伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

天才ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴーが残した名演奏、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op.47の考察

2022年08月07日 | クラシック音楽・オーディオ

毎日茹る様な暑さが続くとはこの情況であろう。この暑さは平安時代に一度体験した日本は耐えている様と天気予報では話していたがこの時代を知る人は誰も居ないので話にならないが書簡に書き後世に残していることは日本人は異質な人種であろう、コロナ感染が蔓延し外出時のマスクは大変い暑さが感じる、先日塩野義製薬会社販売しようとした投薬は禁止してしまった。何れにせよ海外の感染予防ワクチンを販売のため忖度したのでは?相当の政府医療関係者に金銭授受が行われていると聞いた事もある、このコロナ問題も政府与党に本音を語って頂きたいと願う。

今の自民党は忖度と裏金、そして政府及び官僚の天下り先を確立する、政府筋だけ生き延びる道をしかも税金で作っている様に感じる。正に大陸の皆さんの考え方そのままである。
先日支那人の若い女性と話して彼女に一番定説なものは何かと聞くと、曰く「私の認識では自分自身がお金を持っていれば、強くて、これは自己保護の根本だ」今がお金儲けが全てだと、すごくしっかりした言葉で答えた。それを聞き何故か共産国独特の言葉に感じた。倫理教育の大切さを感じた。

筆者は大変バッハ好きでもあり、意外とその他の作曲家のことは余り知らない事は事実です、だが一般的に有名な曲は一応聴くようにしている。



ヴァイオリン協奏曲は有名な曲がある、例えば「ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64」メンデルスゾーンは本作品以前にもう一曲、ニ短調のヴァイオリン協奏曲を作曲している。ただしニ短調の協奏曲は1951年にヴァイオリニストのユーディ・メニューインが再発見するまで永い間忘れられており、本作品(ホ短調のヴァイオリン協奏曲)とは知名度に大きな差がある。
 次に「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61」ベートーヴェン中期を代表する傑作の1つである。彼はヴァイオリンと管弦楽のための作品を他に3曲残している。2曲の小作品「ロマンス(作品40および作品50)」と第1楽章の途中で未完に終わったハ長調の協奏曲(WoO 5、1790-92年)がそれにあたり、完成した「協奏曲」は本作品1作しかない。
次は今回紹介の「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 (Violinkonzert D-Dur) 作品77」ブラームスは幼時からピアノよりも先にヴァイオリンとチェロを学び、その奏法をよく理解してはいたが、最初の、そして唯一のヴァイオリン協奏曲を書き上げたのは45歳になってからだった。これは、交響曲第2番の翌年という、彼の創作活動が頂点に達した時期にあたり、交響的な重厚な響き、入念な主題操作、独奏楽器を突出させないバランス感覚、いずれもブラームスの個性が存分に表現された名作となった。
本作品は、ベートーヴェンの作品61、メンデルスゾーンの作品64と並んで3大ヴァイオリン協奏曲と称されている。 
そして後一曲取りあげたのはジャン・シベリウス (Jean Sibelius,1865-1957)作曲の「ヴァイオリン協奏曲ニ短調 Op.47 (Violin concerto d-Moll Op.47)」について、解説とおすすめの名盤レビューをしていきます。
いかにも北欧というクールさのある名曲で、そのロマンティックな音楽は人気があります。情熱的なヴァイオリンは、シベリウスの同時期の作品のように、深く人間の内部に入り込んでいきます。20世紀のヴァイオリン協奏曲の中でも人気、内容、共に一二を争う名曲で、頻繁に演奏されています。



との解説があるが筆者はまるで知らなかった演奏者でもあります。アゾレス諸島に散った孤高の天才ヴァイオリニスト ジネット・ヌヴーが残した名演を聴く、ジネット・ヌヴー(Ginette Neveu)919年8月11日 パリ - 1949年10月28日 大西洋アゾレス諸島)は、フランスのヴァイオリニスト。稀にみる天才的ヴァイオリニストで将来はフリッツ・クライスラー、ジャック・ティボーと並ぶ名人になることを確実視されていたが、航空機事故により30歳で死去。

