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スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

NHK 地球ラジオ 2月21日(日)

2010-02-18 09:45:23 | Yoshiの生活 (mitt liv)
週末日曜日のNHK地球ラジオ(NHK第1)に出演します。

放送時間は17:05~18:50で、そのうち「ワールドテレホンネットワーク」「世界井戸端会議 ― 世界の最新自動車事情」というコーナーに電話を通じて生出演する予定です。

大晦日のシーフード

2010-01-02 02:18:03 | Yoshiの生活 (mitt liv)
大晦日のディナーは、スウェーデン西海岸で獲れたロブスター(スウェーデン語:hummer)とフランス産の牡蠣。


牡蠣はスウェーデン産のものもあるのだけれど、日本種とは異なる平べったいタイプのものであまり好みではないので、日本種と同じフランス産の牡蠣を1ダース買った。生で食べるのもいいが、殻をこじ開けるのに一苦労。オーブンで生焼きにして、殻の口を少し開けたところで殻を開いて食べるほうがいい。



ロブスターは半分に割って、その上にニンニクやサルビアなどの香料を混ぜ合わせたバターを塗って、オーブンで焼き上げる。今回は既に茹でたロブスターを使ったため身が硬かったが、生のロブスターだったらもっと美味しかったと思う。



腹の部分にはカニ味噌ならぬ、ロブスター味噌があり、これが美味しい。

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大晦日は、夕食に先駆けて17時から市内で大きな花火が上がった。地元紙のヨーテボシュ・ポステン(Göteborgsposten)が開催したもので、10分程度のものだったけれど、こちらではめったに見られない大きな花火とあって、たくさんの人がヨータ川沿いに集まった。






今年は規模が小さいような気がした。

そういえば、高台に立つアパートの窓からは、年明けのカウントダウン直後に一般の人たちが各自で打ち上げる数々の花火が見えるのだが、今年はあまり数が多くなく、0時00分から05分くらいにたくさんの花火が市内のあちこちで上がっていたが、それからすぐに下火になり静かになってしまった。去年はもっと盛大に、しかも長い時間にわたって花火が上がっていたけれど・・・。

1発、何百クローナもする打ち上げ花火。やっぱり、不況の影響がこんなところにも現れているのだろう。

寒波です

2009-12-17 08:02:20 | Yoshiの生活 (mitt liv)
一昨日から大きな寒波がヨーロッパを襲っています。

下のリンクはニュースの動画。最初に登場するのは、ストックホルムから100km北方にあるGävle(イェヴレ)という町。歩行者がまず一人転び、通りかかった自転車が立て続けに転ぶという災難です。自転車も砂利が撒かれたあとならいいけれど、それまではツルツルに凍ることもあり、注意が必要。特にブレーキをかけるときはバランスを崩して横転しやすい。


その後はウプサラ(Uppsala)。この地域では、雪かきや砂利撒きなどの対応が遅れて、けが人が多く出ている模様。スキーを履いて通勤・通学している人も映っています。ヨンショーピンの郊外ではトラックと通学バスの衝突事故。

ヨーロッパの他の地域も大変。セルビアのベオグラードやスペインが映っています。

《補足》ちなみに、後ろに映っているのは、毎年この時期にスウェーデンを騒がせる麦わら製のヤギ。
2006-12-31:イェヴレ市のヤギ人形
2008-12-27:今年は生き残るか?-イェヴレ市のヤギ

新型インフルエンザのワクチン接種

2009-12-11 17:41:03 | Yoshiの生活 (mitt liv)
更新が遅れています。現在開催されているコペンハーゲン会議をはじめ、追うべき情報がたくさんでなかなか時間が割けません。

ところで、昨日やっとインフルエンザ・ワクチンの接種をした。季節性インフルエンザではなく新型(豚)インフルエンザH1N1のワクチンだ。


スウェーデンでも、今年の春にメキシコで死者が相次いだ頃から、H1N1の大流行に備えた対策が議論されてきた。スウェーデンでも住民の半分以上が感染する恐れがあり、そうなると社会全体が麻痺してしまう。

だから、まず全住民を対象としたワクチン接種をすることでそのリスクを極力減らすことが決まった。ワクチン工場はスウェーデン国内にないため、国外の製薬企業に注文することになる。スウェーデン政府が発注したのは、Glaxo Smith Klineという企業。ベルギーとドイツに工場がある。政府が発注したワクチンの量は1800万人分。スウェーデンの人口は925万人なので、これは住民数の約2倍にあたる。というのも、その当時はワクチン接種を2度行わないと免疫が生まれない、と言われていたからだ。

