後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

梅雨に映える庭園

2008年06月22日 | 写真

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042 044 045 047 048          梅雨は鬱陶しいものと思いがちですが。梅雨空の下でますます美しく見える庭園風景もあります。

気分が晴々するようにという願いを込めて11葉の写真をお贈りします。(終わり)

撮影日時:6月21日午前10時から11時30分、  撮影者;Mrs.藤山

撮影場所:東京都府中市、多摩川北岸沿い、「府中郷土の森博物館公園」にて。


ブログ文化(1)「にほんブログ村」の活動(補足)

2008年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

にほんブログ村のトップページから分類毎にページを開き、ランキングの高い方のブログを幾つも見てみました。 

どれも良いブログと感じましたが、異なる分野のブログをたて続けに読んだので気持ちが落ち着きません。素人の絵の展覧会で画風の違う多数の絵を見て歩いて、頭がクラクラした経験を思い出しました。やはり一種類の、同じような雰囲気のブログをゆっくり見て楽しむべきと反省しました。 

気持ちが落ち着かなくなると、必ず見る3個のブログが自分の「お気に入り」に入っています。 

山梨県北杜市の山林の中に大きな山荘を作り、自然を相手に独りで住んで居る、鬼家雅雄さんのブログと、そのコメント欄へよく投稿される、「ちひろ」さんと「玲」さんの3個のブログです。 

内容はみな、草花、湖や山並みの風景、太陽の輝き、朝焼け、夕焼けなどです。写真技術が良いだけでなく芸術的レベルに達しています。品性の高さを暗示する内容の文章が少し付いています。見た後で気分が晴々します。勇気が出てきます。混乱した気持ちが落ち着きます。何故か分かりません。言葉では説明が出来ません。 

ためしに少しご覧下さい。URLは、鬼家さん、ちひろ さん、玲さんの順序に下記の通りです。ご参考までにご報告します。

http://sizen068.blog95.fc2.com/

http://blog.goo.ne.jp/hanamusasi

http://blog.goo.ne.jp/koiredawa/e/1bedf9712644a664f97ed6069c67e009


ブログ文化(1)「にほんブログ村」の活動

2008年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今回、「にほんブログ村」へ村民登録をして、左サイド欄に4種のバナーを公開しました。

先刻ご承知の方々も多いと思いますが、一番下のバナー、「にほんブログ村」の使い方を少しだけ説明いたします。

(1)19万弱のブログの全体像を知るために使う。

ここをクリックすると「にほんブログ村」の全体像が見えてきます。登録村民は約19万人。日本全国でブログを開設している人が1000万人以上居るらしいので、村民は総数の2%弱です。

さらに19万弱のブログが分類されカテゴリー別に総数が明記してあり、さらにアクセス件数からの人気ランキングの順位が公開されています。

19万人弱の人々が掲載している写真や文章は全て創造活動であり、従来の文化活動とは様相が違います。新しいタイプの文化です。

従ってその膨大な作品群は「新規の一分野の文化作品」と考えるのが妥当とおもいます。これを「ブログ文化」と称することにします。

従来の文化の分類では絵画・写真、音楽、映画、舞台芸術、文学(小説・詩歌・日記・随筆)などがあり、もっぱらプロの専門家だけが活動して来ました。

ブログ文化の特徴はその担い手が多数の素人であるということです。プロも混じっていますが圧倒的に素人です。素人の活動によって作り出された文化的作品の価値をどのように評価したら良いのでしょう?またブログ文化が日本人の考え方や社会へどのような影響を与えているのでしょうか?今後、ゆっくりと考えて行きたい問題と思います。

(2)この「山林・杜の人のブログ」の客観的比較結果を知るために使う。

左欄のバナー、「にほんブログ村」をクリックすると、ブログ村のトップページが開きます。自分のものだけですが、その一番上の左に「マイ・ページ」という四角形の黄色の枠が有ります(自分だけ開けられます)。そこをクリックすると、この皆様が読んで下さっている「山林・杜の人のブログ」の概略の紹介と客観的評価がいくつかの分類で公開されています。それを見るとヨット、歴史(戦国時代)、海外生活、という分野別のランキングと、さらに総合ランキングが毎日一覧表として出ています。分野によって異なりますが、どれも上位10%から15%以内位のランキングになっています。読んで下さる皆様のお陰で、知らない間に、このブログは上位のランキングに評価されていました。有難う御座います。

