裕次郎の玉手箱3

趣味 写真や日記、旅行とアマチュア無線 PC 好きな事が多くて全て今一状態 人との出会いを大切に北海道大好き人間です。

HY戦争.....ご存じ?

2014年10月15日 | 日記

H/Y戦争って知ってる人は少ないかなあ 1955年頃の話で学校卒業後自転車→バイク→車と私の人生の中で最もどっぷり浸かりきった世界だ 小学生の頃はツア-車に魅せられ、その延長がオ-トバイに続いていく 当時ヤマハからは「赤とんぼ」言う125ccのバイクがヤマハの原点にたった 型式はヤマハ125 YA-1 朱色のカラ-から赤とんぼと言われた。バイクの世界に私が入った頃は国内メ-カ-幾つも有ったが、中でもヤマハ ホンダ スズキ クロガネ ポインタ- メグロ....まだまだ沢山のメ-カ-が頑張っていた。私の初めはヤマハでスタ-ト 2サイクルエンジンは軽やかなリズム感有る排気音は今でも悪い頭だが、はっきり残っている 当時は2サイクル車は混合燃料と言ってガソリンとオイルを混ぜて使うのです。ガソリンとオイル 15:1の混合比軽くて簡単な構成で当時の花形だった。YA1は1955年の富士登山、浅間火山レールで上位を独占して脚光を浴びた。 性能面だけでなくデザイン、仕上げも念入りに作られ、細身の車体と栗茶色のタンクに特徴があり " 赤トンボ " の愛称で呼ばれた由縁 日本車として初めてのプライマリー始動方式を採用した。 それまでのバイクでは、キックギアからトランスミッションギアを経由してメインアクスルを回す構造なので、エンジン始動時はトランスミッションを必ずニュートラル位置とし、クラッチを切らずにキックする必要があった。 プ ライマリキック始動方式はキックアイドルギア、キックピニオンを設け、これらを介してプライマリドリブンギア(減速大歯車)を回す機構をもたせたもので、 クラッチを切ればトランスミッションギアがどの位置にあってもエンジン始動を始動させることができる。現在では極めてポピュラーな機構になっているが当時はビックリものだった。 この赤とんぼに挑戦を挑んで来たのはホンダだ HY戦争はホンダとヤマハの戦いで、この2社で日本のバイク名を世界に轟かせたものでお互いに技術の責め合いで発展してきたメ-カ-です。ヤマハは2サイクル ホンダは4サイクルで路線を貫いていく姿は、今思えば懐かしいのといい時代が蘇ってくる......もっともっと思い出しているけど 今日はこの辺で 時々はバイクや車の事も書かせて下さい 読んで下さい。

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