コロナ禍で酒に弱くなったよっぱらい親父。古希を過ぎ、腰痛に悩みながら今は家庭菜園に精を出す。慰めは3匹の猫。
よっぱらい親父の独り言
小伝馬町から神田周辺を廻る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/77/050cda968d53a59f7c6ce1c91e645f31.jpg)
今年最後の東京散歩は小伝馬町から神田周辺を廻る。
地下鉄日比谷線小伝馬町駅で下りる。
4番出口を出てすぐ大安楽寺がある。この辺りは伝馬町の牢屋があったところだ。
境内に延命地蔵菩薩像が建ち、ここで死刑の人たちが斬首されたという。
隣接して十思公園が広がり、その一角に吉田松陰終焉の碑がある。
同じ公園内に石町時の鐘があり、往時江戸市中に時刻を知らせていた。
解説板に昭和5年に現在地に移設とある。
北に10分程歩き、高速1号線東に金山神社がある。
ここは、昭和初期に東京金物同業組合によって創建された新しい神社だ。
正月を祝う門松がたくさん準備されていた。
さらに北に歩くこと10分、ビルの間にお玉が池の跡があり、少し歩いたところにお玉稲荷がある。
ある時、二人の色男が茶屋の看板娘お玉に心を寄せていた。
悩んだお玉は池に身を投じ、池の畔に葬られた。
人々は彼女の死を哀れに思い、それまで桜ヶ池と呼ばれていた池を於玉ヶ池と呼ぶようになった。
そして、お玉稲荷を建立して彼女の霊を慰めたと言う。
この寒空に参拝しているご婦人(推定年齢60歳)がいた。
商売繁盛を祈っているのだろうか。
秋葉原に近く和泉橋を左折すると神田川沿いに柳森神社がある。
室町時代、太田道灌公江戸城の鬼門除けとして柳を植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する。
おたぬき様は「他を抜く」ということで、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があるされる。
境内にある力石は、若者が力比べをしたものだ。大正時代の力士神田川徳蔵一派が使ったものという。
万世橋を渡り、マーチエキュートに行く。
以前見忘れた階段とかつてのプラットホームを見る。
この駅は昭和18年に休止となり、今はおしゃれな店の入るショッピングセンターとなっている。
近くに出世稲荷神社を発見。ここも伏見稲荷大社より分霊したという。
関東大震災にも戦災からも難を免れたことから防火の他、商売繁盛、学業成就の利益があるとされる。
靖国通りを渡りファミマの南に隠れるように豊潤稲荷がある。
大正12年、ここにあった神田青果市場の関係者によって創建された。
戦災を免れたこの一帯には、昭和6年に建てられた震災復興町家「松本家住宅」も残る。
元は青果物問屋の店舗兼住宅だったという。
近くに松尾神社があり、神田多町二丁目の鎮守様なんだそうだ。
JR神田駅から帰途に着く。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 東京都美術館... | 明けましてお... » |
コメント |
コメントはありません。 |
![]() |
コメントを投稿する |