アクセス件数だけからの人気ランキングなので、文章や写真の独創性や文化的価値は考慮されていません。写真の芸術性も考慮されていません。格調の高さや、読後感の清々しさも評価に入っていません。

しかし、19万弱のブログを定量的に比較し、ランキングを付けています。このことは文化活動が定量的に評価出来ることを示しています。

間違った考え方かも分かりませんが、なにか重大な意味があるような気がします。今後その意味を考え続けて行きたいと思います。(続く)


外国体験のいろいろ(48)アメリカの同窓会(続き)

2008年06月21日 | 旅行記

○閉鎖的な組織の話

アメリカの大学の周辺には一戸建ての家を借り切って学生寮にし、それを単なる宿舎以上の種々なクラブ活動の組織にして、学生自身が管理運営している結社的な組織が数多くある。男子学生のためのフラタニテイと女子学生用のソロリテイと呼ばれる学生組織である。

メンバーは数十人だが、出身地や専門分野で集まっているわけではない。キリスト教の宗派や慈善事業の種類、あるいはクラブ活動の目的別で分かれている。また上流階級のみでつくっているものも多い。1960年ごろのオハイオは人種差別が強く、このような学生組織で人種差別護持を活動目的にしているものもあった。

フラタニテイやソロリテイの建物はたいてい立派な一戸建てで、その入り口にはアルフアー・シグマ・ムーというようなギリシャ文字で、三文字の看板が出ている。

非常に差別的で閉鎖的な結社の場合が多く、黒人や外国人の近寄りがたい組織であった。このような結社による人脈がアメリカ社会では重要な役割を果たしていると言われる。

@アメリカの複雑さと急速な変化こそが強み

進歩的な評論家はよく、アメリカ社会を開放的な自由平等の社会と気楽に書く。しかし、そんなに単純ではなく、一方では秘密結社も多い。こんな暗い一面も有していることを忘れてはいけない。ただどのような結社も自由意思で参加する。辞める時も自由である。それに加えて宗教関係の団体も多い。キリスト教は勿論、仏教関係の組織も多い。ユダヤ教もイスラム教もある。

この複雑な社会のもう一つの特徴は「ダイナミックな変化」である。変化の速度がヨーロッパ諸国や日本のように遅くない。時々刻々巨大な歯車が回るように変化している。この変化こそがアメリカの強さである。

女性の国務長官が活躍したり、黒人男性が大統領候補になることは大歓迎すべき変化である。暗殺されたキング牧師も喜んでいるに違いない。

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写真の説明:左は、オハイオ州立大学内のLord Hall という建物で筆者が1960年から1962年の間に実験装置を作って研究していた建物です。

右は同じくFontana Laboratory という建物で、この記事の前半分に出てくる、「マフィアの親分のように見える学科主任」が建設費の一部を寄付して作った建物で、彼の部屋はこの入り口を入りすぐ右手にあった。

アメリカの大学は情報公開が徹底しているのでHome Page 内のキャンパス地図にある建物や風景の写真を自由に転写・使用できるようになっている。

ついでに卒業したり研究生活をしていた日本の大学の建物の写真を探して見たが、公開されて居ない。情報公開の努力が足りないのか、あるいは大学文化が異質なのか考えさせられた。(終わり)

アメリカ社会はオハイオに前後4年間住んだだけでは理解できない。


外国体験のいろいろ(48)アメリカの同窓会

2008年06月20日 | 旅行記

60歳を過ぎると引退する人も多く、同窓会が頻繁になる。出席を強要される場合もある。所詮、昔話の会合なのでもっと気楽に、自由参加の雰囲気で開催して貰いたいと思う。  

○アメリカの同窓会の気楽さ

学歴によって差別しないアメリカ社会では、どの学校を卒業したかは重要でない。

多くの学校では開校記念日などを「ホームカミング・デイ」と称して、老若男女の同窓生が学校へ帰ってくる。卒業した時代ごとや、学生クラブごとの昼食会をした後、校内を散歩し個人個人が学生時代を懐かしむ。

フットボールで有名なオハイオ州立大学の各学科の同窓会は、フットボールの試合の日に開かれる。従って、毎年、開催日が違う。学科ごとの昼食会に出席し、格安の入場券を買う。昼食後は大きなスタジアムへ行き、母校のチームを応援する。

