自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

ベートーヴェンの自然観

2012年05月16日 | Weblog

 ベートーヴェンの「田園」交響曲のリストによるピアノ編曲版の楽譜が友人の手を介して僕の手に入って久しい。ピアノに向かっても歯が立たないが、久しぶりにピアノを触ってみよう。
 ところで、ベートーヴェンにとって「田園」(Pastorale)はどんな意味における「田園」であったのだろうか。解説を参考にして僕なりに少し考えてみる。
 パストラーレとは本来、牧歌を表し、牧歌にはイエスの降臨を喜ぶクリスマス音楽としての役割と、牧人の音楽としての役割と二つの側面がある。「田園」交響曲の終章に「牧人の歌」と記されているのは後者の意味である。だが、牧人の歌は単に羊飼いの音楽なのではなく、ヴェルギリウス以来西欧に流れているアルカディアにおける牧歌であろう。アルカディアでは神と人が調和した生活を営むことができる。僕には実感できないが、神の恩寵に満たされた安らぎの場、調和した生活の場がアルカディアであるなら、ベートーヴェンの「シンフォニア・パストラーレ」は音楽における「田園(アルカディア)の生活誌」である。
 「田園」は神の創造になる自然である。「嵐」は神の怒りの象徴であり、終章の「嵐の後の感謝の念」が「牧人の歌」であることが、神の創造たる自然を表していると考えられる。
 概略以上のようなことは僕には実感できないが、この曲の美しさは、やはり自然の秩序を表す、ただならぬ美しさである。現代文明が忘れてきた自然である。

沖縄施政権返還40周年 いまだ「復帰」なし得ず

2012年05月15日 | Weblog

(朝刊より)
 
 一九七二年五月十五日、戦後、米軍による統治が続いていた沖縄の施政権は日本に返還された。以来四十年。沖縄は本当に日本に復帰したと言えるのか。
復帰当日の午前十時半、東京・九段の日本武道館と那覇市民会館とをテレビ中継で結び、政府主催の沖縄復帰記念式典が始まった。
 沖縄返還を主導した式典委員長の佐藤栄作首相は声を詰まらせながら、こうあいさつする。
 「沖縄は本日、祖国に復帰した。戦争で失われた領土を外交交渉により回復したことは史上極めてまれであり、これを可能にした日米友好の絆の強さを痛感する」。
 ◆「本土並み」程遠く
 自らの外交成果を誇る佐藤首相に対し、那覇会場に出席していた屋良朝苗沖縄県知事のあいさつからは、復帰をめぐる県民のやり切れない思いが伝わる。
 「復帰の内容は必ずしも私どもの切なる願望がいれられたとは言えない。米軍基地をはじめ、いろいろな問題を持ち込んで復帰した。これからも厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれない」
 沖縄返還の基本方針は「核抜き本土並み」だ。核抜きとは、沖縄に配備されていた核兵器の撤去、本土並みとは、日米安全保障条約と関連取り決めが沖縄にも変更なく適用されることを意味する。同時に、沖縄県土面積の12・6%を占める米軍基地を本土並みに縮小することでもあった。
 佐藤首相は「沖縄の基地は、当然日本の本土並みになるべきものだから順次撤去、縮小の方向にいくと思う」と国会答弁しており、県民の期待も高まっていた。
 しかし、沖縄の米軍基地の現状はどうか。県土面積に占める割合は10・2%と依然高く、在日米軍基地の約74%は沖縄に集中する。四十年を経ても「本土並み」は達成されていない。屋良知事の懸念は残念ながら的中したのである。
 ◆人権ないがしろに
 沖縄の米軍基地はなぜ減らないのか。米軍が「アジア・太平洋の要石」と位置付ける沖縄の地理的な優位性、中国の海洋進出や北朝鮮の軍事挑発に代表される戦略環境の変化など、理由付けしようと思えば、いくらでもできる。
 しかし、最も根源的な要因は、沖縄県民の苦悩に寄り添って現状を変えようとする姿勢が日本政府にも、本土に住む日本国民にも欠けていたことではなかろうか。
 そのことは復帰四十周年を機に沖縄の県紙と全国紙が合同で行った世論調査で明らかになった。
 琉球新報と毎日新聞との調査では、沖縄に在日米軍基地の七割以上が集中する現状を「不平等」だと思う沖縄県民は69%に達するのに対し、国民全体では33%にとどまる。また、沖縄の米軍基地を自分の住む地域に移設することの賛否は反対67%、賛成24%だった。
 ここから透けて見えるのは、自分の住む地域に米軍基地があると困るが沖縄にあるのは別に構わないという身勝手な意識、沖縄の厳しい現状に目を向けようとしない集団的無関心だ。
 沖縄の側からは、なぜ自分たちだけが過重な基地負担を引き受けなければならないのか、それは本土による沖縄に対する構造的差別だと、痛烈に告発されている。
 日米安全保障体制が日本の安全に不可欠であり、沖縄が日本の不可分な一部であるというのなら、基地提供という安保条約上の義務は沖縄県民により多く押し付けるのではなく、日本国民ができ得る限り等しく負うべきだろう。
 平穏な生活を脅かす日々の騒音や頻発する米兵の事件・事故、日本で起きた米兵の犯罪を日本の司法が裁けない日米地位協定…。圧倒的に多くの米軍基地が残る沖縄では依然、日本国憲法で保障された基本的人権がないがしろにされる状況に支配されている。
 人権無視の米軍統治に苦しんだ沖縄県民にとって日本復帰は憲法への復帰だったが、憲法よりも安保条約や地位協定が優先される復帰前のような現状では、沖縄が真の復帰を果たしたとは言えない。
 本土に住む私たちは、日本の一部に憲法の「空白」地帯が残ることを座視していいのだろうか。
 人権意識の高さを売りとする米政府が、沖縄の人権には無関心なことも、不思議でならない。
 ◆同胞として連帯を
 福島第一原発事故は、福島の人たちに犠牲を強いてきたと日本国民を覚醒させた。政府や企業が発する情報をうのみにせず、自らの頭で考え、判断する行動様式が根付きつつある結果、政府や電力資本のうそが次々と暴かれた。
 沖縄の現状にも国民全体が関心を寄せ、沖縄に基地を置く根拠とされた「抑止力」が真実かどうか自ら考えるべきだろう。本土と沖縄が同胞として痛みを共有し、連帯して初めて、本当の復帰に向けた第一歩を記すことができる。

