いろいろな国の人々の考え方を理解するためにはその国の宗教事情を知ることは欠かせません。それは重要な事です。今日はフィリピンの宗教事情をご紹介したいと思います。
フィリピンは16世紀から1900年頃までスペインの植民地でした。その後はアメリカの植民地でした。本当に独立国になったのは第二次大戦後です。
フィリピンの宗教を決定したのは長らく植民地にしていたスペインでした。フィリピンは東南アジアでは珍しくキリスト教の国です。キリスト教はスペイン植民地時代にカトリックが普及したのです。今でも人々のほとんどが、ローマ・カトリックの信者です。キリスト教信徒はフィリピンの全人口の90%以上を占めています。
2000年の国勢調査では、カトリックが82.9%、福音派2.8%、その他で実質上カトリック国です。その国勢調査でのキリスト教以外では、スペイン人到来以前にもたらされたイスラム教が南部ミンダナオ島を中心に5%、その他が1.8%、不明が0.6%、無宗教が0.1%でした。キリスト教が入ってくる以前は、各島の自然の精霊などを信じる原始宗教があったのです。
フィリピン共和国憲法に政教分離が明記されていますが、カトリック教会の影響は強くフィリピン司教協会は離婚法や妊娠中絶や避妊に対して反対し、政治家に対して政治介入しているのが実情です。これがフィリピンの人口爆発と貧困の原因になっています。
また、結婚があっても離婚自体が法律上無い国家として有名であり、法的に離婚制度が無いのはバチカン市国とフィリピンのみです。
それではそんなフィリピンの実情を写真を示しながらご説明したいと思います。
1番目の写真はサン・アグスティン教会です。1586年に着工し、1607年に完成し、これ以降、16世紀・17世紀に起こった大きな地震にも耐え、現在まで残っているのです。
サン・アグスティン教会 は、フィリピン・イロコス・ノルテ州のパオアイ市に建つローマ・カトリックの教会です。同名の教会がフィリピン国内に多数存在するためパオアイのサン・アグスティン教会 、または単にパオアイ教会 と呼ばれています。
2番目の写真はフィリピンのバロック様式教会群 の一つです。
フィリピンのバロック様式教会群はフィリピンのルソン島、マニラ、パオアイなどの街に残るスペイン様式の教会です。ユネスコの世界遺産(文化遺産)として1993年にフィリピン初の世界遺産として登録されました。
3番目の写真は聖トマス大学です。創立1611年です。マニラ大司教により設置され、アジア最古の大学です。世界最大規模のカトリック系総合大学であり、これまで3人のローマ法王が訪問しています。
4番目の写真はビガン歴史都市です。
ビガン歴史都市はフィリピン、ルソン島の北部にあるビガンの街並みで、ユネスコの世界遺産(文化遺産)です。
5番目の写真はフィリピン・コルディリェーラの棚田群です。
フィリピン・コルディリェーラの棚田群はフィリピンのルソン島北部の中央山岳地帯の主に東斜面に広がっている棚田地帯です。棚田の規模としては、世界最大です。1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
6番目の写真はフィリピンの首都、マニラの遠景です。高度成長で高層ビルが並んでいます。
7番目の写真は首都、マニラの市場通リの様子です。ゴチャゴチャしていますが活気があります。
以上の写真だけを見るとフィリピンは良い国のように見えます。しかし南米と同じように貧富の差が大きく、あちこちに貧民街があります。こう云ったら,語弊になりますがカトリックの植民地だった国々はどういう訳か同じように貧富の差が大きく貧民街があります。困ったものです。
今日はフィリピンの宗教事情を書き、フィリピンの実情を写真を示しながら説明致しました。
最後になりましたが今日の記事では、https://philippinetravel.jp/feature-catholic-church-tour/ を参考にしました。記して感謝申し上げます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)