金属工学科では、慈悲深いマフィヤの親分のように見える老学科主任だけが昼食会へ出席する。他の教授連は出ない。アメリカ社会の同窓会は自由な雰囲気がみなぎり、個人の楽しみを重視する。

同窓会としての組織が無いところが多い。

日本の高校や大学では卒業生を自動的に同窓会組織へ入会させ、毎年会費を徴収しようとする。また、体育系の部活動の遠征費などへの寄付をしつこく呼びかけて来る。どこで入手するのか、同窓生名簿を使って投資や商品購入の勧誘の電話が来る。

アメリカの同窓会を体験し、日本と比較すると、学校制度の役割の違いも理解できる。本来、どこの学校に入学するかは個人の自由である。同窓会組織に入会するか否かも個人の自由である。

   ○アメリカの大学の同窓会の日本支部

戦後60年以上になると、日本の高校を卒業してアメリカの大学へ入学、卒業する人の数も多くなる。従って、有名アメリカ大学にはたいてい同窓会の日本支部が組織化されている。ある有名大学はその日本支部を利用して大企業から研究費や寄付金を集める。

事の善悪は問わないが、何かアメリカ文化のよさを歪曲しているようで困ったものだ。

オハイオ州立大学の同窓会にも日本支部がある。卒業生で大企業の社長になった人がなんとなく交代で会長になり、毎年一回、夕食会の開催を連絡してくる。参加者は受付で夕食代を支払って入場する。アメリカ流に三々五々飲み始める。偉い人の退屈な長い挨拶や話が無い。オハイオ・コロンバスの昔話を楽しむ。多く出る話題は英語に苦労した話、学生時代の貧乏生活の話などである。最後に参加者の健康を祝し乾杯をして終わる。(以下、続く)下の写真の出典は、Ohio State University の Home Page より。

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読者の気が晴々なるようなブログを書く

2008年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログの左サイドに色とりどりのバナーを4個出しました。ブログ人村の ヨット、海外生活、歴史の3分野と、村そのもの情報を、皆様が直接開けられるようにしました。

こうすると18万個以上の村民のブログのなかで自分のブログの総合ランキングや分野毎の人気ランキングを「村長さん」が毎日教えてくれます。(無料サービス)

ランキングは思ったより悪くありませんでした。

そこで昨日から考え始めました?「何のためにブログを書くの?」

自問自答して、確答が出ました。「読んで下さる方々の気持ちが晴々する内容のブログを書く為です」

その為にはまず、自分の気持ちを晴々した状態で書くのが鉄則です。

書く内容も厳選して人間の善い側面をエピソード風に描き出そうとしています。

善い側面を浮き立たせるため悪い側面も少し入れます。

写真や絵の助けも借ります。お伝えしたい考え方や心の動きをご理解して頂くための助けになれば幸いと思っています。

最近、潮来のあやめの写真を何度も掲載しました。アヤメを植えて育てている人々の気持ちを想像して頂きたいからです。植え育てながら、きっと自然の力の素晴らしさを感じていると思います。

写真の出来はごく普通です。いや下手でしょう。

例えばゴッホの絵を掲載すれば彼特有の深い色合いが飛んでしまいます。でも読者の皆様はゴッホ展で本物を見て色合いを憶えているかも知れません。それを思い出すきっかけになれば幸いと思います。

善い小売商は良い商品を売るために、多くの卸商をたずねて、慎重に品物を選ぶそうです。ブログを始めてから、なんとなく善い小売商になろうと考えることが多くなりました。上質な内容の文章を皆様へ届ける喜びがこれほど大きいとは知りませんでした。

ブログ村で評価してくれる人気ランキングを意識しないようにします。内容が悪かったら是非コメントを下さるように御願い申し上げます。お読み頂き有難う御座いました。(終わり)


アヤメを水盤へ植え、来年が楽しみ

2008年06月19日 | 写真

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009 014 潮来で切り花のアヤメの蕾を20本買ってきた。水揚げの良い花なので途中は水無しでも心配無い。蕾だけ傷つけない様に包んで帰る。水切りをして大きな花瓶に入れ2日後に写真のように咲いた。