そして、それでも大流行が防げず、住民の大部分が職場を休む事態になった場合でも、社会インフラ(医療・福祉・警察・消防etc)が最低限でも機能するように、それぞれの現場で人員確保や人員配置のための詳細な計画が練られていた。

結果論から言えば、今回の豚インフルエンザは当初予想されていたほど恐ろしいものではなかったのだが、それは今だから言えることであって、今年春の時点で政府が様々な対策を事前に講じたことは間違いではなかっただろう。それに、命を落とす危険は当初考えられていたほど高いものではないにしろ、感染した個人にとって1週間にわたって苦しむことは大きな災難であることに変わりはない。

スウェーデンには10月後半からワクチンが少しずつ届くようになった。これは本来ならば9月のうちにワクチンが届く予定だったが、生産過程で様々な問題が発生したり、EUの医薬品当局の承認に時間がかかり、大幅にずれ込むことになった。

接種はまず、持病を持つリスクグループから始まり、医療関係者・医学部生 → 幼児とその家族 → 学童 → それ以外の人、という順番で進められてきた。幼児・学童が優先されているのは、保育所や学校を通した大流行が起こりやすいためだ。また、幼児・学童だけに免疫を持たせても、彼らが家庭に持ち帰るウイルスのために親が感染する可能性もあるため、その家族も優先的に接種を受けることになった。ただし、優先順位の詳細はそれぞれの県が決めるため、例えばウプサラ県などは「大学生」にも「幼児とその家族」と同時期に接種を許可したため、ワクチン不足になり混乱が生じた。

ワクチンの納入は当初の予定より大幅に遅れることになったが、順調に納入が進められているため、11月終りから一般の人々への接種も始まっている。ちなみに、接種は無料。費用はすべて政府持ちだ。また、大きな職場では雇い主の計らいで職場で接種ができるところもある。ヨーテボリ大学もその一つだ。大学の教員や職員のために、先週と今週にわたって大学に看護士がやってきて接種をしてくれた。

ちなみに当初は2回の接種が必要とされたが、試験の結果1回で免疫が生まれることが分かったので、接種は1回のみ。だから、数百万人分のワクチンが余ることになるが、これは注文をキャンセルするか、他の国に販売するようだ。また、スウェーデンが注文したワクチンは鶏の受精卵の中で培養するため、卵アレルギーの人には接種ができない(卵を使わない培養法もある)。

副作用は人さまざまで、人によっては接種の後に熱が出たり、数日寝込むひともいるようだが、私は腕の軽い痛みだけで済んだ。実際にウイルスに対する抵抗力が生まれるまでに2週間ほどかかるというから、まだ油断は禁物。

フィンランド航空のストライキ

2009-12-06 18:15:57 | Yoshiの生活 (mitt liv)
11月30日のスウェーデン大使館のミニセミナーに来てくださった皆様、ありがとうございました。このブログを見て参加してくださった方もおられ、嬉しくなりました。もし、本の内容にご関心を持たれましたら、是非ともお買い求めになって読んでみてください。

11月25日には、大阪の弁護士の方々のご依頼で、大阪中央公会堂にてスウェーデンの社会保障と公正・平等というテーマで講演させていただきましたが、大勢の方が来てくださり、こちらもありがとうございました。

今回も短い日本滞在でしたが、その間に温暖化会議や、風力発電、持続可能な社会の発展に関するシンポジウムなどをいくつか聴講し、その会場でいろんな方々と情報交換する機会がもてました。まだまだ勉強すべきことがいっぱいだと感じます。(温暖化シンポジウムでは、パネルディスカッションで真っ向から対立していた大学研究者と鉄鋼業界の代表が、その後の“飲み”で鉢合わせし、NGOの代表や某紙の新聞記者も交えて、シビアな雰囲気になるなど、面白いものを見せていただきました。笑)

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さて、スウェーデンに戻る日の話。フィンランド航空の職員がストライキをやっているとのことで、成田発ヘルシンキ行きが4時間遅れとなった。フィンランド航空ではパイロットの組合がこの2週間ほど前にストを行っていたが、今度は荷物・給油などに携わる地上職員のストライキだという。

ヘルシンキからは、その日のうちにヨーテボリ便に乗る予定だったのだが、成田からの便が4時間遅れとなったために、ヘルシンキで一泊し、翌朝一番の便でヨーテボリに向かうことになった。

