自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

自然と自然法②

2013年03月22日 | Weblog

 近代初期の自然法思想は、自然状態と社会・政治状態とを媒介する社会契約であるという考え方である。これは、共同体に埋没した個人ではなく、個人の主体性を基礎にして、その理性に国家・社会の存立の意義をもたせる考え方である。つまり、人は生まれながらに自由・平等であり、不可侵の自然権をもち、この不可侵の自然権をもつ人間は国家による拘束を受けないで自由に生活していく自然状態から出発するが、他方、人は孤立して生活することができないが故に国家をつくることを約束する。自由な個人から出発し、国家の基礎を人間の自由な意思に求め、自由と権力による拘束を自律の原理によって説明する。
 十九世紀に入り、近代的国家体制が確立し、法制度が整備され、自然法の理念が実定法に吸収、具体化されるようになると、十八世紀に至るまでの法思想を支配してきた自然法思想の役割が表面から次第に退いていった。それに代って、法実証主義が有力になった。ここでは経験的な実定法が力をもち、超経験的な自然法は排除された。ドイツにおいて、法実証主義が価値判断を退け、政治権力に対抗して法律に従って批判する潮流を放棄する傾向のもとで、ナチスの独裁政治体制が維持された。しかし、ナチスが崩壊し第二次世界大戦が終わると、その人権を無視した数多くの悪法に対して批判が高まり、再び自然法思想が浮上し、ドイツにおいて自然法の研究が復活していった。特に、現在のドイツでは自由の尊重、人権の保障という価値を実定法の内容に盛り込む姿勢が強い。
 今日、自然法については多様な理論的研究がなされているが、自然法と法実証主義のいづれを選ぶかという視点は、むしろ弱く、この両者を調和させる方法が注目されていると言ってよい。
 ただ、自然法が自然とどのように関係するのかという問題は法学者の間では殆ど注目されていない。どんな自然とどのように関係するのか、この問題は永遠の問題なのかも知れない。(続く)