伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

バッハのミサ曲:ロ短調をアーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを聴く。今まで日本の古代史に興味を抱いた。

2021年04月24日 | バロック音楽・オーディオ一般

毎回同じような記事が多く申し訳ない、此のブログは益々筆者の勝手な我儘記事内容が多くなった傾向が強く思うが、最近珍しく実に仕事が忙しい、これはあまり良い状態では無い。最大の訳はゆったり音楽が聞けない事だ、精神的にも凡ゆる音楽を鑑賞する事は落ち着いた環境が必要に思う、思い出すは以前オーディオに休止符を打った時も、此の忙しすぎる環境の中での音楽を楽しむことが出来ず筆者には無理であった様な気がしてならない。

忙しいと時間がなく聞く音楽はイージーリスニング的に聞き流せる音しか受け付けてない様になる、解る・・・今なら解るのだ。特にバッハのマタイ受難曲等オラトリアはとても聴き流せる音楽ではなく、聴くのならじっくり聴きたい。勿論カンタータ等も聞けば心迄浄化させる音の恩恵を与えられる様である。昔からバッハは聴くが断然器楽曲が多かったこともその様な時間が無かった事が言える、恥ずかしながら齢70を過ぎオラトリオ、カンタータがやっと理解出来るとともに、音楽と向き合える時間の余裕が出て来たと思い始めた。それとマタイ、ロ短調等に曲は基本は全曲聴くことで一層充実した思いになる満足感がある。

これは宗教の事は除いて音楽を聴いて頂きたい事でもあるが大局的に考えると、勿論今の世は中共を筆頭に騒がせて最終的には戦争という言葉が現実的に成り立つ事であり、暗黒の前の大戦の教訓を学んでいない共産圏が多くなっている。勿論日本にも勝てば官軍と言う言葉はあるが、その勝ちにも必ず裏がある。前の太平洋大戦での旧日本帝国の戦争の真実は今になりやっと解明された事は明らかであり歴史の事実を知ることである。

以前から筆者が思った事に日本書紀、古事記から始まった日本歴史っと言われているが、支那から伝わった漢字と合わさり、古代文字から新しい日本語に変化して、この日本書紀、古事記は制作れたと思う、日本古代の歴史に辻褄の合わなく不思議に思った時にこの記事を見つけ何故かホットした。最近日本の歴史で大変興味深い事実が昭和41年神田の古本屋さんから発掘された「ホツマツタエ」の古代文字で記された事実の検証にも興味が湧く。勿論今も「ホツマツタエ」は大切に保管されています。古代文字は簡潔な編纂史のような文字の表現により何故太陽は東から上り西に沈むか等人は北の方角に寝所を持ったか等基本的な事がわかり訳す記されているという。

このことを知り古代文字の発見と古事記以前による文字の基礎が縄文時代から承諾され、海外等の知識を織り合わせ日本文化は発展して言ったことに感じました、やはり世界でも長い歴史ある国と生まれたこの国に感謝する。
興味ある方はご覧ください。

又縄文時代よりもはるか昔に「カタカムナ」という文明がありました。その文明に関する記述は和歌に似ていることと、カタカムナウタヒという神話以外に何も残されていません。その為、カタカムナ文明は長い間、謎に包まれたままでした。日本の文明は古事記から文字が発明され始まったと言う説以前からの古代文字があったことの発見は大変興味深く、今後明らかにさて行くことが興味深い、現在アメリカの学者も興味深くその歴史を研究しているようです。


この事実が解明されることにより科学的にも古代史つまり弥生時代、縄文時代、銅鐸等以前の事実の秘密が解明される様に思う、又この事以外にも古代時代の不思議は多くの謎が多く改めて日本の歴史事実の謎が深まり実に興味尽きない探索であるが基本は日本は神国であったのであろう。



話は戻るが先の戦争も正に此の事実は喧嘩両成敗と人種差別の問題が大いに関わる事である。白人が黄色人種等をどうしても同等には思えなかった人間のエゴである、歴史を考えれば日本の歴史は白人の歴史より古く許せなかった事が理由になるのであるかも知れず。幸い長い歴史的見ても奴隷制度は日本には存在しなかったが、信長の時代にキリスト布教の宣教師と共に奴隷制度も上陸したが日本人にはキリスト教も奴隷制度も共に受け入れられなかったようである。

