自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

雑木林

2013年03月14日 | Weblog


 僕のひ弱な文学遍歴の最初と言えるものは、独歩や蘆花の随筆だった。
 この二人が見出したのが雑木林の美しさだった。
 ツルゲーネフなどのロシア文学にも負うているのだが、それまでの日本人が殆ど見落としていた雑木林を、美しいものとして、心を動かすものとして、初めて積極的に認めたのだ。
 これは一つの心象革命と言ってよいと思う。
 松や桜や梅、また杉や桧と違って、せいぜい炭焼きの材料にしかならない雑木林にその美をたたえることはなかった。
 蘆花と独歩が、明治30年代、つまり明治維新という政治革命から30余年を経た時代になって、美意識の変革、自然を見る目の変革にとりかかったのだった。
 『自然と人生』や『武蔵野』に自然の美しさを見る新しい目が生まれた。
 『自然と人生』の中に「雑木林」という文もある。
 「東京の西郊、多摩の流れに到るまでの間には、幾箇の丘があり、谷あり、幾筋の往還は此丘に上がり、うねうねとして行く。谷は田にして、概ね小川の流れあり、流れには稀に水車あり。丘は拓かれて、畑となれるが多くも、其処此処には角に画(しき)られたる多くの雑木林ありて残れり。余は斯(この)雑木林を愛す」と言って、楢や橡やハンノキなど、それまでは雑木として、見かえられることのなかった木々の林の四季折々の美を描き出した。
 『武蔵野』では「美といはんより寧ろ詩趣といひたい」と言って、新しい自然美を打ち出した。
 明治30年代は自然美の維新時代だった。今は昔の物語にはしたくない。

ショパンの葬儀で

2013年03月13日 | Weblog

 1849年10月17日、パリのマデレーヌ寺院で行われたショパンの葬儀で同寺院の風琴で演奏されたのは、24の前奏曲の第4番。
 アウフタクトを含めて僅か26小節の小曲。
 高音部の2音を動機とし、それを伴奏の和音を変えながら反復して全曲を作り上げている曲で、その間に転調によって哀切きわまりない感情を見事に表現している。
 本来、24の前奏曲は24曲全部を弾くこと(聴くこと)によってショパンの人生観が活き活きと表出されるが、この第4番は、僕でも弾くことができるほどテクニックを要しないので、時々悦にいって弾く。
 この第4番のみで完結した曲と見ることもできるだろう。最後がピアニッシモで消えるように終わるから。ショパンの葬儀での曲として選ばれたのも分るような気がする。

 (心臓だけは姉によってポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会の柱の中に納められている。)

「原発事故は人災」 1650人提訴 故郷福島へ思い切々

2013年03月12日 | Weblog

(朝刊より)
 東京電力福島第一原発事故で平穏な生活を奪われたとして、福島県の住民や避難者ら千六百五十人が国と東電を相手取り、
計約五十三億六千万円の損害賠償や原状回復などを求めて福島、東京、千葉地裁など四つの地裁・地裁支部に集団提訴した。
訴状や提訴後の会見では、故郷を失った切実な思いがあふれた。 
 福島地裁の原告団は、訴状で「原告らが求めるのは、もとの美しい福島を返せという住民の叫びそのものだ」と強調した。
海や山の恵みを受けて営んできた生業や生活が、原発事故という「人災」で破壊されたと指摘、「二度と原発事故を起こすな。
これが究極の願いである」と結んだ。
 東京地裁に提訴した原告で、高専の教員を辞めて福島県いわき市から東京都内に自主避難している鴨下祐也さん(44)は
会見で「避難区域外にも放射性物質に汚染された地域はあり子どもを安心して育てられない」と訴えた。

(原発の大事故を「人災」として提訴した意義は大きいと思う。あれだけ新聞などで大々的に「安全」と宣伝していたのだから、電力会社たちが。)

出来ますか?

2013年03月09日 | Weblog

 最近、気がついたこと。両手、両足指の動かし方。
まず、右手を開き(パー)同時に、
    左手を閉じる(グー)同時に、
    右足指をそのまま、同時に
    左足指をキュッと閉じる。
これは何度でも出来ます。

では、右手パー、同時に、
    左手グー、同時に、
    右足指キュッ、同時に、
    左足指そのまま。
これ、出来ますか?出来たら何度でも出来ますか?同時にですよ。同時に!力まずに!左足指をピクとも動かさずに!
正直に言いまして僕は出来ません。僕だけなのかどうか、分りません。
もしお出来になれない方が居られましたら、何故お出来になれないのか、その理由を教えて頂けませんか?