成田空港に着いた時点で、フィンランド航空のカウンター前には長蛇の列。40分待ってやっとカウンターにたどり着いたと思ったら「1時間後に再び戻ってきてください」との返事。他の大部分の乗客はカウンターできちんと対応してもらっていたので、理由を求めたところ、別の職員が出てきて、態度が急に変わり対応をしてくれることになった。この時点で、?マークが1つ。

ヘルシンキからの翌日便のチケットに切り替えてもらう。ヘルシンキでの一泊は当然ながら航空会社側が手配し、負担してくれるのかと思いきや「エコノミークラスなので、我々は責任を負わない。お客様のほうで手配・負担してください」とのこと。そんな話は聞いたことがないと反論すると「今回のストは、荷物担当の職員のストなので、フィンランド航空とは関係がなく、よって我が社の責任ではない」という返事。おまけに「ストで遅れが出ているという情報は、既にホームページ上に掲載しているので、お客様の側も当然知っているべきであり、遅れに備えた対応はお客様自身の責任」とのこと。何度も反論したものの、いかにも「当然のこと」という対応だった。?マークが5つくらい増えた。

成田空港には幸い有料インターネットがあったおかげで、すぐさまネットを介して、ヘルシンキの国際空港近辺のホテルを確保することができた。もちろん自己負担で。

さて、4時間遅れで成田を発った飛行機は、4時間遅れでヘルシンキに着いた。現地のフィンランド航空職員から伝えられた情報は「フィンランド航空のストのために遅れが出て申し訳ない。1泊が必要な乗客のために、フィンランド航空はホテルを確保している。負担も航空会社がする」というものだった。成田の日本人職員の話とは全く違うし、見かけは力強くて恐ろしそうなおばさんのわりに対応は良かった。

苦労して自分でホテル探しをする必要はなかったんだ。そのいかついおばちゃんに頼んで予約していたホテルをキャンセルしてもらおうとしたが、私のクレジットカードから既に支払いが済んでいるとのこと。結局、私は自分で予約したホテルに泊まり、費用は航空会社があとで支払ってくれることになった。面白いことに、私が予約したホテルは、航空会社が確保していたホテルのすぐ隣だった。

今回の地上職員のストやその前のパイロットのストは、フィンランド会社側が職員を子会社もしくは派遣会社に移そうとしたことに対して、職員・パイロットが反発していたためだった。だから、ストに同情しないわけでもない。

問題は、成田の日本人職員のケチケチ対応。ヘルシンキの職員の説明とは全く食い違っているのは、どういうことなのだろう? 苦情を送るとともに、有料インターネットにかかった費用(400円)を請求しよう。

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ちなみに、荷物・給油担当の職員のストだったため、成田からヘルシンキに着いた時に、預けた荷物はすぐに出てこなかった。最低でも2時間はかかるとのこと。待つのは面倒なので、手荷物だけ持ってホテルに行くことにした。次の日のヨーテボリ便は7時40分。それまでに荷物を受け取ればよいからだ。

次の日の早朝5時に空港に戻った。荷物の受け取り場には誰もおらず、特別に開けてもらって中に入った。すると・・・。目の前に広がっているのは、数百に及ぶスーツケース。持ち主のもとに届かず、ここで一晩を明かした荷物の数々だ。出発地ごとに分けて置かれているものもあったが、多くは無造作に床のあちこちに置かれていた。

「さぁ、自分のを見つけてね。」と職員はいうが、どこから手をつければいいのか? 数十分かけてTokyo発の荷物の山を見つけたが、そこにはなかった。時間は刻々と過ぎていく、早く見つけないとヨーテボリ便のチェックインに間に合わなくなる。

幸い、London発の荷物の横に置かれた自分のスーツケースを発見。それを持って、チェックインへと急ぎ、事なきを得た。

しかし、7時40分発のヨーテボリ便も、乗客が全員乗り込んだもののなかなか動かない。何と給油の順番待ちだという。給油を済ませ、2時間後にやっと出発。

私は、学部生向けの講義があったのでかなり焦ったが、大学側に問い合わせたら「それ明日ですよ」と言われて安心した。とんでもない勘違い。

経済学部ポーカー大会!

2009-09-14 06:23:27 | Yoshiの生活 (mitt liv)
ヨーテボリ大学 経済学部内の職員ポーカー大会!

