(朝刊より)
一九七二年五月十五日、戦後、米軍による統治が続いていた沖縄の施政権は日本に返還された。以来四十年。沖縄は本当に日本に復帰したと言えるのか。
復帰当日の午前十時半、東京・九段の日本武道館と那覇市民会館とをテレビ中継で結び、政府主催の沖縄復帰記念式典が始まった。
沖縄返還を主導した式典委員長の佐藤栄作首相は声を詰まらせながら、こうあいさつする。
「沖縄は本日、祖国に復帰した。戦争で失われた領土を外交交渉により回復したことは史上極めてまれであり、これを可能にした日米友好の絆の強さを痛感する」。
◆「本土並み」程遠く
自らの外交成果を誇る佐藤首相に対し、那覇会場に出席していた屋良朝苗沖縄県知事のあいさつからは、復帰をめぐる県民のやり切れない思いが伝わる。
「復帰の内容は必ずしも私どもの切なる願望がいれられたとは言えない。米軍基地をはじめ、いろいろな問題を持ち込んで復帰した。これからも厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれない」
沖縄返還の基本方針は「核抜き本土並み」だ。核抜きとは、沖縄に配備されていた核兵器の撤去、本土並みとは、日米安全保障条約と関連取り決めが沖縄にも変更なく適用されることを意味する。同時に、沖縄県土面積の12・6%を占める米軍基地を本土並みに縮小することでもあった。
佐藤首相は「沖縄の基地は、当然日本の本土並みになるべきものだから順次撤去、縮小の方向にいくと思う」と国会答弁しており、県民の期待も高まっていた。
しかし、沖縄の米軍基地の現状はどうか。県土面積に占める割合は10・2%と依然高く、在日米軍基地の約74%は沖縄に集中する。四十年を経ても「本土並み」は達成されていない。屋良知事の懸念は残念ながら的中したのである。
◆人権ないがしろに
沖縄の米軍基地はなぜ減らないのか。米軍が「アジア・太平洋の要石」と位置付ける沖縄の地理的な優位性、中国の海洋進出や北朝鮮の軍事挑発に代表される戦略環境の変化など、理由付けしようと思えば、いくらでもできる。
しかし、最も根源的な要因は、沖縄県民の苦悩に寄り添って現状を変えようとする姿勢が日本政府にも、本土に住む日本国民にも欠けていたことではなかろうか。
そのことは復帰四十周年を機に沖縄の県紙と全国紙が合同で行った世論調査で明らかになった。
琉球新報と毎日新聞との調査では、沖縄に在日米軍基地の七割以上が集中する現状を「不平等」だと思う沖縄県民は69%に達するのに対し、国民全体では33%にとどまる。また、沖縄の米軍基地を自分の住む地域に移設することの賛否は反対67%、賛成24%だった。
ここから透けて見えるのは、自分の住む地域に米軍基地があると困るが沖縄にあるのは別に構わないという身勝手な意識、沖縄の厳しい現状に目を向けようとしない集団的無関心だ。
沖縄の側からは、なぜ自分たちだけが過重な基地負担を引き受けなければならないのか、それは本土による沖縄に対する構造的差別だと、痛烈に告発されている。
日米安全保障体制が日本の安全に不可欠であり、沖縄が日本の不可分な一部であるというのなら、基地提供という安保条約上の義務は沖縄県民により多く押し付けるのではなく、日本国民ができ得る限り等しく負うべきだろう。
平穏な生活を脅かす日々の騒音や頻発する米兵の事件・事故、日本で起きた米兵の犯罪を日本の司法が裁けない日米地位協定…。圧倒的に多くの米軍基地が残る沖縄では依然、日本国憲法で保障された基本的人権がないがしろにされる状況に支配されている。
人権無視の米軍統治に苦しんだ沖縄県民にとって日本復帰は憲法への復帰だったが、憲法よりも安保条約や地位協定が優先される復帰前のような現状では、沖縄が真の復帰を果たしたとは言えない。
本土に住む私たちは、日本の一部に憲法の「空白」地帯が残ることを座視していいのだろうか。
人権意識の高さを売りとする米政府が、沖縄の人権には無関心なことも、不思議でならない。
◆同胞として連帯を
福島第一原発事故は、福島の人たちに犠牲を強いてきたと日本国民を覚醒させた。政府や企業が発する情報をうのみにせず、自らの頭で考え、判断する行動様式が根付きつつある結果、政府や電力資本のうそが次々と暴かれた。
沖縄の現状にも国民全体が関心を寄せ、沖縄に基地を置く根拠とされた「抑止力」が真実かどうか自ら考えるべきだろう。本土と沖縄が同胞として痛みを共有し、連帯して初めて、本当の復帰に向けた第一歩を記すことができる。
(本当に「第一歩」を踏み出すことが出来るだろうか?難しいのは「痛みの共有」。)