筆者の生まれた翌年亡くなっている為今まで全く知らなかったヴァイオリン奏者でもある、巷ではクライスラー、ティボーと並ぶ名人と聞けば是非一度は聴かねばならない。



一般的にオールドタイプの10吋タンノイのエンクロージャーにはメーカーの薦めるIIILZしか無いが、実はこの箱にもアメリカンタインノイと言われる、バックロードホーンタイプの物、フロントホーン付きの箱、現在筆者が使うアコースティック・レジスタンス・ユニット付きのAUDIOM 80の箱の利用等あるが、据え置き型の箱利用でオペラ鑑賞も出来る見違える音が再現できる。
極端な言い方をすれば弦楽四重奏専用ユニットのTANNOY IIILZからの脱却オペラ、オーケストラまで対応可能なシステムに変化しました。



最近細かな調整もほぼ終わり後の補習はスピーカーケーブルのコネクタはバナナプラグ対応の接続部に交換を考えています。交換はサイズが微妙なため現物合わせも視野に入れ一度秋葉原電気街に出かけるつもりです。

自宅の据え置き型の10吋タンノイユニットと自慢のZAIKA5300のシステムで試聴を始める。



現在ブックシェルフタイプのLS3/5Aの音質も好きではあるが、特にヴァイオリンのユニゾンとオーケストラの各々の演奏楽器との融合的な演奏はタンノイが断然勝る、特に古い演奏にはこのシステムは本領発揮すると思っている。
先日筆者の記事をご覧いただき以前紹介したスピーカーケーブル「英国製QEDのProfile42Strand」のケーブルを使い音質の向上があったと報告された、勿論その方もタンノイをお使いであると言われていた。確かに音質向上した言う一つの「念仏」の様な言葉に弱く直ぐ試したくなるのがマニアであろう。他人には決して薦めないがあくまでオールドタイプのタンノイでの音楽鑑賞には真空管を使うことが一番有利と思う。

2019年に生誕100年没後70年を迎える、フランスのヴァイオリニスト ジネット・ヌヴー。20代前半を第2次世界大戦のなかで過ごしたうえに、30歳という若さで亡くなったため、残された録音は多くありませんが、ファンの間では今でも語り継がれる名演の数々を残しています。
ヌヴ―のヴァイオリンの音色を強く愛する増田良介さんが、苦難の時代を力強く駆け抜け、飛行機事故で散った生涯を、その音楽とともに紹介してくれました燃えるようなラヴェルの《ツィガーヌ》で、高貴な悲しみに満ちたショーソンの《詩曲》で、そしてすさまじい気迫に満ちたブラームスのコンチェルトで人々を魅了した天才ヴァイオリニストがいた。ジネット・ヌヴーだ。彼女は、20世紀前半のヨーロッパ、アメリカを飛び回り、各地で絶賛を浴びたが、飛行機事故のため、30歳の若さで世を去った。2019年はヌヴーの生誕100年、そして没後70年にあたる。天才少女現る――世界に衝撃を与えたヴァイオリニストの誕生ジネット・ヌヴーは、1919年8月11日、第一次世界大戦の傷がまだ癒えないパリに、5人兄弟の末っ子として生まれた。ヴァイオリンを習いはじめたのは5歳のときだったが、その才能は最初からずば抜けていたようで、はやくも7歳でブルッフの協奏曲を弾いてデビューしている。彼女の名を世界に知らしめたのは、1835年にワルシャワで行なわれたヴィエニャフスキ国際コンクールだった。各国から有望な若き名手たちがおおぜい参加したこのコンクールで、15歳のヌヴーは、2位のダヴィード・オイストラフに大差をつけて優勝したのだ。当時、既にソ連で有望な若手ヴァイオリニストとして活躍していたオイストラフは大いに悔しがったが、家族への手紙で「ヌヴーが恐ろしく才能があることは認めざるを得ません。1位は決して不当ではありません」と書いている。

苦難の戦争時代、終戦、初めての協奏曲録音コンクールのあと、ヌヴーには世界中から演奏依頼が殺到する。ドイツやソ連に演奏旅行を行ない、その高貴で情熱的な演奏は各地で大反響を巻き起こした。しかし、やがて戦争が始まり、フランスはナチス・ドイツ軍に占領される。ドイツからは、ベルリンからシュトゥットガルトに至る大規模なコンサートツアーの依頼があった。しかし、莫大な出演料を提示されたにもかかわらず、ヌヴーはきっぱり断った。



