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小伝馬町から神田周辺を廻る


今年最後の東京散歩は小伝馬町から神田周辺を廻る。

地下鉄日比谷線小伝馬町駅で下りる。
4番出口を出てすぐ大安楽寺がある。この辺りは伝馬町の牢屋があったところだ。
境内に延命地蔵菩薩像が建ち、ここで死刑の人たちが斬首されたという。
隣接して十思公園が広がり、その一角に吉田松陰終焉の碑がある。
同じ公園内に石町時の鐘があり、往時江戸市中に時刻を知らせていた。
解説板に昭和5年に現在地に移設とある。

北に10分程歩き、高速1号線東に金山神社がある。
ここは、昭和初期に東京金物同業組合によって創建された新しい神社だ。
正月を祝う門松がたくさん準備されていた。
さらに北に歩くこと10分、ビルの間にお玉が池の跡があり、少し歩いたところにお玉稲荷がある。
ある時、二人の色男が茶屋の看板娘お玉に心を寄せていた。
悩んだお玉は池に身を投じ、池の畔に葬られた。
人々は彼女の死を哀れに思い、それまで桜ヶ池と呼ばれていた池を於玉ヶ池と呼ぶようになった。
そして、お玉稲荷を建立して彼女の霊を慰めたと言う。
この寒空に参拝しているご婦人(推定年齢60歳)がいた。
商売繁盛を祈っているのだろうか。

秋葉原に近く和泉橋を左折すると神田川沿いに柳森神社がある。
室町時代、太田道灌公江戸城の鬼門除けとして柳を植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する。
おたぬき様は「他を抜く」ということで、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があるされる。
境内にある力石は、若者が力比べをしたものだ。大正時代の力士神田川徳蔵一派が使ったものという。

万世橋を渡り、マーチエキュートに行く。
以前見忘れた階段とかつてのプラットホームを見る。
この駅は昭和18年に休止となり、今はおしゃれな店の入るショッピングセンターとなっている。
近くに出世稲荷神社を発見。ここも伏見稲荷大社より分霊したという。
関東大震災にも戦災からも難を免れたことから防火の他、商売繁盛、学業成就の利益があるとされる。

靖国通りを渡りファミマの南に隠れるように豊潤稲荷がある。
大正12年、ここにあった神田青果市場の関係者によって創建された。
戦災を免れたこの一帯には、昭和6年に建てられた震災復興町家「松本家住宅」も残る。
元は青果物問屋の店舗兼住宅だったという。
近くに松尾神社があり、神田多町二丁目の鎮守様なんだそうだ。

JR神田駅から帰途に着く。
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