やんまの気まぐれ・一句拝借!

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水底に日の届きをり蜷の道 福神規子

2019年02月14日 | 俳句
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福神規子
水底に日の届きをり蜷の道

透き通った小流れの底が見えている。日が射し込むと水底の蜷の這いまわった痕跡までが見えて来る。何故か始まりから終わりまで完結して見えるのだが多くは蜷の姿が見当たらぬ。探しに探して埋もれた姿を発見すると思わずにやりである。秘め事を覗き見する愉快さがある。因みに川蜷は源氏蛍の餌に田螺は平家蛍の餌になる。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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春風や今日こそ空をしかと見む 池川みどり

2019年02月13日 | 俳句
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池川みどり
春風や今日こそ空をしかと見む

今日の風は春の風。普段下を向いて歩く癖がついてしまった。猫背気味の自分に老いを感じながらの日々である。でも今日の気持ち良い春風を浴びているとふと空を見上げたくなった。真綿の様な白い雲がぽっかりと浮いている。春だ。生きて見るこの春をしかと見ておこう。:俳誌『春燈』(2018年5月号)所載。
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早春の奈良の野仏目鼻なし ミコ

2019年02月12日 | 俳句
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ミコ
早春の奈良の野仏目鼻なし

春が来た。希望の春だ。こんな人間の営みが太古から続いた。どの時代の野仏だろうか苔生して目鼻も無い。奈良千年の古都に早春の風が吹く。春の旅立ちに青年の意志は固い。彼の古え人の希望を繋ぎとめて我らが血脈は情念の血潮を燃やす。志の春に立ち向かいやがて人は疲れて果てる。菫ほどな小さき人になりたい、なんて自分を過大評価してはいなかったか。我は吾、等身大の愚直を貫くのみでは無かったか。もう千年後には我が目鼻はとうに無い。:ネット俳句「つぶやく堂俳句喫茶店」(2019年2月8日)所載。
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春の陽を拾ひ古墳の丸くなり 小倉有子

2019年02月11日 | 俳句
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小倉有子
春の陽を拾ひ古墳の丸くなり

古墳に春の陽が注いでいる。元々丸い古墳が新めて丸いなあと実感できる。陽光のスポットライト効果だろうか。以前近畿の古墳巡りに行った事があるが記憶にあるのは前方後円墳ばかりである。我が地元にも「古墳の森」なるものがあるがこちらはほとんど小さな丸いものである。ここは夏でも木陰が多く凌ぎ易い散策コースである。早春の日光浴を兼ねて歩いてみた。丸い世を四角に生きて来た小生ではあるが、今日は古墳が丸く見える素直さを取り戻せたようだ。:俳誌『百鳥』(2018年5月号)所載。
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川跳んで窪みし土や野蒜摘み 田部谷紫

2019年02月10日 | 俳句
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田部谷紫
川跳んで窪みし土や野蒜摘み
外の空気が気持ちよい。小さな川べりでの草摘み遊びにやって来た。助走をつけて川を跳ぶ。見事な着地の後に土に窪みが出来た。目敏く野蒜を見つけて掘り出した。そこここと見つけては摘む。初土筆もついでに積む。仲間が芹を見つけたらしい。やがて直ぐ菜花が咲き蝶が舞う日が楽しみだ。明るい日差しの中に今日様の命を楽しむ。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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わが声の二月の谺まぎれなく 木下夕爾

2019年02月09日 | 俳句
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木下夕爾
わが声の二月の谺まぎれなく

春だ。心を広げ大声で叫んでみた。澄み渡った二月の空に谷の谺は濁ることなくわが声を返してきた。旅に出て素直な等身大の自分を確認する。原罪を負はずに性善説を抱く自分。例え一時でもこんな心で私は立っている。自分の中にある良き母良き父良き友を心から愛している。今も気持ちは青春。旅の行く先は果てし無い。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。
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探梅や遠き昔の汽車にのり 山口誓子

2019年02月08日 | 俳句
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山口誓子
探梅や遠き昔の汽車にのり
そろそろ梅が見られると聞いて早速出かける事にした。単線を走る汽車は昔への郷愁を一挙に呼び起こす。旅心が疼き飛び出した訳である。こっとんこっとんと鉄路の繫ぎ目の音もリズミカルで心地よい。私の地方では常磐線で行く水戸偕楽園の探梅へ例年訪れる。そう言えば雛にもまれな可憐な少女に案内を頼んだっけ。些細な思い出が年ごとに美化され膨らんでゆく。長く感じた冬も暦の上では春となった。まだまだ風は寒く春は浅い。:山本健吉「定本・現代俳句」(2000年4月10日)所載。
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一枚の布地に春の日差しかな 岡田史乃 