戦時中は、自由に外国に行けないということもあり、演奏家としての活動は限られたものとなった。しかし、ヌヴーはこの時間を、自らの音楽を掘り下げることに使った。1942年に公式なデュオ・パートナーとなった兄のジャンとは、アンサンブルでの演奏を重ねることで絆を深めた。フランシス・プーランクがヌヴーの勧めによって書いたヴァイオリン・ソナタが、ヌヴーのヴァイオリン、作曲者のピアノで初演されたのも戦時中のことだった。

連合軍がノルマンディーに上陸し、反撃を開始すると、ヌヴーもまた活動を再開する。ベルギーが解放されればベルギーへ、スイス国境からドイツ軍が去ればスイスへ赴き、演奏を行なった。ロンドンでは、泊まっていたホテルの近くにV2ロケットが着弾したこともあったという。
そして戦争が終わると、彼女は再び世界に活動範囲を広げ、録音も本格的に開始する。彼女にとって最初の協奏曲録音は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲だった。スケジュールがたった1日しかなかったためにセッションは長時間に及び、ヌヴーはあごや首から出血したというが、その演奏はすばらしく、当時はまだあまり知られていなかったこの曲の地位向上に大きく貢献した。
連合軍がノルマンディーに上陸し、反撃を開始すると、ヌヴーもまた活動を再開する。ベルギーが解放されればベルギーへ、スイス国境からドイツ軍が去ればスイスへ赴き、演奏を行なった。ロンドンでは、泊まっていたホテルの近くにV2ロケットが着弾したこともあったという。



世界的成功と内省的な性格その後もヌヴーは各地でセンセーショナルな成功を収める。ウィーンで彼女とベートーヴェンの協奏曲を演奏したカラヤンは、すぐにロンドンに電話をして、この曲を彼女と録音できるよう頼み(これは実現しなかった)、米国で共演したオーマンディは、「現代のもっとも偉大なヴァイオリニストのひとり」とたたえた。クーセヴィツキーは「これほどの演奏は今後聴けないだろう」とオーケストラを起立させた。
ヌヴーは、バーやカフェに行ったり、無駄なおしゃべりをしたりすることは好きではなかった。たまの休みにも、数時間の練習のあとは、母親や犬と過ごし、読書をするのが常だった。とはいえ人間嫌いというわけではなく、無邪気で率直で、その場を明るくする性格でもあった。彼女と会った人は、誰もが彼女のことを親しい友人のように感じたという。
ヌヴーは、考える人でもあった。彼女のノートには、次のような言葉が残っている。使命ゆえの孤独なくして偉大なことは達成されない。そして、真の偉大さとは、おそらく輝ける孤独だときおり、人は死を恐れるゆえに臆病になる。だが死とは、その人生や、内に持つ理想次第では、受け入れるに足る価値のある崇高なものだ1949年10月27日21時、ヌヴーは3度目のアメリカ・ツアーのため、兄のジャンとともに、パリのオルリー空港から旅客機に搭乗した。乗員11名、乗客37名、計48名を乗せたロッキード・コンステレーション機は、しかし、補給のために立ち寄る予定だったポルトガル領アゾレス諸島、バラ山に衝突し、墜落、炎上する。生存者はいなかった。世界中の人々が、彼女の早すぎる死に衝撃を受け、悲しんだ。

ジネット・ヌヴー生誕100年&没後70年記念この音質の良さには思わず興奮!
気迫と情熱、凛とした弾きぶりには思わず震撼、身ぶるい!
伝説の名演(ブラームスの協奏曲49年盤)がかつてないほど極上の音質で蘇る!遺された録音は数少なく、どれもが本当に貴重。なかでも、彼女が最も得意としたブラームスのヴァイオリン協奏曲。(1)46年8月のEMI録音(ドブロヴェーン指揮/フィルハーモニア管弦楽団)、(2)48年4月25日バーデン・バーデン・ライヴ(デゾルミエール指揮フランス国立放送管)、(3)48年5月3日ハンブルクのライヴ(イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響)、(4)49年6月10日ハーグでのライヴ(ドラティ指揮ハーグ・レジデンティ管)―4種の録音が遺されていますが、この(4)、事故にあう4か月前の録音が、従来盤を上まわる目覚ましい音質で蘇ります!