この大会は、アメリカの大学でゲーム理論・行動経済学を研究しているスウェーデンの教授が4年前に始めたもの。彼は毎年1ヶ月ほどヨーテボリ大学で客員教授をしているが、そのたびにポーカー大会を開催するようになった。

夕方5時から、経済学部に所属する博士課程の研究生や他の研究員、大学教官、教授、助教授、さらには事務職員などが集まり、二つのテーブルに分かれて予選を行った。

教授や若い研究生、そして事務職員が肩を並べて、和気あいあいとポーカーを楽しめるのは、スウェーデンの大学環境、そして人間関係の非常によいところ。ただし、日頃から同じような形で昼食を一緒に食べているから、別に不思議なことではない。

私の右隣は、産業組織論の教授。彼は自分のノートパソコンを近くに置きながら、メールをチェックしたり仕事をしたりしながらプレーしていた。

私の左隣は、事務をしている大柄のおばちゃん。彼女は毎年、自分の夫も呼んで大会に参加している。

同じテーブルには、環境経済学で著名な教授、Thomas Sternerも座っていた。彼は私との一対一の勝負に出たときに「All in」をして負けたので、早々に退散してしまった。






ちなみにこの大会は、例年は大学内部のメール・システムを通して告知が行われていたが、今年は大学の上のほうから「経済学部が内部でギャンブルをしているなんて、けしからん!」という声がかかったらしく、今年からこっそりと隠密に開催されることになった(でも、さすが我らが学部長! 彼は、この大会の意義を訴えて、大学の上のほうの人たちと争ってくれたという)。一応、名目上「ポーカーをゲーム理論によって分析するためのセミナー」ということになっている。

予選テーブルで勝ち残った人たちは、決勝テーブルに進む。私は決勝テーブルで一番最初に脱落してしまった。結局勝ったのは、若手研究者のオーサ(Åsa)。彼女は、環境税・二酸化炭素税などの研究で国内では名を馳せつつあり、昨年はスウェーデン議会の特別セミナーで議員を相手に講演したほどの人物だ。

教授のポケットマネーでビールも振舞われ、終了した9時頃には皆、大学の喫茶ルームでほろ酔い気分だった。

真夜中ランニング大会 (Midnattsloppet)

2009-08-23 08:20:38 | Yoshiの生活 (mitt liv)
バルト三国の金融危機について続けたいけど、ここで少し休憩。



300kmの自転車レースのあと、しばらく運動から遠ざかっていたけれど、今夜(土曜日)はMidnattsloppet(真夜中ランニング大会)があった。真夜中(Midnatt)とはいってもスタートは夜10時距離は10kmヨーテボリの中心部を駆け巡る。

去年のこの大会もそうだったけれど、やはり今回もトレーニング不足だったので、45分以内のゴールを目標にしようと決めていた。10kmの自己最高記録は40分だから、5分くらい余裕を持っておけば大丈夫だろうという考えだ。

この大会の面白いところは、日が暮れたあとに開催されることだけでなく、参加者全員が同じ色のシャツを着て走るところだ。参加者は用意されたシャツをあらかじめ取りに行っておいて、それを着て会場に向かうことになる。

この日は日中、天気が良かったために気温が高かった。夜9時を回ると既に日が沈んでおり外は薄暗く、空気がひんやりとしているが、それでも日中の熱気が少し残っている。今年の参加者は1万人強で、男女が半々だという。(ちょうど一週間前にはストックホルムで同じ大会があったが、こちらは22000人ほどの申し込みだったとか)


写真はいずれも先週末のストックホルムのもの。大会主催者のホームページより。

スタート地点を探していると背が高くて痩せた男性が声をかけてきた。同じ経済学部で環境経済学(水産資源)の研究をしている助教授のホーカンだった。彼は私より一つ後ろのグループでスタートだ。「気楽に走るよ」とのことだった。

スタートして400メートルほどで「ふくらはぎ」がつりかける。足を完全には伸ばせない。どのランニング大会でも同じだけれど、スタートから3-4キロほどの区間ではいつも「何でこんなに辛いことをやっているんだろう!?」と自問をする。とにかく最初の区間が大変だ。でも、3-4キロほどを過ぎると第二エンジンが次第に温まってきて火がつき始め、推進力を生み出してくれる。この「調子が出始める」ときの感触がいつも楽しい。

でも今回は、最初のエンジンしか動かず、既に「プスプス」と音を立てているような状態だ。しかし、それでも頑張って走って、そろそろ6kmくらいかと思ったら、まだ4km地点だと知ってショックを受けた。ホーカンにいつ追い越されるか気がかりだった。背が高い人が追い越すたびに後ろ姿を彼の後ろ姿(←そんなによく覚えているわけではないので想像図)と照らし合わせた。そういえば、彼はこの6月まで一年間、アフリカ西海岸の研究所で客員研究員をしていた。もしかしたら、アフリカの地でバリバリ鍛えていたかもしれないから、いつ抜かれるか気が気ではなかった。

