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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

離れ島の生活を考える

2009年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

趣味の山小屋がある山梨県の旧武川村は、江戸時代、幕府の直轄領で、有名な武川米がとれ年貢として納めていた。現在でも見事な水田が広がっている。家々には白壁の蔵があり立派な農家が連なっている。いつも通るたびに、良い米のとれる農村には都会より豊かな生活があると感心する。

これと対照的なのが八丈島である。風景があくまでも雄大であるが、水田が無い。強い台風に備えて、家々が低く、トタン屋根だ。外見からは、質素な家に見える。ところが、古い家程柱や梁が都会の家より一まわり二まわり太い材を利用していて立派なそうだ。(コメント欄にあるように、島で知り合った歴史民俗資料館の細谷昇司さんが教えてくれましたので、この部分は後から訂正しました)

島の人々の所得は、個々により違うが、フエニックスロベレニーの国内生産が、八丈島が、ほぼ100%をしめている為かなり高いのだ。ロベはお年寄りでもできるので、特に高齢者は、お金持ちという話を聞く。

更に細谷さんは、江戸時代から昭和初期まであった水田の写真、水配分の堰石の写真、現在の水田跡の散歩道にある記念碑の写真を送ってくれました。

2 Photo Photo_2

昭和時代まで水田があって米が取れていたのに何故無くなったのか?水田こそが富のシンボルと思い込んでいたので非常に不思議に思い、また細谷さんへ詳しく聞いてみました。そうしたら右端の写真の石碑に下のようなことが書いてあると教えてくれました。

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島の中央平野は水田地帯でした。明治になると国の殖産政策或いは自給自足から商品経済への移行もあって八丈島にも新しい作物が導入され営利性を求める農業形態が奨励されるようになりました。野菜以外に島の気候風土を生かして発展したのが花卉園芸です。戦前からフリージア、水仙、合等の球根を栽培していましたが、戦後になるとフェニックス・ロベレニー(通称ロベ)等が高値で取引される事から年々花卉園芸が増加の一途を辿り水田が無くなり水田の形を残したまま畑として利用しています。この一帯の畑は昔は水田でした。

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これを読みますと、減反政策より以前の事のようです。水田としての土壌もよくなく、台風など自然災害もあり、米作は大変と言うこともあって、お金にもなり、自然災害にそれ程左右されないロベに移行したと考えられます。八丈島の水田は石がゴロゴロしていて、それを根気よく拾い、水田の外へ投げていたのです。それで「石投げ踊り」という盆踊りが残っているそうです。と、細谷さんが後からメールで教えてくれました。
現在の八丈島の主な産業は、観葉植物やラン、アロエなどの花卉園芸と漁業と焼酎、黄八丈などだそうです。下の写真は島の農家の様子、観葉植物の栽培畑、漁船の写真です。
099395 214 
島の生活はを知るために大きなスーパーマーケットへ入って見ました。
売っている商品は東京と同じです。秋田コマチや魚沼産のコシヒカリも売っています。豊な食生活です。台風のため家々が低く作ってあり、豪華な家に見えないだけなのだ。
もっと突っ込んだ取材がしたくなりました。図書館で島の産業や歴史の本を見ました。でも人々の感じ方は書いていません。そこで八丈富士の外周にあるアロエ園の事務所の2人のおばさんへ聞いてみました。2人とも「島は天国だ!」と断言します。暖かくて食べ物に不自由がなく、町立病院も立派だし老後の心配は無い。と、明るいのです。
ただ一つ。島には大学が無いので高校を卒業すると皆な東京へ行ってしまう。あちらで就職して帰ってこない。人口が1万人以上居たのが今では8500人になってしまった。とそれだけが淋しそうです。孫を連れて里帰りをしてくれるので、それが楽しみだそうです。
住めば都で、離島の人生は不便なこともあるが、そのために生の充実感が大きいのだと思います。
私が離れ島や交通の不便な山郷へ行くのは、自然ととけあった生活を見て人生の充実感を想像するためなのです。元気になります。人生に対して積極的になります。楽天的にもなります。
そこの生活は部外者には不便なように見えますが、本人達にとっては天国なのです。(続く)