去り逝く日の来ん時は

2013年03月08日 | Weblog

  去り逝く日の来ん時は

去り逝く日の来ん時は
ものみなに許しを乞います

心の髄に感じる事は
文をなしたる事の悲哀です

なぜか その悲哀の故にか
泉に小石をひとつ投げてみます
水に沈みゆく石が黙っているのは
何と言う不思議な美しさでしょう

口をつぐみて時間の声に聴き入ります
時間がすべてを澄ましてくれます

ところが 万目荒涼たる心象が
冬の小路に細い影をつくっています
風の音に驚きて 草木を想い
万物流転に身を任せましょう

僕の歴史を顧みますと それは一行の詩
Uni-verse
Universe

宇宙が暮れて逝きます
仰げばオリオンが密かに瞬いています

去り逝く日の来ん時は
僕は静かに誕生を天に返します

風呂敷

2013年03月07日 | Weblog

学生の時、中国文学の若い先生・高橋和巳の講義に出た。三ヶ月と続かなかったが。(小説家・高橋和巳を知ったのは後である。)
その和巳先生が本を風呂敷で包んでわりと早足で歩いているのを思い出した。
風呂敷の長老の先生は二人はおられたが、和巳先生はまだ30代後半だった。
ところで、風呂敷という言葉が気になった。なぜ風呂敷というのか。調べてみた。
風呂敷とは風呂の敷物であった。もともと日本の風呂は湯船がある風呂ではなく、蒸し風呂で寺院にあった。
前者は湯と言い、後者を風呂と言った。
風呂に入るには礼を失っしないように、一定の着衣を要した。その脱衣を包むのが風呂敷であった。
他人の物と間違えないように家紋や家号の類を染め抜き、又、浴後にはそれを敷いて座したと言われている。
しかし、風呂敷という名前は江戸時代以降の事で、それ以前は平包、古路毛都々美などと言ったそうだ。が、形は四角形のままだった。
風呂敷で物を包むということは、包んだ物を運ぶという機能と、その物を大切に扱うという人の心の現われである。
因みに、「包」という字の成り立ちは、勹に己と書く。
勹は母体を意味し、己は自分を表す字である。つまり、「包」は母体が子を宿し育むことを意味する字である。
僕らは母体に包まれ命を宿し、生まれた後は、もともとは、自然に包まれ、四季の風情を愛でて生活してきたはずだった。
近頃は、包まれるという事を何処かに置き忘れて忙しく生活している。
風呂敷という言葉の由来を調べていて、考えさせられるところがあった。

独居死

2013年03月06日 | Weblog

独居死。寂しい言葉だ。独居死された方々の心情や如何に。
大震災後、独居死が増えていると聞く。
独居死を防ぐにはどうすれば良いのか。
僕が少し関係していた特養老人施設から送られてきたパンフレットに「認知症予防6ヶ条」が掲載されていた。
これは独居死防止にも役立つと思われる。
 1.活発な生活や運動をして筋力・体力を維持・増進しよう。
 2.しっかりした食事で活動に必要な栄養をしっかり摂ろう。
 3.栄養をしっかり摂るために「口の健康」を保とう。
 4.家にとじこもることなく外出し、気分転換をしよう。
 5.人と交流・会話して楽しく過ごそう。
 6.人と会うことで刺激を受け適度に緊張感を持とう。

問題は、この6ヶ条を実践できる環境づくりが充分かどうかであろう。

森林の力

2013年03月05日 | Weblog

 林野庁のホームページによると次の等式が成り立つそうだ。
  国内の森林≒443億リッポーメートル
 この等式は、国内の生活用水の3年分に相当する約443億リッポーメートルの水を保つ力が、国内の森林にある、という事を表す。
 こう言われても実感できないが、保水力が森林に備わっているとい事は周知のところである。
 森林に降った雨水は、スポンジのように柔らかい森林の地面に染み込み、地層によって濾過されて徐々に河川へ流れる。
 森林が保水に優れ、「緑のダム」と呼ばれるのも故ある事である。
 森林の木々は根から水を吸い上げ、葉から水蒸気として大気に戻す。森林が気温を下げているのはこの時の気化熱のおかげである。
 この他にも、土の中に張り巡らされた根が土砂崩れを防いだり、微生物から動物まで様々な生物を育んだり、
 また言うまでもないことだが、二酸化炭素の吸収に大きな役割を果たしている。
 森林の重要性をもっともっと認識する必要がある、と強調したことがあったが、都会の若い人は怪訝な顔をしていた。
 森林浴でも体験すれば、森林の恵に気が付いてくれるのだろうか。
 それにしても、大阪市内には森林が少ない。今夏もヒートアイランド現象に襲われるのであろう。

