自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

『木を植えた人』(再掲)

2013年03月27日 | Weblog

 ジャン・ジオノ『木を植えた人』の物語が実話なのか虚構なのかは不明である。虚構であっても、この短編から大きな感動を受ける。フランス南部のプロヴァンス地方に生まれたジャン・ジオノが、その地方の荒れ果てた高地を森に変えた一人の男を描いているのがこの短編である。
 その男、エルゼアール・ブフィエは毎晩ドングリを百粒を荒地に植えていた。植え始めて三年、十万粒のドングリの内二万本の芽が出た。その半分はネズミやリスにかじられたが、一万本のカシの木が荒地に育った。第一次大戦後五年を経て、「私」が再び訪れると、一万本のカシの木は既に人の背丈を越え、ブナやカバの森も育っていた。広大な荒地が緑の森に変わっていた。
 近くの村には小川が流れていた。そこに水が流れるのは随分と久しぶりのことで、誰も覚えていないくらい昔のことだった。男の育てた森が小川を生み出していたのだ。
 更に二十数年、男は根気よく森を育てた。廃墟だった村に気持ちの良い生活が戻り、「森が保持する雨や雪を受けて、古い水源がふたたび流れはじめ、人々はそこから水を引いている。」
 森が水をつくってくれるのだ。森は薪も炭も与えてくれるが、何より水を与えてくれる。豊かな森には豊かな水がある。
 僕らは森の恵みをどれほど認識しているだろう。文明というものが、森を切り拓くことによって進歩してきたというのが事実であるならば、この事実を反省しなければならないと思う。