“左派も右派もともに巻き込んでいく”ということだったから、例えば、女性の賃金を上げるために、税金の引き上げによって、女性が多く働く公共部門の賃金を向上させる、というような議論をすると、たちまち党内で意見が分かれてしまう。または、法制度によって××を強制する、というような提案に対しても、法のがんじがらめを嫌う右派からは反対の声が上がってしまう。そういうこともあって、男女平等や女性の地位向上のための具体的な方策について、党ではあまり議論ができなかったという。そのかわり、左派と右派の間で意見の違いがあまり見られないジェンダーやホモ/トランス・セクシャルの問題へと、党の焦点が移っていった。だから、出てきたものといえば「従来の“結婚”という概念を解体し、3人以上の結婚も可能にする」など焦点がずれたものが多く、「男女同権」というコアの政策分野での提言はほとんどない。もちろん、この分野での議論の重要性もあるだろうが、選挙の一大テーマとなるには今のところ至っていない。女性の多くが求めていたのは、「男女同権」というコアの政策分野での提言だったのに。

◎ Enfrågeparti(一つの問題だけに限った政党)の悲劇
最後に、一つの問題だけに絞った党は、なかなか成功しないようだ。党を興して、実際に政権を狙うならば、税制や外交などあらゆる問題を取り扱わなければならない。そのため、フェミニズム問題だけでなく、それ以上に注目を浴びる論点があった場合になかなかまとまった提言ができず、世論を説得できない、という弱点が露呈する。この点に関していえば、環境問題を掲げて登場した環境党は、その後、その他の分野では、主に左派の政策をコピーすることで、うまく生き延びてきたといえる。


・・・と、ここまで書いて思うのは、フェミニスト党は、党を起こす場所を間違えたのではないかということ。そう、フェミニスト党がより必要とされているのは、日本なのじゃないだろうか? 意識の面のみならず、法制度や権利の面でも、また途上国なみの日本社会。日本社会は、スウェーデンのこれらの動きから大いに学ぶ点があると思う。ただ、その際に、センセーショナルな「フェミニスト党」だけに注目するのではなく、地道な努力を積み重ねてきた、既成政党の考え方に注目したほうが、学べるところはむしろ多い思うが、どうだろう?