そうそう、海パン一つに浮き輪を付けたランナーに3キロ地点で追い越された。この大会には、実は「仮装部門」が用意してあるので、仮装で走ってもいい。でも、たいていそのような参加者は速さを競わないので、一番最後のグループでスタートするのだが、中には仮装しながらスピードまで競う人もいたのだ。何と、浮き輪を付けた彼は裸足だったから驚いた。(他には、スターウォーズの白いクローン兵がドンケツのほうにいたが、コスチュームが硬そうで関節が曲げられず、早歩きだった)

結局、7kmくらいでやっと第二エンジンに火がつき、難所の坂道も何とかクリアして、アヴェニュー通りを走ってゴールした。目標どおり45分だった(正確には20秒ほどオーバー)。ホーカンは5分後にゴール。

次は9月に一つか二つ、ランニング大会と自転車大会に出たい。

充実した夏

2009-08-01 23:25:05 | Yoshiの生活 (mitt liv)
早いもので7月があっという間に終わり、8月になった。スウェーデンの8月といえば、長い夏休みを取っていた人々がぼちぼち職場に戻りだす時期だ。それに、8月の半ばにもなると既に涼しくなり始めるため、雰囲気としては秋の始まりにも近い。ただし今年の夏は、7月前半の晴れた2週間を除けば、梅雨のように雨が多く、気温の低い日が多かったから、夏っぽい日が再びやってきて欲しいと思う。

今年の夏はいろいろと仕事があり忙しかった。まず、いろいろな雑誌から寄稿の依頼を頂き、時間の許す範囲でなるべくお引き受けした。

それから、昨年から取り掛かってきた大きなプロジェクトがやっと完成に近づいた。あともう少しすれば、このブログでもそのプロジェクトについて大々的に発表できると思う。

一方で、忙しいなりにもストックホルムとヨーテボリの間を何度か往復した。スウェーデンの国鉄SJは会員制度を持っていて、利用するごとにマイレージのようにポイントを貯めることができる。しかも、7月から8月にかけてのビジネス客が少ない時期には、会員だけに「1等席半額キャンペーン」をしているので、大いに利用した。

X2000という特急列車の1等車は広々しているだけでなく、インターネットの車内LANが無料で使えるし、朝出発の便に乗ると朝食サービスがついてくる。飛行機の国内線で出るような機内食だ。

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この夏の体験で特に印象に残ったのは、スウェーデン西海岸の港町から漁師の漁船に乗り込んで、早朝の漁を見学させてもらったこと。これは日本のあるドキュメンタリー映画の取材に通訳としてついて歩いた時のことだ。この時期は海ザリガニの漁が盛んで、朝1時に出港、8時半に帰港し魚市場に陸揚げする漁船に同行した。


海水に棲むザリガニは、淡水域のザリガニと違って色が薄く、ピンク色をしている。また、胴体や爪の部分が長く、むしろ大型エビと呼んだほうがいいのかもしれない。そんな海ザリガニは、海底の砂地の部分に巣を作って生息している。巣といっても、面白いことに長い縦穴であり、イメージとしてはアリの巣みたいなのだ。そして、深夜から明け方にかけての時間帯に、餌を食べるために穴から出てくる。それを漁師が底曳き網で獲るのである。



この海ザリガニは淡水のザリガニとは違って禁漁期がないため、市場には年中出回っている。一方、スウェーデンの風物詩の「ザリガニ・パーティー」は主に淡水のザリガニを食べるもので、解禁される8月半ばから月末にかけてスウェーデン各地の家庭で行われている。

ヨーテボリをはじめとする西海岸の地域では、海ザリガニが年中獲れるものの、やはり風物詩である「ザリガニ・パーティー」が開かれる8月に消費量が大きく伸びるようだ。

献血マラソン

2009-05-28 07:06:03 | Yoshiの生活 (mitt liv)
毎年思うのだけれど、5月と6月が一番忙しいように思う。この頃はスウェーデンでは既に初夏といった感じで、いろんなスポーツ・イベントが目白押し。(夏至の後から7月いっぱいは多くの人々が夏休みを取るため、イベントは夏至前か、8月に入って人々が休暇から戻ってきてから行われることが多い)

