自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

山の民

2013年03月25日 | Weblog

 『彦一頓知ばなし』や『それからの武蔵』の作者・小山勝清の生涯を描いた『われ山に帰る』(高田宏著)は人物伝として秀逸であるばかりではなく、日本の近代思想史に裨益するものである。
 大正年間、釜石鉱山や足尾銅山での労使争議を指導し、堺利彦の書生として或る種のユートピア思想を志向した小山勝清は結局挫折感を味わい、故郷の球磨川上流の村落に帰った。
 古老の話「わしの今までの暮らしはどう考えても収入のほうがずっと少ない。それだのに、わしは生きておる。いや、わしだけではござらん、村の衆みんな、その計算でゆくと野垂死んでいて不思議はない。なるほど、借金もあれば、土地や山林を売りはらっておるけどな、そんなもんでは帳尻は合わん。どうなっておると思いなさるかね」老人は得意気に言った。
 「不思議でもなんでもない。まず村の衆の協力がいまの勘定から脱けておる。家を建てる、棟を修繕する、橋をかける、それがみんな協力でできてしまう。それだけじゃござらん。村の衆のたいがいは田畑をなくして今じゃ小作人じゃが、それでもやはり食っていけるのは村の共有財産のおかげですわい。薪をとる山もまぐさ場も共有、四季のおかずは共有の畑に作る。筍は共有の竹林からとってくる。屋根をふく萱もそうなら、山を焼いたあとの茶畑もそうじゃ。これがもし個人持ちであったらば、とうの昔金持ちのものになってしまい、今じゃ枝一本自由にならず、みんな暮してはいけんじゃろう」。
 勝清の志向した考えは、山の民の内に規模は小さいながらも既に実現されていた。