従来盤には、世界初発売したキング・セブンシーズのKICC-2182(91年発売、ミュージック・アンド・アーツ原盤、廃盤)、ミュージック・アンド・アーツのCD-837(94年発売)、DanteのLYS389-392(98年発売、廃盤)等がありました。
今回の音源はEPITAGRAPH(エピタグラフ)が知人を経由してオランダの放送局のアーカイヴから入手したもの。記録・保存用のアセテート・ディスクから復刻、デジタル・トランスファーした音源です。スクラッチ・ノイズこそありますが、高域を損なわないように過度なノイズ・リダクションはしていないため、臨場感は抜群。第1楽章のあと、聴衆の拍手が起き、その後軽くチューニングしていますが、この間合い(22秒間)もトラックを設け、カットすることなく録しているそうです。

第1楽章から、猛烈な気迫が聴く者の心を揺さぶります。吸引力の強さは無類です。第2楽章ではロマン的な情緒も爽やかに、歌心に溢れて美しく、惚れ惚れとさせてくれます。そしてフィナーレに入ると情熱の塊が火を噴いたよう!ドラティとハーグ・レジデンティ管弦楽団も堅実なバックアップで対応しています。 ヌヴーのソロの音、凛とした弾きぶり、ストラディヴァリウスの艶やかな音がしっかり捉えられていることでは有名なイッセルシュテット盤等と比べてもこれが一番です。



曲目・内容
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77
アーティスト(演奏・出演)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
アンタル・ドラティ指揮
ハーグ・レジデンティ管弦楽団
レコーディング
録音:1949年6月10日 ハーグ(ライヴ)
Produced by Epitagraph(原盤:エピタグラフ)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)は、15歳の時にヴィエニャフスキ国際コンクールで、ダヴィッド・オイストラフをおさえて優勝し大きな注目を集めました。優勝後は、世界的な活躍をすることとなり、各地で絶賛をもって迎えられますが、そうした忙しいツアー生活のさなか、アメリカに向かうために飛行機に乗り込んだヌヴーは、ポルトガルで乗客乗員全員死亡という凄惨な事故にあい、30歳の若さでなくなってしまいました。
2019年の生誕100年、没70年を記念して、ワーナー(旧EMI)・アーカイブに残されている最も状態の良い貴重なマスターより、パリ、Art&Son Studio Annecyにてリマスターをおこない、最善の状態で再発。天才だけが成し得る技だけでなく、ここに示された作品にのめり込むような濃密な情念はヌヴー若き日ならではの、微塵も感じさせない力強さに溢れたものです。
《CD1》
 シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op.47
[共演]
 ワルター・ジュスキント(指揮)
 フィルハーモニア管弦楽団
[録音]
 1945年11月21日、ロンドン、アビイ・ロード・スタジオ
https://www.youtube.com/watch?v=729L0ke5Lxs
《CD2》
 1-3) ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.77
 4) ショーソン:詩曲 Op.25
[共演]
 イサイ・ドブロウェン(指揮)
 フィルハーモニア管弦楽団
[録音]
 1946年8月16-18日、ロンドン、アビイ・ロード・スタジオ

勿論録音は古いが、聴き始めると途中では止められない、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲に至ってはこれ程透明度のあるヴァイオリンは他では聴けない音が鳴った、目頭が熱くなるそれ程良い演奏である。
今まで愛聴していたイザベル・ファウストとハーディング奇跡のブラームスと言われる新録音と比べると断然霞んで聴こえる、次元が違う様にも聴こえる。名演奏とはこの様な物であろうと痛感する。この様な演奏を聴くには筆者の持参する古いタイプのタンノイのIIILZ Monitor Goldのユニットではベストマッチであるかの様です。

確かに全体の音質はジネット・ヌヴーの作品は劣るしかし演奏と音質では意味合いが全く違う、以前にも記したが音楽の資質、品格が違う様に感じるキリッとしたヴァイオリンのエキセントリックな音にハット息を呑む美しさを感じる、まさに玄人芸に感じる、やはり芸術を楽しむにはある程度の機材の必要性を案じる事と思った筆者である。

先日紹介したピアニスト、ディヌ・リパッティの演奏も素晴らしかったが続いて今回紹介するヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴーも是非記憶に残したい名演奏者であろう・・・・未だ知らない演奏家も多いと思うが残りの人生でどれ程匠な演奏家の音がが聴けるのであろうかが楽しみでもある、ブラボー!