私も、週末や平日の夕方はトレーニングやイベントで忙しくて、このブログの更新も遅れがち。日が非常に長いので、日が暮れてから自宅で何かをしようと思ってもすぐに0時を回ってしまう。(しかも、今は別の原稿の締め切りが近い・・・)

今晩は献血マラソンに大学の同僚と参加。5kmと10kmの部があり、5kmの部は7000人が参加(うちは3000人くらいは歩きの参加)。10kmの部は2000人。しかも、それぞれ一斉スタート。私は10kmで参加したのでまだ良かったけれど、5kmの部はあまりの人込みで前にほとんど進めない様子だった。この大会は毎年、規模が拡大しており、以前は一斉スタートで問題はなかったのだろうけど、数千人の一斉スタートともなると、もう分けなければダメでしょう。


私の記録は39:09だったけれど、どうも今年はコースの設定に誤りがあり10kmよりも若干短かったようなので、10kmならば40-41分くらいだろうか。




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さて、この献血マラソン。献血した後にみんなでマラソンをするとか、マラソンした後にみんなで献血するとか、いろんな説が以前もこのブログ上で飛び交ったが、本当は献血してくれるドナーを一人でも増やすための、キャンペーンのためのマラソン大会だ。

毎年、夏の時期に手術用の血液が大幅に大量に不足するという。そのため、今の時期にしっかり在庫を確保しておく必要がある。

私もたまに血液を提供している。まず、血液検査をして血液ドナーとして登録する必要があるので、スウェーデンの正式なパーソナル・ナンバー(住民背番号)を持っている必要があるかもしれないが、もし関心があるなら、献血に協力してあげるのもいいかもしれない。

http://www.geblod.nu/

ちなみに、献血マラソンのスウェーデン語の名前はBlodomloppet。Blodとは血液であり、omloppは周回・循環を意味している。公園内を周回することと、血液循環とをかけた、これまた天才的なネーミングだ。

ヨーテボリ・ハーフマラソン 2009 (2)

2009-05-20 08:03:53 | Yoshiの生活 (mitt liv)
ヨーテボリ・ハーフマラソン(Göteborgsvarvet)は今年の申込み数が53700人。実際に参加した人は45000~48000人くらいだろうか? 世界で最大のハーフマラソン大会らしい。

私の今年の記録は、1時間33分24秒1時間半を切ることができなかった上、去年よりも24秒も遅くなってしまった。今年はVasagatan(ヴァーサ通り)でコース変更が一ヶ所あり、アップダウンが増えていたのでそれがなければ去年とほぼ同じだろう。

大会のHP上では5kmごとの通過時間が見られるが、やはり5km、10km、15kmと距離を経るにしたがって経過時間が長くなっている。1時間半を切るためには、平均時速14kmが必要。最初の10km区間の平均時速が14.08kmだったが、後半区間でスピードが落ちてしまった。今振り返ってみると、後半区間はあれが精一杯で、あれ以上の速さで走るのは無理だった。

来年は是非とも1時間半を切りたいが、そのためには持久力だけでなく、筋力もつけないといけないのだろう。持久力は十分にあるようで25kmでも30kmでも走れると思うが、これからはスピードのほうに力を入れなければならない、というのが今年の大会からの教訓。

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会場の近くで面白いバスを見かけた。遠方からの参加者がチャーターしたバスのようだ。

Buss och Kram (← 天才的!)


Let's go (← ナンバープレートも!)


ヨーテボリ・ハーフマラソン 2009 (1)

2009-05-19 08:55:02 | Yoshiの生活 (mitt liv)
今年で3度目の出場になるヨーテボリ・ハーフマラソン (Göteborgsvarvet)。大会そのものは今年で30周年を迎える。

初出場だった2年前は、一番最後のグループで出発。ペースがまちまちの周りの人々に揉みくちゃにされながら、何とか前に出ようとかなり苦労した。コースが狭くなっているところで、横一列になって歩いている3人の中年連中には閉口したものだった。この年の記録は1時間47分03秒

その次の年は、前年の記録の順にスタートグループが決まるシード制になっているので「グループ3」という比較的前のほうのスタートグループでスタートできた。ペースの似た人たちが集まっていたおかげでずいぶん走りやすく、5kmほど過ぎた頃にはグループの前方に抜け出て、一つ前のグループ(5分ほど前にスタート)、そして10kmを過ぎた頃にはさらに前のグループへと果敢に食い込んでいったものだった。おかげでこの年は、1時間33分00秒と大幅に記録を縮めることができた。