(本当に「第一歩」を踏み出すことが出来るだろうか?難しいのは「痛みの共有」。)

核燃料再処理工場 動かなくても年1100億円

2012年05月14日 | Weblog

(新聞より)
 使用済み核燃料の再利用に向け、試験が進む日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)は、仮に稼働させなくても、維持費だけで年間千百億円もの費用がかかることが、政府の資料や日本原燃への取材で分かった。再処理工場を含む核燃料サイクルは、十兆円の巨費を投じても実現のめどが立っていない。費用はいずれも電気料金などの形で国民が負担している。当てのないまま事業を続けるのか、議論を呼びそうだ。
 原子力委員会で核燃料サイクル事業の是非が議論されている。二〇二〇年に原発をゼロにし、それまでに使った核燃料は再処理せずに地中に埋める直接処分が最もコストが安いとの試算が出た。ただし、推進派と反対派の主張がかみ合わず、判断を先送りするムードが出てきた。
 先送りした場合、問題になるのが、ほとんど完成した再処理工場の扱いだ。新たな方針が決まるまでの間は試験運転程度にとどめたとしても、保守点検、グループ会社による警備、放射線管理、人件費などさまざまな費用が必要になるという。
 核燃料サイクル事業では、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も、止まっていても年二百億円弱を費やすことが問題視されてきたが、再処理工場は実に五倍強の維持費だ。
 本紙の取材に、日本原燃は「設備を安全かつ健全な状態に維持・管理するための恒常的な費用」と主張。現状で百億円近い再処理技術の研究費の継続さえ必要との立場だ。これらの費用とは別に、現在、核燃料サイクル施設が立地していることを理由に、政府が青森県内の自治体に支払っている交付金もある。一一年度の交付額は九十二億円。
 費用も交付金も、大半は電気料金、一部は税金の形で国民が負担している。

(もはや言うべき言葉なし!!!)