切り花の他に株付きのアヤメを3本買って来た。水盤に植え来年を楽しみにしようと。売っていた小母さんが、来年に大輪のアヤメを咲かすには、「肥料を少しずつ途切れずに11月まで上げなさい。その間は水を張って置いて。冬は乾いた土で良いよ」と言う。小生の顔を見て素人と思い、かなりクドクドと説明してくれる。熱心に聴いたらおまけに2株の根をたしてくれた。咲いているアヤメは帰宅後切って花瓶へいける。根っこのついた株を水盤に植え、十分な土を入れる。これで肥料さえ絶えさせなければ、来年は大きなアヤメの花が楽しめる筈。植物を植える作業をすると、なにか豊かな気分になる。

ご参考までに、切花10本で500円。株付きアヤメ花3本で1000円。(終わり)


こんなセーリングもあります

2008年06月19日 | 写真

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雨が降り出しそうな暗い雲。東の鹿島灘から吹き込む冷たい風が強い。6月17日(火)、9時30分出航。沖の白い灯台のある沖宿までエンジンで機走して、帰りはセーリングする予定。

5馬力のジーゼルエンジンが心強い爆音を響かせて走る。こういう時は、いつもは煩いと思う音が心地良い。時々、波が前甲板へ上がり、しぶきがうしろまで飛んでくる。

沖宿の港は5Kmの距離。灯台の前で回頭し、エンジンを止め、帆走を始める。

強風なのでメインセールは上げない。上の大きな写真に示すように前帆、ジブを面積にして四分の一位だけ開ける。これで4ノット以上で走る。写真にあるように、手前のメインセールは紐で止めてある。折角、セールカバーを外して、何時でもカラカラと揚げられるように準備をして出港したのに。残念。

雨が降り出しそうで気分が悪い。しかし折角セーリングを始めたので、帰りは直行せず、大きく回りながら岸に沿って走る。岸を透かして良くみると樹木が盛り上がった丘が美しい。その手前に広がる蓮田には緑の若葉が強風に揺れている。

港まで帰って来たが、ジブでそのまま帆走する。悪天候で釣り人も居ないので岸壁すれすれに走らせる。こんな他愛のないことが面白い。

係留したのが午前11時30分。2時間の船遊びだった。

キャビンの中で昼食。午後は45km離れた潮来へあやめの写真を撮りに行く。

午後からは晴天。

ヨットは風相手の遊びなので現地に行って見ないと風の様子が分からない。

東京では晴天、適度の風でも霞ヶ浦に着いてみると、上記のようなこともある。

3回行って、1回だけ快適なセーリングが出来るのが普通だ。そんな趣味なのです。(終わり)


潮来のあやめをお楽しみ下さい!(続き)

2008年06月18日 | 写真

一面に咲いている「あやめ」。真ん中に立っていると花の彩りに体が染まり、その華麗さに酔ったような境地になる。目の前の花へ近づいて観察する。目を低い位置へ下げて、花々をすかして眺める。また太鼓橋の頂上から見下ろす。心地良い千鳥足で歩き回る。あやめの花は少しなら各地にある。しかし圧倒的な多量を一度に見ると全く違う印象を受ける。そんな境地を皆様へも味わって頂きたい。多数の写真をお送りします。手当たり次第に拡大して幾つも幾つもご覧下さい。(あやめ は カキツバタ、ショウブ、アヤメの総称です。)(終わり)

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東京から一番近い巨大ダム湖、相模湖

2008年06月16日 | 写真

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中央高速道路の八王子ICから12分で相模湖東ICへ到達します。そこを出て写真をとりながら相模湖の上端、上野原の桂川の流入場所まで行ってきました。観光船発着場の向かいに無骨な鉄骨4階建ての塔が赤錆びて見えます。1964年の東京オリンピックでカヌー競技の審判塔として使用されたものです。

写真をお楽しみ頂ければ幸いです。(終わり) 撮影日時:6月11日午前12時前後

 


外国体験のいろいろ(47)大岩から飛退いた宣教師と自然信仰

2008年06月15日 | 旅行記

外国での体験ではないがアメリカ人宣教師のこと。昭和32年の仙台にウイリアムスさんという、大柄で陽気な宣教師がいた。説教をしたり賛美歌を教えるようなことはしない。大学生達が彼の家によく行って遊んでいた。

