裕次郎の玉手箱3

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6.000人の命を救った 杉原千畝     2024.01.27

2024年01月27日 | 日記

昨日約10年ほど前の映画を見ることが出来ました 杉原千畝氏の日本領事館領事代理時代のとても感動ドラマです 戦争の悲惨さを教えてくれます 外交官であった杉原千畝は、1939年(昭和 14 年)7月 ヨーロッパの小さな国リトアニアの領事館の責任者として家族と共に勤つ とめる事に成りました その当時、世界は日本・ドイツ・イタリアを中心とするグループとイギリス・フランス・アメリカを中心とするグループの二つに分かれ対立を深めていました そして、そのころリトアニアの南のポーランドにドイツ軍が攻せめ込んで、第二次世界大戦が始まったんですね ナチスドイツをリードするヒットラーは、ドイツ人がもっとも優れた民族であるという考えを持ち、反ユダヤ主義を掲かかげ、ユダヤ人を皆殺しにすると言う恐ろしい作戦をすすめていてようです ユダヤ人と言うだけの理由で強制的に収容所に入れられるだけでなく、銃や毒ガスなどで命をうばわれていました。そして、戦争が終わる1945年までに約600万人のユダヤ人の人達が犠牲となりました 1940年7月27日の朝、千畝の務める領事館の前にたくさんの人たちが集まっていました うす汚れた服をまとった人々の目は血ばしっていて、 訴ったえるような光をたたえていました。中には手を合わせて拝んでいる人もいたそうです   

時は第2次世界大戦時、ナチスに迫害されたユダヤ難民にビザを発給して救いの手を差し伸べ、「日本のシンドラー」とも呼ばれた外交官・杉原千畝の半生を、唐沢寿明主演で描いたドラマです 堪能な語学と豊富な知識を駆使し、インテリジェンス・オフィサー(諜報外交官)として世界各国で諜報活動に携わった杉原千畝は、1939年、リトアニアの日本領事館に赴任。自ら構築した一大諜報網をもって混乱する世界情勢を分析し、日本に情報を送り続けていた。その一方で、日本政府の命令に背いてナチスに迫害されたユダヤ難民に日本通過のビザを発給し、6000人の命を救った杉原の、知られざる信念や信条を描かれています 未だに多くの人たちに敬まれし杉原千畝氏の心がしみますね 今の政治家にこの様な立派なことが出来る政治家なんて居ませんよね 久しぶりにいい映画見れました 現実界は争いが止まりません 年が明けてもまだ懲りること無く一部の悪人の考えで人の命大事さを考えない狂人達を誰も止められない世の中 怖いですね 機会があれば是非御覧ください   (一部NETからの資料)

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