今年は地球温暖化と言われるが確かに暖かくなるのが早く庭の薄いピンク色の花を咲かせる蔓バラも一面に蕾を膨らませ開花準備中であり、一輪早咲きの蕾があり、また庭に白の花を咲かせるツツジも満開で実に清楚に感じた。



週末は少し時間の余裕があり、早速珈琲豆を挽き淹れたての珈琲を頂く。昨日仕事で往復150キロの道のりを運転していたが、ベートヴェンの弦楽四重奏フーガの演奏を聞きながら運転した、この後期弦楽四重奏曲は最もベートーヴェンのフーガの頂点に位置すると同時に、全作品中最大の問題作ともいえる《大フーガ》を理解するためには、秘書だったカール・ホルツ(1798~1868)の証言を持ち出す必要がある。ホルツによれば、ベートーヴェンはフーガについて語った際に「今日、古い形式には、真に詩的な要素がなければいけない」と述べたのだという。これは、既存の形式のルールを敢えて破ったり、本来はその形式にとって必要のない要素を挿入したりすることで、幻想曲(ファンタジー)にしてしまうというアイデアなのだ。このフーガのファンタジー化こそが《大フーガ》が難解とされる根本原因といえる。
後は歴史的に有名な交響曲第九に続くストーリーが紐解けるようである。勿論ベーチーヴェンも相当バッハの影響は受けているように思う。

車のFMの音は最低であった、此のような条件で聞くことはベートヴェンの冒涜でもあろう、偶に電波の悪い場所もあり最低の環境である。何故アンプや接続ケーブルの交換で音質が変わるのかの疑問は殆どの場合はダンピングファクターの違いによる音の変化と言われるが、真空管と石のアンプに変わりはあるのか等?筆者等は難しい電気理論等は全く理解出来なくもっぱら自分の耳で聴き確かめる以外他はない。本日は口直しに好きな音楽でもゆっくり聞いてみることにした。



最近よく思い出すのはドイツ製品SIEMENS製にも興味があり50年程前に聴いた超辛口の、ドイツ製の音が目に浮かぶ、特にバッハ等の演奏をドイツ製のユニットで聴きたい衝動が消えない。誠に残念な事に筆者のオーディオ仲間でドイツ製の装置愛用者がいなく唯一昔先輩が面白半分に取り寄せたブックシェルフのヘコーの音しか知らない事は残念である。一度聴くと、この独特の辛口のへコーの音を聴くために足繁く通った事も記憶します。

再度イギリスの音響の違いに付いて考えてみる。確かに欧州に於いては英国は欧州最大の音楽輸入国でもあり、家庭で音楽を愛好する方が多く、オーディオ機器も充実したと聞く、勿論現在もBBCモニターを製作しているKEFを中心に多くの製品がある、特に日本ではTANNOY人気は以上に高い事は有名でジムラン同様の集荷台数が挙げられる。例えばジムランが日本はどれ程のスタジオがあるのかの疑問をした。モニタースピーカーJBL4345、JBL4343の集荷台数が多く驚いたと聞いた事がある、原因は当時オームさんが絶賛記事をステレオ誌に掲載したためであろう、勿論TANNOYのオートグラフも五味氏の永久が大きいのであろう。東洋の島国でこれ程まで売上が上がった事に驚いたと聞いたことがある。

戦前鬼畜米英と言われた時代もあり、洋楽(オペラ、クラシック、ジャズ等)は聞かない時代の反発で失われた音を求めたのであろうか、筆者なども1970年代に米軍放送でジャズを知り、ジャズ、ポップ中心に聞いた時代がしばらく続いた。その後33回転のLP長時間レコードが発売された。音質も悪い、それ以前はいわゆる蓄音機時代で当時はSPレコード(78回転)での演奏が多かった事は記憶する。しかし当時から音響製品のスピーカーユニットはコーンの振動を利用したスピーカーから音出しするシステムは変化はない。