2019年02月07日 | 俳句
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岡田史乃
一枚の布地に春の日差しかな
一枚の布地を広げたところにさっと春の日が差しこんだ。徐々に紫外線などが多くなり日差しにも春がしっかりと感じられる。人間の五感とはまことにデリカシーなものである。私事ではあるが戦後に母の洋裁の稼ぎで育てられたので布地と言うと心の琴線体に触れてくる。寝床の傍らで夜なべの母を感じながら育った。今も形見の洋鋏が私の宝物である。:俳誌「角川・俳句」(2019年2月号)所載。
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梅の花空に咲出る匂ひかな 谷宗牧

2019年02月06日 | 俳句
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谷 宗牧
梅の花空に咲出る匂ひかな
良い香りが鼻をつく。見上げれば梅の花が空に突き出ている。早春の風はまだまだ冷たいが光はぐんと明るさを増して来た。五感のどこかで紫外線とか様々な春のシグナルを感じている。よく探せば東京近郊でもオオイヌフグリや土筆や蒲公英が顔を見せている。鶯の声はまだ聞かない。命が喜んでいる瞬間と言う永遠。:彩図社『名俳句一〇〇〇選』(2002年2月1日)所載。
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雪の嶺の霞に消えて光りけり 鈴木花蓑

2019年02月05日 | 俳句
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鈴木花蓑
雪の嶺の霞に消えて光りけり

遠く棚引く霞の彼方に雪嶺が眩しい。霞んではいるがしっかりと光っている。土地人の待ちに待った春の到来である。ワラビ、ゼンマイ、コゴミ、タラノメと山菜の恵みが待っている。気が付けば野鳥の声が姦しい。水が温んでお玉杓子の卵が蠢いている。そして旅人の目にもまた春の景は眩しい光を放っている。:山本健吉「定本・現代俳句」(2000年4月10日)所載。
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立春の日差しのとどく朝餉かな 山下健治

2019年02月04日 | 俳句
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山下健治
立春の日差しのとどく朝餉かな

暦の上では今日から春である。句作にあたって春の句材をきょろきょろ探す。まずは手近なところで食卓の菜の花漬けに蜆汁が出ている。またもや春を迎えた喜びに心が浮き浮きとする。小さな庭だが園芸計画も立てねばならぬ。ぽっかり浮かんだ白い雲さえ旅情をそそる。足下のオオイヌフグリを発見し日差しそのものが春である事に驚く。:俳誌「春燈」(2018年4月号)所載。
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新しい手ぶくろと行くお買い物 クラーク萌子

2019年02月03日 | 俳句
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クラーク萌子(小六)
新しい手ぶくろと行くお買い物

真新しい手袋をして買い物に出かける。もうすぐ春だと言うのに風はまだまだ冷たい。手袋とマフラーは外出の必需品である。今日は節分の豆を飼いにゆくのだ。恵方巻は母さんの手作り。鬼の役はパパ。鬼退治の「鬼は外!」は僕の役割である。因みにご近所の鬼沢さんの家では「福は内!」しか言わないそうだ。:俳誌『春燈』(2018年4月号)所載。
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柴又の団子片手に青き踏む ひであき

2019年02月01日 | 俳句
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ひであき
柴又の団子片手に青き踏む

柴又の帝釈天の参道で団子を買う。これを片手に脇道を抜けると江戸川べりの土手へ出る。そこら辺に青々と萌え出でた草を踏み行けば心もいつになく爽やかとなる。二月に入ると節分立春と一気に春のモードに切り替わる。縮こまっていた心を開放し野に出でればほうれ春の野草でいっぱい。芹・なづな・御行・はこべら・仏の座・すずな・すずしろ、春の七草。さて現地でこれと指射して名を言えるだろうか。記憶がだんだん遠くなる。:つぶやく堂ネット喫茶店(2019年1月30日)所載。
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地の底に在るもろもろや春を待つ 松本たかし

2019年02月01日 | 俳句
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松本たかし
地の底に在るもろもろや春を待つ
地の底に春を待つもの在り。さて何が在るのだろう。草木の芽、昆虫の幼虫、火山のマグマ。その他考えの及ばぬものが在るのだろう。この地の底を人間の心の底と置き換えて考える。春よ来い~早く来い~あーるき始めたミーちゃんが♪。長い厳しい冬の生活から抜け出せる喜び。色々あったがもうすぐ春が来て忍耐も終わる。卒業したら行く先には思い思いの道がある。そうだ青春切符を買って旅にでよう。:彩図社『名俳句一〇〇〇』(2006年11月10日)所載。
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