民話の説得力

2012年05月13日 | Weblog


 僕は柄にも無く(?)宮崎アニメのファンです。大抵の作品は読んでいる。初期のものと思われるが、『トトロ』よりは後かもしれない『シュナの旅』という、映画化されていないアニメがある。これは、チベットの民話『犬になった王子』が元になっている。穀物をもたない貧しい国民の生活を憂えた或る国の王子が、苦難の末、竜王から麦の粒を盗み出し、それがために魔法で犬に変えられてしまうが、ひとりの少女の愛によって救われ、ついに祖国に麦をもたらすという民話である。王子や少女の姿は、『ナウシカ』などの主人公とそっくりに描かれている。
 現在、チベットは大麦を主食としている唯一の国だが、大麦は西アジアの原生地から世界に伝播したそうだ。だから、王子が西に向って旅をしたというのは歴史と符号しているとも考えられる。ただ、この民話は本当にあった出来事というより、チベットの人々が農作物への感謝を込めて生み出した、優れた物語だと考える方が夢がある。その方が、民話に説得力がある。
 僕ら、都市部に住む者は農作物への感謝を忘れてはいないか、と気がかりになった。気がかりになったが、ただそれだけのことだった。こういったことについて、どうも鈍感になっているような気がする。

美しき五月

2012年05月12日 | Weblog

  美しき五月という常套句がある。
 美しき五月のなかでも美しいのは陽光に輝く若葉であろう。

   朝の髪結ふ肘高く柿若葉   岡本 眸

 主婦が割烹着姿で手を拭きながら見上げる柿若葉。柿若葉は、楓の若葉などと異なり、庶民的な若葉だ。やや分厚な葉が不透明な緑の影をつくる。農家の庭にあったり、裏庭にあるのがふさわしい。その他に、盛り上がるような樟若葉も美しい。楢や橡などの雑木林がいっせいに芽吹き、若葉するときの美しさには喜びを感じる。
 五月の味覚では蚕豆(そらまめ)。冷凍や温室栽培の多いなかで莢(さや)のついた蚕豆は天日のあたる畑で収穫された野菜だ。ひとかかえにもなるのを買ってきて、莢をむく。

   そら豆はまことに青き味したり   細見綾子

 蚕豆は甘く煮たり、飯に炊き込んだり、いろいろの食べ方があるが結局は塩茹でに限る。魚では初鰹。鯵もしゅんに入った。

 ところで、美しき五月という常套句は、本来は冬が長く、春が来るのが遅い北国の言葉だろう。日本ならば北海道。梅、桃、桜、ライラックなどがいっせいに咲く五月。メーデーも本来は冬が去り春が来たことを喜ぶ、英国の春祭だ。英国の清教徒が初めて米国に渡った船の名がメーフラワー号。メーフラワーとはサンザシの花だそうだ。

 心も身体も快い五月、空気も乾いていて風も明るい五月、のはずが、今年は天候不順でやたらに暑かったり、雨の日が多かったり、緑の風が薫らない。これから先の五月に期待する他はない。

植物の「鼻」と「耳」(再掲)

2012年05月11日 | Weblog

 クチナシの花が独特の強い香りを放っている。
 20年ぐらい前の科学雑誌を見ていたら、興味深い記事に出会った。このクチナシの花を用いた実験がある。
 例えばバラに含まれるシトロネロールという香料成分をクチナシの葉に吹き付けると、特定の反応がある、というのだ。つまりクチナシは、匂いを「知る」機能を備えているということだ。クチナシに限らず、程度の差はあれ、それぞれの植物がそれぞれの匂いに反応した。しかも極めて微量の匂いをかぎわける力をもっていることが分かった。この力を応用すれば、植物による匂い感知器が実現する。果物や魚肉の生鮮度を見抜いてくれる測定器などが出来るかもしれないという。「まだ夢のような話なんですよ」と専門家は言う。
 植物は音にも反応する。騒音を流すと生体電位なるものに特定の反応があるし、音楽を流すと別の反応を示す。太鼓の音や雅楽のような音楽の時は反応が大きいが、モーツアルトの場合はむしろ少ないという。この差が何に依るのかは定かではない。
 ただ、植物には「鼻」も「耳」もあるということは確かなようだ。
 ポプラは虫に襲われると大気中に苦味をもったガスを出す。それを「知った」周りのポプラも苦味をもった物質を出して虫を防ごうとする。
 こういった研究は20年ぐらい前のものであるが、その後研究はどのように進んだのであろうか。いずれにせよ、僕らは植物のことをもっと知る方がいいし、植物の立場をもっと尊重する方がいいことは確実である。