ある時、学生6、7人と一緒に郊外の田園地帯ヘハイキングへ行った。秋の青空が広がり、水田には黄色の穂波がゆれていた。爽快な秋の風につられ、つい早足になる。かなり歩き、疲れたので道端で休むことにした。見ると見事な平らな大岩がある。学生達は太っている宣教師の椅子代わりに勧める。自分達は草の上に座り、談笑していた。

そこへ野の花の束を持った、着物姿の小さな老婆が1人現れた。彼女の目がウイリアムスさんが座っている大岩を見つめている。

と、途端に大柄な宣教師が飛び上がって、岩から離れた。顔を真っ赤にしている。我々は何が起きたか分からない。ウイリアムスさんが10mくらい走って行き、老婆の方へ向いて、「すみません」とお辞儀をしている。その位の日本語は話せた。

老婆は「いいよ、いいよ」と言って、岩の陰に立っていた2本の竹製の花筒へ花を居れ、跪いて、両手を合わせて、お祈りをした。

短いお祈りのあと、何事も無かったようにトボトボ帰って行く。

我々が良く見ると、大岩の稲田へ向いた側面になにやら字らしきいものが彫ってあるり、花筒が2本立ててある。

道路側から見ると何も見えない、単なる大岩だ。でも先祖代々、稲田の守神として一家の信心を注がれて来た自然神なのだ。宣教師のウイリアムスさんは瞬間的に気がつき、恥じ入りながら飛退いた次第であった。

彼は学生達に偉そうな説教をしなかった。その代わり自然神を拝む老婆へ最高の敬意を表した。その礼儀正しさに我々学生は「本物の宣教師だったのだ」と深く感動した。あれから50余年経つがあのときのウイリアムさんの恥で真っ赤になった顔を鮮明に思いだす。

日本人が岩や、大きな樹木や。山川草木すべて自然のものに神が宿るとして拝むのを、キリスト教国の人々は決して軽蔑しない。われわれはこの国の信仰のあり方を欧米人へよく説明したほうが良い。国際相互理解のためにも。(終わり)


府中の大国魂神社と神道の素晴らしさ

2008年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム

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神道には論理的に構築された教理が無い。人々は神社へ気楽にお参りし、いくばくかの賽銭を入れ、鈴を鳴らし、拍手を打ってお祈りする。家族の健康と明日の幸いを。このような行動を繰り返す日本人の宗教心は簡素で透明な境地になる。

教理がないから神学的論争が起きない。農村の民間神道では、神社を村人が守る。神主が居ない。したがって神社同士が勢力争いをしない。

大きな神社と言えども、領主や大名との関係もあっさりしている。寄進は受けるが政治的権力は求めない。(最近アップした諏訪の上社と下社の政治権力争いは例外)

仏教のように宗派の間の闘争や、政治権力との癒着を起こさない。

このような宗教の存在が仏教の宗派争いなどの無意味な闘争を弱めてきた。日本人は素晴らしい2つの宗教を持っている。

ところが、キリスト教国から見ると神道の重要性が理解出来ない。日本人は全員、純粋な仏教徒のように見える。しかし、より正確に言えば、日本人は神道の影響を受けた仏教徒というべきである。

多くの人が、「私は無宗教です。宗教は信じていません」と言う。文明開化以来の科学技術の強調が過ぎて、科学で証明できないものは信じないという間違った考えが定着した。それで日本の知識階級(インテリ)は無宗教という。無宗教がインテリの条件になると思っているようだ。

ヨーロッパ諸国の知識階級は決して無宗教ですとは言わない。言えば社会から抹殺されることがある。

外国へ行った日本人がパーティーなどの寛いだ談笑の席で、自慢げに「私は宗教を信じない」と言うのを何度も聞いた。それで座が白けるとも知らない。そのような場面では「私は、信心が少し足りない仏教徒です」、と言ったほうがましである。

欧米人の多くの人々は仏教の教理に興味がある。それを少し説明すると議論が楽しくなる。

それに続いて神道の重要性を説明する。ますます興味を持ち聞いてくれる。外国のパーティーで、そんな経験をしたことが何度もある。

小生はカトリックだが、日本人として仏教や神道の善い側面を沢山知っている。そしてそれを誇りにしている。

クリスチャンは仏教や神道を馬鹿にしていると誤解している人がいる。それが異教徒の間の戦争の原因になるということに気がついていない。「私は無宗教です!」、と広言する前に仏教や神道の善さを少し勉強したほうが良いのかも知れない(終わり)