1926年にガイR.ファウンテンによって設立されたタンノイは、当時呼ばれていたハイエンドオーディオまたは高忠実度を発明した企業の1つであると正当に主張することができます。彼らの寿命の大部分は確かに彼らがプロのオーディオ市場に彼らの製品の多くを販売し、そして販売し続けているという事実にあります。オーディオファンがTannoyモニターの高品質を最初に認識し始めたのは、これらのプロのスタジオでした。タンノイは最終的に、家庭により適したキャビネットで設計されたスピーカーで応答しました。



物の本によると、ヴィンテージオーディオ愛好家にとって最も興味深いタンノイのスピーカー生産の期間は1947年から1974年までです。これは、モニターゴールドシリーズの廃止までの15インチモニターブラックデュアルコンセントリックの導入と一致します。

多くの歴史があるためタンノイに関するインターネット上の情報については、関連するマイルストーンに限定して説明します。タンノイのデュアル同心ドライバーはこの期間に進化しましたが、主要な設計の側面(デュアル同心形状、高効率、クロスオーバーポイント)はほとんど変わりませんでした。コーンが重くなると容量が増加し、インピーダンスが15から8に低下しました。



その後、探求は、リアホーン搭載設計で10インチモニターレッドを採用したTANNOY Cornettaキャビネットの記事をみました。このキャビネット設計は非常に短命であったため、TANNOYでさえ、関連ファイルが破壊されたために情報を提供できませんでした。数年前の火災。また、インターネット上にはコーネッタに関する有用な情報はありません。

しかし最近思うはTANNOYのユニットをみて思うは15吋で代表されるエンクロージャーオートグラフは確かに此のユニットの理にかなった複雑な機構を持つユニットの組み合わせにより一層の真価を発揮しているように思う、勿論10吋のTANNOY ⅢLZMonitor Goldはオートグラフを小型化してエンクロージャーとの組み合わせは一番適したシステムであろう、しかし筆者の部屋は狭くコーネッタを据え付ける場所は無いのだ。

また現在ドイツの音に興味を唆れていますが、調べるとそれはある程度エンクロージャは大型も物が適していると言われこれも夢に終わりそうである。確かにドイツ製品の代表されるオイロダインを見ると仏頂面した平面バッフルを使用し如何にも単純で堅牢な作りで英国製品と企画するとお国柄があり面白い。
筆者の愛用機は15吋を積んだヨークと比べ個体は一回り小さいが、現在筆者の部屋で鳴るAXIOM 80の箱に移植したIIILZ Monitor Golの組み合わせが良いバランスで響く音質には満足している。



1968年、ピリオド奏法による演奏の先駆けとなった録音。彼らしいアクセントの効いた表現は、当時の聴衆には衝撃だった。左右の分離を明確にした録音の仕方といい、半世紀前を知る記念碑的なアルバムだ。                    

少し古いが最近仕入れたCDを楽しむ、ピリオド楽器による世界初録音だった歴史的名盤。ニコラウス・アーノンクールが、種々の考証と実験によって"バッハの理想"を響きとして具体化させた伝説的演奏。コーラスの美しさ古楽器のバランスの良さが抜群であり、此のシリーズは是非マタイ受難曲まで揃えているシリーズである。



バッハ:ミサ曲ロ短調(1968年)発売当時は直輸入盤で価格も高く丁重に取り扱った記憶があります、これがTELEFUNKEN盤のオリジナルの音とありがたがって聴いた懐かしい時代でもあった。

ヨハン・セバスチャン・バッハ:ミサ曲ロ短調、BWV 232ウィーン少年合唱団、コルス・ヴィエネンシス、ウィーン・コンツェントゥス
3 LP Teldec AW 6.35019 FK / SKH 20 / 1-3(1968)
ロートラウト・ハンスマン、飯山恵美子、ヘレン・ワッツ、クルト・エクウィルツ、マックス・ファン・エグモンドと