坐る

2012年05月09日 | Weblog

 坐るという字は、土の上に人が二人すわっていることだ、という解釈がある。その二人とは自分と自分である。土に坐って自分と自分が対話し、自分の内面を見つめる、それが瞑想や坐禅につながるのだという仏教家が居る。
 無信心の僕は、仏教のことは知らないが、坐るという字を見つめていると、何となくそんな解釈がもっともらしく思えてくる。
 土の上、石の上、草の上、畳の上に黙って坐っていると、自分自身の喜怒哀楽を見つめることが出来るように思える。思うに、これは、椅子に座ることでは出来ない。椅子に座って事務や読書は出来るが、自分との対話は出来ないのではないか。 ひょっとしたら、坐ることで自分との対話が可能になるということは、日本文化の特徴であるかもしれない。旅館の畳の上に坐って、窓越しに緑滴る山を見ているうちに自分と自分との対話が進む、そんな旅をしたいものだ。贅沢かなぁ。

スルメイカ

2012年05月08日 | Weblog

 思い起こせば、子供の頃おやつで最も多く食べたのはスルメかもしれない。火鉢で焼いたスルメの香ばしさが懐かしい。イカ飯なども好物である。日本人ほどイカを食する国民は他にないとも思われる。
 マイカとも呼ばれるスルメイカは、一年中日本近海にいて、いつでも漁獲されているように思われるが、実は一年をかけて日本列島を南北に往復しながら一生を終えるというライフサイクルをもっているそうだ。ものの本によると、西日本ではサクラが咲く頃に獲れるので「花イカ」、伊豆半島付近で漁獲されるものは「麦イカ」、三陸では「夏イカ」と、季節によって呼び名が変わって北上し、秋には「戻りイカ」となって再び南下する。
 日本で最も普通に食べられているイカだが、種名に「するめ」と付けられているほどには、スルメイカのするめは珍重されていない。ケンサキイカのするめを「一番するめ」というのに対して、スルメイカのするめは「二番するめ」と言われ、二番手扱いされているそうだ。しかし、昔から各地の地場産業を支えてきた産品なので、松前するめ、南部するめ、佐渡するめなど、産地名を冠して呼ばれるものも多いそうだ。
 日本を代表する魚、いわば国魚としてアユが挙げられるが、日本を代表するイカならスルメイカだろう。アユもスルメイカも寿命が一年。どうも日本を代表する生き物は、サクラもしかり、ぱっと散る短命のものが多いようだ。これは、好奇心は旺盛だが飽き易いという日本人の性格の反映なのか、それとも潔癖性を示しているのか、判断に苦しむ。いや、余計なことを記してしまった。

庶民の味・鯵

2012年05月07日 | Weblog

 僕のような庶民にとっての庶民の味の一つが鯵。鯵は春から秋が旬。身の両側に「ぜいご」と呼ばれる固いウロコがあるので、これを取り除けば、如何様にも料理できる。
 鯵は普通は「真アジ」を指すが、その種類は多く、ムロアジ、シマアジなど、日本近海に約50種類が棲息しているそうだ。
 良質のタンパク質が豊富に含まれており、ビタミンB群やミネラルも富んでいる。脂肪にはDHA(ドコサヘキサエン酸)、FPA(エイコサペンタエン酸)などの不飽和酸が多く、血液をサラサラにして血中の中性脂肪やコレステロールを下げてくれる。加えて、動脈硬化や心臓病、高血圧など生活習慣病の予防も期待できる。
 僕が一番好きなのは、一夜干しの「ヒラキ」なのだが、これは僕んちの土地柄なかなか入手できない。鯵の「タタキ」も旨いが、これも同様、なかなか手が届かない。小鯵の南蛮漬けは骨ごと食べられカルシュームも摂れるので便利な食品だが、これは僕はあまり好きではない。仕方がないので、何夜干しか分からない、もしかしたら人工的に干した「ヒラキ」を食することが多い。
 回転寿司で出てくる寿司ダネの鯵は外国産だろう。それでも、僕は鮪などより鯵をすばやく取る。庶民の味、鯵ではあるが、新鮮な近海の鯵は庶民にとっては高嶺の花になってしまった。僕としては極めて残念なことではある。