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「武蔵のくにと、大国魂神社と、樹木と、国分寺の関係」

645年の大化の改新以後、国家統治がすすみ701年の大宝律令によって全国にくにぐにが出来た。その時出来たのが武蔵のくにで現在の横浜東部、川崎、東京、埼玉にまたがる。その国府は現在の府中市に置かれた。

国府の場所は長年の発掘調査により京王線、府中駅の南側から大国魂神社の東半分にかけて存在していたことが分かっている。大国魂神社の歴史は国府の置かれた時よりはるか昔から続いていたという。したがって国府の守護神社の役割もした。

この神社の欅並木は1051年からの前9年の役で源氏の頭領、八幡太郎義家が蝦夷の安部一族を平定した戦勝祝いに欅1000本を寄進した。これが現存する欅並木の始まりである。欅の木は老化し朽ちるので世々代々植え続けられて来た。

国分寺と国分尼寺は741年の聖武天皇の勅により全国に造られたもので、武蔵のくにの国分寺と尼寺は20年の歳月をかけて完成したと言われている。七重塔跡の礎石をふくめて数多くの礎石群は現在の国分寺市の西部に広がっている。(終わり)

撮影日時:6月13日午前11時頃、撮影場所:府中市、大国魂神社内、本殿、拝殿の周囲


外国体験のいろいろ(46)アメリカの仏教的セミナー

2008年06月14日 | 旅行記

        @インド人学生による執拗な誘い

ジャイ君というインド人学生がよく大学の部屋に来て雑談をしていた。ある時、「ドクター・フジヤマ、私がよく行くセミナーに参加しませんか?」と、あるセミナーに誘われた。1990年、オハイオ州でのことである。

「セミナーなら大学でも毎週参加しているよ」「いや研究に関するセミナーでなく、人生を楽に過ごすためのセミナーです」「人生を楽に過ごしているので必要ないね。第一そんな時間が無いよ」「もっともっと楽になるんですよ。二泊三日のセミナーで、泊まる場所は友人の家にします。どうですか?」

このような会話が五、六回続いた。インド南部出身の小柄なジャイ君が親切そうに何度も勧誘する。えい、面倒くさい。参加することにした。

        ○喋る美人タレント

場所はオハイオの淋しい田舎町の公民館。話をするのは利発そうな若い女性。綺麗な声と魅力的な語り掛け調で喋りまくる。神様は「喋るタレント」をこの人に与えたなという印象。参加者は貧しそうな白人約25名とインド人約10名という集団である。

美人タレントが始める。「よく参加してくれました。これから三日間、私だけが喋ります。ただ、皆さんへ質問したり、電話を掛けなさいと言います。気持ちを開いて率直に従ってください。ここで出る話は全て個人的なことばかりなので、他言しないで、秘密を守ってくださいね」

はじめから秘密結社的な雰囲気である。しかし、結論を先に言えば、実に気楽で楽しい三日間であった。「フジヤマさん、なぜ参加したのですか?」「ここにいるジャイ君がしつっこいので面倒になっただけです」「そうですか。でも三日間だけですから真面目に聞いてくださいね」

教えの内容は、仏教でいう色即是空・空即是色を中心にした抽象的な部分と、アメリカ社会特有の離婚の悲劇や親子の断絶をどのように解決するかといった具体的な部分がバランスよく整理、配置してある。参加者全員による発表もあり、緊張した雰囲気でもある。

         ○仏教的教えを話す

「この世の雑多なことに執着するから幸福になれないのです。人生は無意味です。人生は大変危険でもありますが、全く無意味です。物質的誘惑や人間関係にこだわってはいけません。親子関係も夫婦関係も執着心を離れて考えて見ましょうね」

色即是空・空即是色という観念を具体的な例を使って説明する。最後に、「不幸になった原因をあれこれ考えることが執着心なのですね。原因を考えると、自分も他人も傷付ける結果になります。あるがままに受け入れなさい」そして続ける、「どちらにしても空虚なのが人生の本質なのです」