7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
ながれ様 (藤山杜人)
2009-02-21 13:44:56
ながれ様

コメントありがとう御座います。
あの折も團伊玖磨氏の別荘跡を聞きまわったのですが、知っている人に会えませんでした。
どうももう一度、八丈島へ行きたくなりました。

南海タイムス社も訪問したいと思っています。
小金井公園には確かに沖永良部の高倉があります。八丈島でも歴史民俗資料館の庭に同じもがありました。
いろいろ興味深い問題が多い島ですね。
また宜しくご指導ください。
敬具、藤山杜人
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藤山杜人様 (ながれ)
2009-02-21 08:40:19
藤山杜人様
藤山杜人様の書かれていた事は間違っていません。でもそれはロベの栽培が入る以前のお話です。訂正有難う御座います。次にいらした時は私が案内します。それから小金井の民家園に沖永良部の高倉があります。ご覧になったと思いますが八丈島の高倉は、黒潮に乗ってあちらから渡ってきたのではないかと思いますが・・・・・・・・。
返信する
羽純様 (ながれ)
2009-02-21 08:30:37
羽純様
八丈島に関心をお持ち下さり有難う御座います。羽純様のブログ゛を拝見しました。八丈島はクラシック音楽が盛んです。これは山田耕作先生や先年お亡くなりになりました團伊玖磨先生が、こちらに別荘をお持ちで町民に毎年コンサートを開いてくれた影響だと思います。今も毎年夏に團伊玖磨記念コンサートがあります。又八丈島高等学校吹奏楽部は毎年のように各大会で金賞を受賞しております。羽純様のブログにコメントしたいと思います。藤山杜人様、コメント欄をお借りしました。
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羽純さん、 (藤山杜人)
2009-02-20 19:22:23
羽純さん、

コメントありがとう御座いました。
申し訳ありませんでしたが、この記事は随分間違っていましたので、事後訂正を致しました。
ながれ様(細谷昇司様)のコメントに従って大幅に訂正しました。
心からお詫び申し上げます。
羽純さんも婉曲に私の間違いをご訂正頂き、本当にありがとう御座いました。反省しています。
敬具、藤山杜人
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ながれ様 (藤山杜人)
2009-02-20 18:49:48
ながれ様

旅行者の表面的な観察による大変な間違いぶりで汗顔の至りです。
題も文章も大幅に書き換えました。

こころからお詫び申し上げます。

とりあえず訂正しましたが、もう一度推敲して完成いたします。
ご指摘ありがとう御座いました。
敬具、藤山杜人
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八丈島は行ったことがなかったのですが、トタン屋... (羽純)
2009-02-20 17:35:02
八丈島は行ったことがなかったのですが、トタン屋根だったりするのは台風除けとか、知らない事ばかりですね!
勉強になります!
またきますね☆
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藤山杜人様 (ながれ)
2009-02-20 16:55:55
藤山杜人様
家々が低く、トタン屋根がわびしげに見える。一見して生活が苦しそうだ。と書かれていますが少し違います、いや実態は、かなり違います。道より家の屋根が低い家が多く有りますが、これは台風避けの為です。自然をうまく利用しています。又トタン屋根が多いのは、これまた風が強いので瓦だと飛んで危険だからです。八丈民謡ショメ節に♪わたしゃ、八丈のかやぶき屋根よ、変わら(瓦)ないのがわしの棟(胸)と言うのが有ります。火山の島なので瓦にする粘土質の土がないと言う理由も有りましょうが。土壁が無く板壁だと言うのもこの理由からです。新築の家はシングル瓦を使用しています。確かに外見からは、粗末な家に見えるかもしれませんが、古い家程柱や梁が都会の家より一まわり二まわり太い材を利用していて立派です。今日もかなり強い風が吹きました。(年に10米以上の風が146日有ります、東京は27日です)飛行機は全便欠航、船は波が6米以上なので今日明日共無論欠航です。所得は、個々により違いますが、フエニックスロベレニーの国内生産が、八丈島が、ほぼ100%しめている為かなりの水準です。ロベはお年寄りでもできるので、特に高齢者は、お金持ちです。蛇足ですが、このロベの生産がある為、民宿が少しのお客様だと断る等の弊害も出てきています。
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