42年ぶり国内全原発停止 泊3号機の定検開始

2012年05月06日 | Weblog

(朝刊より)
 北海道電力は5日、国内で唯一稼働中だった泊原発(後志管内泊村)3号機(出力91万2千キロワット)を停止させ定期検査を開始した。これにより泊原発3基を含む国内の商業用原発全50基が停止した。道内で稼働中の原発がゼロになるのは2003年10月以来8年6カ月ぶり。国内全原発の停止は1970年以来42年ぶりとなる。昨年3月の東日本大震災後の東京電力福島第1原発事故の発生、同7月の原発再稼働の条件としての安全評価(ストレステスト)導入を経て、稼働原発ゼロに。原発依存を続けるか、脱原発を目指すのか、国のエネルギー政策のあり方を左右する歴史的な節目を迎えた。
 北電は5日午後5時、泊3号機の原子炉に制御棒を挿入し、出力を徐々に低下させた。11時3分に出力がゼロとなり定期検査を開始した。6日午前2時ごろ、すべての制御棒の挿入を終えて核分裂反応が完全に止まり、7日午後には原子炉が安定する温度100度以下の冷温停止になる見通しだ。
 定期検査では、原子炉格納容器や冷却系統設備などを点検し、燃料集合体157体のうち約40体を交換する。作業は71日間を予定している。

(原子力発電所そのものを上下左右前後、厚さ10メートル以上の鉄筋コンクリートで包み込んでも安全とは言えない。)

原発ゼロ時代に挑む 運転46年 全50基が停止

2012年05月05日 | Weblog

(朝刊より)
 国内で唯一運転中だった北海道電力泊(とまり)原発3号機(北海道泊村、九一・二万キロワット)が五日深夜に停止し、定期検査入りする。これで国内の商業用原発五十基すべてが止まり、一九七〇年春以来、四十二年ぶりの「原発ゼロ」になる。政府は関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を目指すが、安全面への不安から反対が強く、全国で電力需要が増える夏を初めて原発ゼロのまま迎える可能性も出てきた。
 北海道電力は五日午後五時から泊原発3号機の出力を少しずつ落とし、午後十一時ごろに発電を止める。
 六六年七月に日本で初めて日本原子力発電(原電)東海原発(茨城県東海村、廃炉作業中)が稼働してから、運転中の原発がゼロになったのは七〇年四月三十日から五月四日の五日間だけだ。
 当時、国内には東海原発と原電敦賀1号機(福井県敦賀市、三五・七万キロワット)の二基しかなく、その二基が定期検査とトラブルで停止した。その後は核の火が一時たりとも消えることはなかった。
 二〇〇〇年代には最多の五十五基に達し、総発電量に占める原発の割合も三割にまで上がった。だが、新規の立地が難しくなったことに加え、東京電力のデータ改ざん問題などで原発への信頼が揺らぎ、その後は下り坂になった。
 昨年の東京電力福島第一原発事故の時点では、今年四月に廃止された福島第一1~4号機を含めて五十四基あったが、事故の後、一気に脱原発の流れが固まった。
 政府は将来、原発をなくす方針を示しているが、火力発電の燃料費高騰や原発依存度の高い関電管内での電力需給が厳しい問題もあり、当面は安全対策を確認した上で順次、再稼働する方針。
 まず大飯3、4号機の再稼働を目指しており、地元への説明を始めている。再稼働を認める基準をクリアしたとしているが、事故時に拠点となる前線基地の建設など時間のかかる対策は先送りしてもよいとの内容。住民説明会では、これで安全性が確保されたといえるのかといった不信の声が相次ぎ、福井県も簡単には同意を言い出せない状況だ。
 いったん原発事故が起きれば、広範囲に影響が及ぶことから、福井県に隣接する滋賀県や京都府、さらには関電の筆頭株主の大阪市も再稼働に厳しい姿勢を示している。

(もはや脱原発・非原発の道を歩むしか他の道は無い!)