そして、今年はこの記録のおかげで「グループ1B」という速いグループでスタートすることになった。


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今年は去年よりもトレーニングは積んだつもりだ。コンディションは良いはずだったが、不安要因は当日朝からの腹痛。しかも、スタート前にすこしバタバタする羽目になったので、息を切らしながらスタート地点に着く。精神的な準備がいまいちだ。

スタートしてから2kmほどはSlottskogenという公園の中を走る。昨年はこの段階から、既に前のほうへ出ようと努力したけれど、今年は流れに身を任せながらウォーミングアップをしていく。「アシカの池」横の坂を乗り越えてから、さあ本番だ、と思ったものの、去年とは全く様子が違うことに気づく。同じグループでスタートした周りの人たちが速いこと、速いこと。油断していると、抜かれてしまいかねない。

でも、それは当然のこと。昨年の記録が1時間半台の人たちの中にまぎれているのだから。4km地点で、経済学部の助教授が声援を送ってくれた。彼は私より1時間後にスタートだ。

最初の大橋を越えて、Hisingen側に入る頃にはもう息切れをし始めていた。お腹の調子もおかしい。とにかく周りの人たちに付いて行こうと必死にがんばる。予想よりも今回はきつい。沿道では至るところで、音楽を演奏している人たちがいる(前回の地図に書かれた音符マークを参照)。あの演奏のおかげで、エネルギーを少しもらった気がした。

それでも7kmを過ぎた頃から「巡航速度」に達したようで、足がどんどん先に進んでいく。いい感じだ。今年は警察官や消防士はあまり見かけない。彼らのグループは私のあとにスタートだった。

10km地点で、前を走っていた中年男性のほうから「ブリッ」と音がした。なるほど、ロケットと同じ原理で、おならによって推進力を得たつもりなのだろうか? 目障りなので、彼を追い越して先を急ぐことにする。

2つ目の橋で、同じ自転車クラブで昨年の300kmの大会を一緒に走ったMagnusが声援を送ってくれた。

市内のAveny(アヴェニュー)通りに入る。ここでは普段は路面電車が走っている道の真ん中を走ることができるから気分が良い。水をもらい、頭にかけたら、水ではなくスポーツドリンクだった。ベタベタする。

ポセイドン像の横では、水を含ませたスポンジを配っている。そのおかげで顔や首筋を拭くことができた。冷たくて気持ちがいい。口に入る水が塩辛い。塩水をスポンジにふくませているのか?と一瞬思ったが、よく考えたら自分の汗が乾いて塩になっていたのだった。

Vasa(ヴァーサ)通りに入る。今年はコースに一ヶ所変更点があり、アップダウンが一つ増えている。

ヨーテボリ大学の経済・経営・法学部郡(ハンデルス)の辺りでは、たくさんの友人が応援してくれた。顔をあわせるのが5年ぶりのスウェーデン人の友人もいた。レストランのテラスでビールを飲みながら手を振っている同僚がいた。冷たいあれを飲むためには、とにかくゴールまでたどり着かなければならない。

この時点で既に18kmあと残り3km余り。しかし、ここからゴールまではなだらかな上り坂なのだ。いつもながら、この辺りから果敢にスパートをかける人たちがいる。去年は私もその一人だったが、今年は難しい。

興味深いことに、脱落者や転倒者が増えるのも、この残りわずか3kmの区間なのだ。おそらく、あまりに早くからスパートをかけすぎるためだろう。力尽きて、足を止めているランナーもいるし、意識を失い、観客やレスキュー隊の助けを借りている人を何人か見かけた。けたたましい音を立てて、レスキュー隊の黄色いバイクが横を駆け抜けていく。

そして、ゴール。
さて、今年の記録はどうなのか? 私は腕時計を持っていないので、走っている間、時間が全く分からなかった。目標であった1時間30分を切ることができたのか??? (続く)


<大会のニュース映像> 下の画像をクリック



最初のほうの「エリートグループ」の選手には、ケニアなどからの招待選手もいる。

ヨーテボリ・ハーフマラソン

2009-05-15 06:31:15 | Yoshiの生活 (mitt liv)
今週末の土曜日はヨーテボリ・ハーフマラソン(Göteborgsvarvet)。このネーミングを考えた人は天才じゃないかと、私はいつも感心する。Varvとは(1) 周回、と(2) 造船所、という2つの意味がある。

このハーフマラソンのコースは、ヨーテボリ市の中心部から西部にかけて、ヨータ川をまたぐ形で一周するように設定されている。そして、造船業は1960年代末から70年代初め頃まで、ヨーテボリの産業の大部分を占めていたことがあり、まさに町のシンボルとでもいえる産業だった。だから、この両方の意味をうまくかけているのだ。そして、この大会は今年で30周年を迎える。