話をしているタレントは決してお釈迦様やヒンズー教の話をしない。宗教抜きの生活術として説明している。そうすると、一応キリスト教徒ということになっているアメリカ人に受け入れやすい。このセミナーは宗教と一切関係ないと言う。皆が感心して聞いている。質問の時間には宗教がらみの質問はしない。話をしているタレントは仏教の教義をかなり深く研究している感じがする。確信を持って話している。しかしお釈迦さまの名前すら出さない。

          ○悲劇の解消作業

「皆さんのセミナー参加の理由で多かったのは、親子関係と夫婦関係で困っていることですね。親子関係は修復が可能です。夫婦関係はすぐに離婚して忘れることです。この会場の外の廊下に四十個の電話ブースが用意してあります。これから一時間休憩にしますから、困っている関係の相手に電話をしてください。親子の場合は愛しているから会いたいと。離婚しそうな夫婦なら感謝しているけど綺麗に別れようと言ってください」

「そんなこと急に言われても電話番号も分かりません」「電話局に聞いてください。どんな長距離電話でもその費用は主催者側で払いますよ。これは宿題なので、一時間後にどんな会話をして、その結果どうなったか皆の前で発表してもらいます」

三日目の最後は各自がセミナー参加の感想を喋る時間であった。異口同音にタレント先生への感謝の気持ちを喋る。つきものが落ちたように晴れ晴れした表情で解散となる。しかし、人生は無意味でも複雑で危険に満ちている。もとの生活に戻れば元の木阿弥。

でも、「人生は無意味だ。不幸の原因を考えると自分も他人も傷付ける」―忘れられないフレーズである。日本でも同じことを聞いたが、オハイオの田舎町で聞いたので一生忘れられない。陽気で社交的な人の多いアメリカでも、悩みの原因は圧倒的に人間関係にあるという。このような生活術を教える仏教的セミナーが彼方此方で開催されている。そんな事情は日本の新聞では報道されない。昔も現在も。(終わり)


調布飛行場から伊豆諸島への旅立ち、飛行機からの動画もどうぞ!

2008年06月13日 | うんちく・小ネタ

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いつか行ってみたいと夢みている旅。近所の調布飛行場から大島、新島、神津島への定期航空便で往復する旅。大島迄25分、新島40分、神津島45分の空の旅。上の写真の中型機が飛ぶ。島では魚の美味しい民宿に投宿する。

神津島への調布発の時間は毎日、8:45、11:50、14:45時の3便。帰りは行った飛行機が30分程、整備して客を乗せて引き返してくる。

最後の写真がターミナル入り口で、その向かいに有料駐車場がある。1日預けて1000円。バスやタクシーもある。

航空運賃は大島まで片道大人9500円、往復17800円、新島まで片道13700円、往復25000円、神津島まで片道14900円、往復27000円である。

2年前に引退してから、大島と神津島へ泊まる気楽な一人旅をした。竹芝から高速ジェト船の旅。

大島では浮波の港に泊まり夕食は港に下りて行って、地魚の寿司を食べた。昔の流行歌、「浮波の港」を思い出しながら地酒を傾ける。

寿司屋の奥さんが赤子を連れて送り迎えをしてくれた。

神津島でも民宿の小母さんが桟橋への送迎を軽自動車でしてくれた。民宿の親類の小父さんが1日、車で島中を観光案内してくれた。第二次大戦中は新島に部隊が居たが神津島には戦争の雰囲気が無かったと言う。平穏な日々が続いたそうだ。小父さんは、一生島の外で働いたことが無い。伊豆七島は島が違えば方言が違うと色々例を挙げて教えてくれた。

伊豆七島へ行く場合は必ず民宿やホテルを検索して予約して行くこと。現地に着いてから探すのは困難である。予約をすれば飛行場や船着き桟橋まで車で迎えに来てくれる。島が意外に大きくて車が無いと途方にくれる。行くまえにレンターカーや宿の車のサービスを良く確認するのが大切である。(終わり)

撮影日時:6月11日午後4時頃。予約・問い合わせは;新中央航空(株)電話:0422-31-4191へ。飛行場へはJR武蔵境駅か京王線調布駅からタクシーで15分程。詳しくは、http://www.central-air.co.jp をご覧下さい。この中にある、新中央航空のフライトシーンの動画は離陸、江ノ島風景、着陸、新島の海岸風景などが美しく紹介してある。ホームページのトップの左上、「ストリーミング・ビデオはこちらから」をクリックすると飛行機から見下ろした動画が楽しめる。