 1. Kyrie eleison(左ミサ:Kyrie)
 2.Christe eleison
 3. Kyrie eleison
 4.グロリアイン エクセルシスデオ(グロリア)
 5。Etinterra pax
 6. Laudamus te
 7. Gratias agimus tibi
 8. Domine Deus
 9. Qui tollis
 10. Qui sedes
 11. Quoniam tu solus
 12. Cum Sancto Spiritu
 13. Credo in unum Deum(ll.Symbolum Nicenum:Credo)
 14。Patrem omnipotentem
 15. Et in unum Dominum
 16. Et incarnatus est
 17. Crucifixus
 18. Et resurrexit
 19. Et in spiritum
 20. Confiteor
 21. Ex expecto
 22. Sanctus(lll。Sanctus)
 23。Osanna (lV。Osanna、Benedictus、Agnus Dei et Dona nobispacem)
 24.ベネディクトス
 25.アグナスデイ
 26.ドナノビスペース



1965年の演奏から半世紀以上経ちました。古楽器(ピリオド楽器)による最初の録音でした。透明感もあり、各パートの旋律が明確に聞こえており、バッハの生きていた時代感覚をできるだけ取り入れたような演奏です。バッハが描くフーガの輪郭が明確になり、音楽の構造を目の前に立体的に表わしてくれるような演奏でした。

ニコラウス・アーノンクールの強い思いが伝わってくる演奏です。冒頭のキリエの精神性の深いフーガの掛け合いはいきなり感動をリスナーにもたらしてくれます。ロートラウト・ハンスマン(ソプラノ)、飯山恵已子(ソプラノ)、ヘレン・ワッツ(アルト)、クルト・エクヴィルツ(テノール)、マックス・ヴァン・エグモント(バス)というソリストたちの端正な歌唱はバッハのミサを歌うに相応しい声質でした。手兵のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスもキビキビした躍動感ある軽快なバッハを奏でています。バッハが生きていた頃はこのような「ロ短調ミサ」が演奏されたのではという感覚を持つ演奏でした。

「ロ短調ミサ」の持つ横糸とも言うべき、各合唱パート、各楽器の旋律の流れを浮かび上がらせながら、縦糸とも言えるハーモニーの変化を提示しており、厳しさの中に温かみのあるバッハの宗教曲を再現したと言えるでしょう。何より劇場よりは教会に似つかわしい、控えめなスケールが、却って静やかな神々しさと深みを特徴付けている。



現在聴くにはアンプは真空管との相性は一番に思う、LUXKIT A-3500、6CA7の真空感は相性よ良く無難に音楽を奏でる、今後は是非比べてみたい古いSIEMENS、TELEFUNKENEL、34との音質の違いがあるそうですが今後是非比べて見たいと思う、現在は松下製を装着していますが良い塩梅である。
またサブ管6AQ8x3は色々交換し試聴したが日立製との相性が良く現在は日立製品の6AQ8を使用しています。

オーディオ的に表現しますとミサ曲ロ短調の最終楽章の太鼓の連打の部分などはTANNOYオリジナルⅢLZで聞いた場合の音と比べ音は太鼓らしい音に聴こえ締めくくりに相応しい雰囲気を醸し出す、まだ余裕のある音に安心感も手伝い、正しくある程度の大型エンクロージャーでなければ表現出来ない音質のようである。残念ながら銘器LS3/5aも敵わない。

バッハ研究によりますと、バッハの最後の作品は「フーガの技法」ではなく「ロ短調ミサ」であることが判明したようです。クレドから最終の楽章までの部分が最晩年に作曲された部分だそうです。すなわち、バッハの膨大な作品群の集大成といいますか、ライフワークの締めくくりの作品なのです。冒頭の「キリエ」のとてつもない緊張感と後半部分との落差は作曲年代によるものだと言われたいます。バッハはルター派のプロテスタントですので、カトリックのミサ曲の形を借りて、この大宗教作品を作曲した動機は知りませんが、自分の信ずるキリスト教の宗教感を不変的な音楽形式を借りてこの世に残したかったに違いありません。
今は亡き稀代の名指揮者を偲びまして。ブラボー!