昔の村の里山は人々の生活に必要な材木や薪のため重要であった。大切に手入れをされてきた。でも、高度成長期によって農村が豊かになる。燃料がLPGになり、材木は輸入したほうが安くなった。もう誰も雑木林の手入れをしなくなった。
雑木林は荒れ果てている。薄情な人間にたいして怒り狂っているようだ。この2枚の写真は、人々の心の貧しさを訴えているようだ。見たくない写真だがこれが日本の一つの現実である。しかしこれが原始の森の自然な風景と考えると複雑な感慨にとらわれる。皆様はどのようにお考えでしょうか? (終わり)
撮影場所:山梨県北杜市武川町柳沢の里山にて、撮影日時:12月18日午後2時頃
私も先年、高校生の頃によく登っていた由布岳で同様の景色をみました。
当時私が使っていた駅前からの道は、まさに写真1の状態で使えませんでした。あの頃はその道の先に牛の放牧場があって、のどかな里山だったのですが。『しかしこれが原始の森の自然な風景と考えると複雑な感慨にとらわれる』とありますが、我々人間が自然の一部として存在する以上、原始の森ではなく、『数千年前から、数十年前まで人間と共存していた森』が自然の里山であるような気がします。
コメントありがとう御座います。
山林と人間が共生しているとき美しく見えると思います。でもこれから日本の山林はもっと荒れるのでしょうか?
何か心配です。
有難うございました。
敬具、藤山杜人