月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

アートマネジメント公開講座  基礎講座 1/20 『超高齢社会におけるアートの可能性』

2018-01-22 16:43:41 | 参加★舞台 映画 WS等


四国学院大学
アートマネジメント公開講座 
基礎講座 1/20
『超高齢社会におけるアートの可能性』

講師:菅原直樹
(四国学院大学非常勤講師・
老いと演劇OiBokkeShi主宰)

OiBokkeShi の (オイ・ボッケ・シ)は、
老いと ボケと 死。

一般的にはマイナスなイメージのある
それらに向き合うことで
介護の楽しさや、クリエイティブな部分を
見つけることができる。


★OiBokkeShi の 活動紹介

老いと演劇のワークショップ

認知症徘徊演劇
『よみちにひはくれない』

『老人ハイスクール』

『BPSD:ぼくのパパはサムライだから』

この、BPSDとは。
認知症の症状には、
脳の神経細胞が壊れることによって起こる
記憶障害や見当識障害などの
「中核症状」がある。
そして、それによって引き起こされる
二次的な症状を
「行動・心理症状」や「周辺症状」といい
BPSD という 略語も使われている。

BPSDは、
暴言や暴力、興奮、抑うつ、幻覚、妄想、徘徊 等々
環境や人間関係、性格なども関係するため
人それぞれ表れ方が違うらしい。

ただ、中核症状は変えられなくても
周りの人の関わり方によって
BPSDは改善することもあるとのこと。

避けられない症状はあっても、
より良いコミュニケーションがとれる
可能性はあるのだと思った。

老いや認知症に限らず
問題を抱える人は少なくない。
関わり方の工夫が他にも活かせるとすれば、
困っている多くの人の
助けになるのではないか。

………………………

★OiBokkeShiの活動を密着取材した
OHKの ドキュメンタリー番組
「よみちにひはくれない
~若き“俳優介護士”の挑戦~」見た。

その中で思ったこと。

歳と共に出来ないことは増えるが
今この瞬間を楽しむことが大事。

何が正しく、何が間違っているかではなく
受け入れて楽しむこと。

介護は十人十色。
その人に合ったやり方が大事。

生きづらさを持っている人と
一緒に過ごしたり話し合うこと。

その人が、
ああ良かったと思える方を選ぶこと。


…………………………

★ワークショップ

どのように関わり言葉をかけたらよいか
実際にやってみる中で考えられた。


体を使ったシアターゲーム
一気に心の距離も縮まった。
(椅子取りゲームなど)

イエスアンドゲームでは
介護する側、される側の役になる。
介護する側は、
食事や入浴等、現実的なことに誘うが
介護される側は突拍子もない返事をする。
それに対して
否定しない言葉をかける。

逆に否定する言葉をかけて
された側はどう感じるのか。


また、5人グループでの雑談。
その中で、脈絡のない言葉を言う役一人。
渡された本の中のセリフを
会話の流れに関係なく発言する。

それを
無視して雑談を続けるバージョンと
脈絡が合わなくても肯定的に
反応するバージョン。

どう感じたか。

無視される状態が続くのは
精神的に非常に辛い。
どんな状態の人でも感情があるならば
耐えられないはず。
理解し難い人に合わせるのは
楽ではないかもしれないが
必要なことだと思った。

ゲームは時に失敗するから楽しい。
全て完璧に進むなら、
それはプレッシャーになる。

失敗してもいい。頭では分かっていても
ダメなことだという感覚は
なかなか消し去れない。
しかし、実際やってみて
失敗はあっても楽しかった。
失敗を一緒に楽しめる場は大事なのだ。
普段、そういう機会が少ないのが問題だ。

………………………

今回、介護という視点で
認知症の人との関わり方を考えられた。
けれど認知症に限らず
子どもや、障害を持つ人、
精神疾患などの病気の人、
ごく一般的な人に関わる上でも
必要なことではないだろうか。

私たちの社会では
今よりも成長し、
成果を出すことが求められる。
出来ることや結果を大事にすれば
そうできない人は 生きづらさを感じる。

お話の中にもあった、
“ 楽しむ ”ということをもっと大事にしたい。

しかし、それは意外と難しいとも思った。

私たちは期限やルールを守るのが
当たり前として生活している。
家庭や学校で子どもの頃から
教えられてきたことは体にしみついている。
大人になっても、
その人の属する場所での影響もあるだろう。
実際に出来る出来ないは別として、
こうあるべきという考えに縛られている。

しかし、
体質だったり環境だったり何かの理由で、
あるべき姿やそうありたいと思う状態に
なれないことはいくらでもある。

そのズレに苦しんでいる人は
少なくないのではないか。

そんな状態から解放されるために、
“ 楽しむ ”ということは 大事なのだと思う。
今までの価値観をひっくり返すくらい
大きなことかもしれない。

楽しむというと、
何だか安易なイメージもあるけれど
そうではない。
生きるために必要なことだと実感した。


自分のことを考えずにはいられなかった。

鬱になり数年。
日常生活を送れない程ではないが、
日常の中で深刻な事態にぶつかることはある。
時々、
自分の感じているものは妄想かと思うほど
家族の感覚と違っていることがある。

感覚が違う、見ている世界が違う。
一見普通に過ごしていると、
周りの者は そこまで気にとめないものだ。
しかし、その違いの大きさに
打ちのめされる瞬間があるのも事実。

休むことなく続く共同生活の中では
どうにもしようがない部分はある。
悲観的になりがちだけど、
楽しむという関わり方には希望が持てた。

今回の講座では
介護する側の在り方を考えさせられたが、
どちらかといえば介護される側の感覚として
人との関わりがこうあればいいなと
胸が熱くなった。


クリエイティブなことが
こんなに大きな意味を持ち
私たちの生活に深く関わっているとは。

きっと一人では 変われない。
もっと広く、多くの人に伝われば
心が救われる人も増えるはず。

それは特別な一部の人のためだけでなく
全ての人のためになるのではないだろうか。


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