渡水看花

2013年03月04日 | Weblog

 
 『旅でもらった一言』という、俳優の渡辺文雄(1929-2004)の本を何気なしに開いて読んだ。この人の文を読むのは初めてだ。実に読み易い。感心した。題名の通り作者が旅の最中に話をした人の一言についての感想、後日談などを集めたアンソロジーである。その最後の話を。

    渡水看花

   渡水復渡水
   看花環看花
   春風江上路
   不覚到君家
 (水を渡り、復(ま)た水を渡り、花を看て環(ま)た花を看て、春風江上の路、覚えずして君の家に到る。)

 明代の高啓の作。友人の胡隠君を訪ねた有名な詩だそうだ。何の不思議もない情景描写のように思えるが、最後の「君」について議論があるそうだ。「君」は阿弥陀様のことだとの解釈があるらしい。渡水看花とは来世に行く風景。死出の旅路は恐ろしくない事を詠んだ詩との解釈があるらしい。
 そして、作者・渡辺文雄が肯いているのは、この詩は、逝った人に贈る詩でもあるが、見送る人がこの詩で和むのだ、という事である。僕はそうかも知れないと思った。

「自分はいまこそ言はう」

2013年03月03日 | Weblog

なんであんなにいそぐのだろう
どこまでゆこうとするのだろう
どこで此の道がつきるのだろう
此の生の一本の道がどこかでつきたら
人間はそこでどうなるだろう
おお此の道はどこまでも人間とともにつきないのではないか
渓間(たにま)を流れる泉のやうに
自分はいまこそ言はう
人生はのろさにあれ
のろのろと蝸牛のやうであれ
そしてやすまず
一生に二どと通らぬ道なのだからつつしんで
自分は行かうと思ふと


 山村暮鳥の詩です。このところボーと暮鳥を読んでいます。あわてなくともいいと自分に言いきかせながら。

ことば

2013年03月02日 | Weblog

  ことば

ことばが生まれるとき
こころの中に道が通ります
行き先はあなたが決めます
山を越えるか 川を渡るか
その間に 見つけることば
あなたのこころで結晶したことばは
あなたの勇気になります

ことばはある日 突然やってきます
驚かないように 訓練する勇気
勇気をもたなければならないのは
あなた つまり ぼくなのです

黄河は海まで流れるか。(2010-3-17の再掲)

2013年03月01日 | Weblog

 昨日、西日本各地で黄砂が観測されたそうだ。午後五時までの中部地方から九州までの27地点での観測によると、松江市や熊本市、佐賀市では視界が5~10キロ。大阪の視界は15キロ程度で、ビルがかすんで見えた。
 いつごろからか、もう10年前ごろからか、日本に飛んでくる大量の黄砂が一種の社会問題になっている。黄砂の源の黄河の状態はどうなっているのか。
 黄河は流域の1億4000万人の生活と、740万ヘクタールの農地を支えている。その黄河の水が、取水のし過ぎで1970年代から海まで達しないという現象を起こしている。黄河の干上がり現象が初めて観測されたのは1972年。近年の25年のうちの19年は干上がり現象が起こっている。黄河流域の水需要は、供給可能量より既に10%超えており、2030年には45%まで拡大すると予想されている。生活用水源に加えて、急速に発展している工業化にともなう大幅な取水が干上がりの原因と見られる。
 黄河だけではなく、ナイル川、ガンジス川やインダス川、それに北米のコロラド川でも水が海に達しない時期がある。
 言うまでもなく淡水は陸上の生物にとって不可欠。地表の水の97.2%は海水。淡水は2.8%。だが淡水の80%は固体。固体以外は河川を流れる水、湖水、地下水、水蒸気など。河川の水の量は地表の水の量の0.0001%にすぎず、人間はこのわずかな量に頼らなければ生きていけない。水の惑星という割には、使える水は少ない。心して使わなければならない。

(今年はPM25とかいう新手の微粒子ガスが飛来してきている。既に悪影響が出ているとも。日本も1960~70年代に引き起こした公害!)