今年の大会は、早くも昨年秋ごろに応募が締め切られたものの(いつも3月くらいが締め切りだったはず)、5万5000人近くがエントリーしているようだ。だいたい3000人ずつのグループに分けられ、3-5分間隔でスタートしていく。最初のエリートグループが14時にスタートし、最後のグループは16時にスタート。


どのスタート・グループに分類されるかは、去年(もしくは一昨年前)の記録だ。私は昨年の記録が1時間33分00秒だったので、今年はグループ1Bでスタート。最初から3つ目のグループだ。私のゼッケン番号は2500番台。


(初参加の人たちはグループ11、12以降に分類されているのかと思う)

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今年のコンディションはまずまず好調。3月くらいから少しずつトレーニングをしてきた。

ところが先週、地元のサイクリングクラブの人たちと長距離のサイクリングをしたところ、その翌日から首から肩にかけての筋肉がパンパンに張ってしまい、数日間、首が動かせないくらいの痛みが襲ってきた。教授の研究室からソファーを借りて、自分の研究室に持ち込んで一日中、横になりながら作業したり、早退したこともあった。原因は、サイクリングとパソコンと寝違えたことが重なったためだろう。

今週に入ってからは少し痛みが和らいだので、毎晩19時くらいから、研究室から自宅までランニング。トレーニングウェアとシューズを用意しておいて、普段着や財布・携帯をリュックサックに詰めて出発。リュックサックは体にピッタリひっついて揺れない、ランニング専用のもの。そうそう、重量をワザと重くするために水も入れている。

研究室から自宅までは最短距離で4kmくらいだけれど、大回りして15-20kmを走ってから帰宅。今日は25km。今週の合計は少なくとも60kmにはなると思う。

今の時期は21時頃に日が沈むので、「晩」とはいってもまだまだ明るい。

明日は5kmくらいのトレーニングにしておいて、本番では1時間30分を切ること、いやできれば1時間28分を切ることが目標。幸い天気は良さそうだ。


ランニングの途中、ヨータ川北側の小高い丘から新興住宅地を望む。かつてはこの辺りに造船業が栄えていた。赤いクレーンもその当時の名残。現在は産学連携サイエンスパークや「臨海」住宅団地、ホテルなどに生まれ変わっている。遠くに見えるのはヨータ川の河口。ここにVolvoの工場が立ち並ぶ。そして、その向こうは大西洋へと続いていく。


<以前の書き込み>
2008-05-19: 昨年の結果


春真っ盛り。

2009-04-18 05:05:43 | Yoshiの生活 (mitt liv)
ヨーテボリから南に向かったところに、お気に入りの自転車コースがある。廃線になった鉄道の路線を歩行者・自転車道にしたところだ。起伏がほとんど無い上、海沿いを走るので景色は最高。散歩している人が多いので、スピードを出すのは禁物だが、のんびりウオーミングアップするにはいい所。

先週後半はイースター休暇だった。冬の間はジムでの屋内トレーニングだったが、やっとのことで自転車をきれいに掃除し整備して、今年初めて外を走ってみる。この廃線コースでウオーミングアップを終えた後、自動車道に出てさらに南下。

冬の間は雪が降るたびに、滑り止めとして道路に砂利が撒かれる。そんな砂利も毎年、だいたいこの時期までに市の専用車がきれいにかき集めてくれているはずなのに、今年は路肩にまだたくさん残っている。不況による市の財政難の影響がこんなところにも? なんて考えが頭をよぎるが、そんなことより自転車に乗ることに集中していないと、変なところでスリップしてしまいそうだ。




3月半ばにはまだ雪が降っていたことを思うと、ほんの1ヶ月の間にまるで別世界に様変わりしたかのような気さえしてくる。これから5月にかけて、木々には緑が爆発するように生い茂っていく。それもほんの2週間ほどのうちに。

春の山陰

2009-04-01 00:02:08 | Yoshiの生活 (mitt liv)
短期ではあるが一時帰省。

71歳になるスウェーデン人の同僚が、学会のために初めて日本を訪れるため、実家のある鳥取県に招待。島根県の松江などを案内する。ぽかぽかと小春日和になった一週間前と違い、再び風が冷たくなる。



私も日本に戻ったついでに、いくつか講演をさせていただきました。

4月3日頃から再び、週2、3回ペースでの更新を目指します。