後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「武蔵野をそのまま保存している平林寺の魅力」

2021年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム
埼玉県にある平林寺には東京ドーム9個ぶんの広大な境内があります。そこには武蔵野の雑木林がそのまま保存してあります。昭和天皇がその武蔵野の様子をわざわざ見に行ったことで一層有名になりました。
そこで私も昨日独り車で平林寺の境内の武蔵野の写真を撮って来ました。写真をご覧下さい。
1番目の写真は平林寺の境内の武蔵野の雑木林です。総門の右100mくらいの所に墓参のための駐車場入り口があり、そこから撮った写真です。

2番目の写真も平林寺の境内の武蔵野の雑木林です。いろいろな種類の樹々が混じった自然林の様子をご覧下さい。
写真のように平林寺の本堂は外からは見えません。このお寺は以前に何度も来たので昨日は中へ入りませんでした。
そこでhttp://www.heirinji.or.jp/about/ からお借りした中の写真を示します。

3番目の写真は山門です。築350年の風格を湛える平林寺のシンボルです。江戸時代前期、平林寺が岩槻から移転された際に現在の地に移築されました。埼玉県指定有形文化財(建造物)です。
4番目の写真は本堂です。本尊の釈迦如来坐像と達磨大師坐像等が祀られています。現本堂は、江戸末期の火災で焼失した旧堂に近い形で明治期に再建されたものです。

5番目の写真は野火止塚(のびとめづか)です。野火止塚は昔武蔵野に散在していた塚で何のために使われたか不明な不思議な塚です。一説によると野火を見はり、その類焼を防ぐための塚だったと言われています。
この写真の塚は昔から境内にあったものです。平林寺の境内には昔のままの武蔵野が残っているのです。

さて平林寺は永和元年(1375)、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代、武蔵国埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。( http://www.heirinji.or.jp/about/ )
徳川家康の関東入部の時に家臣として三河国から共に上京した大河内秀綱は平林寺の大檀那となって山門や仏殿等の伽藍の再建を行いました。
秀綱の孫で、松平家の養子となった松平伊豆守信綱も徳川家に仕え、第3代将軍家光、第4代将軍家綱のもとで幕府老中を務めます。
岩槻にあった平林寺は、寛文3年(1663)信綱の遺命によって野火止(のびとめ)に移転されます。この地には、信綱が開削した玉川上水から分水された野火止用水が流れ、平林寺にも平林寺堀が引かれます。
水の利を得た地域一帯は、新田開発が進むと共に江戸近郊の農業生産地として発展したのです。現在はそのあたり一帯は新座市になって、その市役所は平林寺の真向かいにあります。

平林寺の雑木林はもう少しすると紅葉し感動的な散策路になります。
有料駐車場は入口の総門の左50mの場所にあります。墓参用の駐車場とは別です。平林寺への入場料は入り口の総門で払います。
電車ではJR武蔵野線 の新座駅から徒歩10分くらいで行けます。

平林寺には自然の武蔵野や野火止塚が保存してあり大変魅力的な散策が楽しめます。秋の晴天の日に是非お出掛け下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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