ヒトの厚み

2012年05月04日 | Weblog

 生態学の本には興味深いことが一杯載っている。次はその一つ。
 地球という生態システムにおけるヒトの占める位置の量は極めて小さい。地球の半径は約6400km。その周囲に生物は貼りつくようにして生きている。生物が生存する範囲は、高さがせいぜい数千m、深さは最深の深海生物が棲む所でも10km。この範囲に生きている生物を全部集めて地球の表面に均等に並べると、その厚みは(驚くなかれ)1.5cmにしかならない。
 しかもその90%は植物で、動物だけの厚みは1.5mmにしかならない。動物の大部分は海の動物で、陸上動物はその250分の1、つまり0.006mmの厚みにしかならない。
 現在、陸上動物の中で量的に最も繁栄しているのはヒトである。勿論個体数だけをとれば、バクテリア、微生物などはヒトより遥かに多い。が、重さを含めて計算すると矢張りヒトが一番である。大雑把な計算によると、ヒトの総重量は約1億6000万トン。これは陸上動物のほぼ4分の1だと推定される。だから厚みにすれば0.0015mmぐらいになる。半径6400kmの地球に対して0.0015mmの厚み。
 この微小なヒトの存在が地球という生態システムに甚大な悪影響を及ぼしてきて、この生態システムが後100年もつか否かという事態を引き起こしているのだ。

憲法九条の源 (修正・再掲)

2012年05月03日 | Weblog

 今日は憲法記念日。以下は本欄への以前の投稿を少し修正した再掲。

 乱読に続く乱読で、系統だった知識が一向に身につかないのだが、いろいろと読んでいると気づかされることがいろいろとある。その一つ。
 1946年に発布された日本国憲法、特にその第九条が戦勝国の米国に強要されたとの思いこみで、自主憲法を作り直そうとの動きが後を絶たない。
 本当に米国に強要されただけで第九条は成立したのであろうか。いろいろ乱読していて気がついたことがある。
 第九条の源と言える条約にぶつかった。
 満州事変に先立つ1928年の、米仏を中心とした「不戦条約」。これに日本も締結・調印している。締結・調印しておいて満州事変を起こしたのは、政府の意向を顧みない関東軍の無理強いであった。それはともかく (とは本当は言っておれないのだが)、「不戦条約」は二つの眼目をもっている。一つは、国家の対外政策の手段としての戦争放棄、もう一つは、各調印国は紛争処理の方法として平和的方法をとる、というものである。即ち、
 戦争抛棄ニ関スル条約
   第一条 締約国ハ国際紛争解決ノ為、戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ厳粛ニ宣言ス。
   第二条 締約国ハ相互間ニ起ルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ、其ノ性質又ハ起因の如何ヲ問ハズ、平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルヲ約ス。・・・

 見比べてみるために現憲法の第九条第一項を引く。
   日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 現憲法第九条第一項がその発布の18年前に日本が締結・調印した「不戦条約」に酷似していることは明白である。第九条は戦勝国・米国の単に一方的な押し付けではなかったことが、これによって分る。

(第九条を遵守することは元よりのことであるが、大地震・大津波に加えて原発の大事故に襲われた昨年から今年にかけては憲法第二十五条を反芻することも大切なことである。
  第二十五条
   1 すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
   2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 この第二十五条は国民の生存権を謳ったもの。福島第1原発の大事故で放散されている放射能によって生存を脅かされている人々が居られる。また避難生活で社会保障などを受けられない人々が居られる。こういったことを僕らは忘れてはならない。)

水俣病:公式確認56年迎え慰霊式

2012年05月02日 | Weblog

(朝刊より)
 水俣病は1日、公式確認から56年を迎え、熊本県水俣市の水俣病慰霊碑前で犠牲者慰霊式(同市など主催)が営まれた。国の認定基準で水俣病と認められない被害者の救済措置の申請期限は7月末。患者団体などが「問題の幕引き」と強く反発する中、参列した細野豪志環境相は「(制度の)周知広報に努力していく」と述べ、期限を延長せずに申請呼びかけに力を入れる考えを改めて示した。
 式典には患者や遺族、市民のほか、国、県、松本龍元環境相、原因企業チッソの関係者ら約750人が出席。
 胎児性患者で患者・遺族代表の永本賢二さん(52)は「祈りの言葉」で、チッソから事業部門を切り離してチッソ清算への道筋を盛り込む水俣病被害者救済特別措置法を念頭に「まだまだ水俣病は終わっていない。チッソや国、県はどうするのか。患者の気持ちを分かってほしい」と述べ、補償継続への不安を訴えた。
 細野氏は「水俣病問題への取り組みはこれからが正念場だ」として認定患者への補償や医療福祉の向上などに重点的に取り組む考えを強調。チッソの森田美智男社長は「補償責任をこれまでといささかも変わることなく完遂していく」と述べた。

(企業や国が言葉倒れにならないことを念願する。20世紀の汚点を記憶に残し今世紀を歩みゆかねば。)