3人とも天才です。偉大な人物です。凡人の私があれこれ批判をするのは大変失礼な事は分かっています。ですから批判ではなく、私の好き嫌いだけを書きます。
徳富蘇峰の実弟が蘆花です。三島由紀夫と徳富蘇峰の関係は血縁関係でなく右翼思想で繋がりがあるようです。
3人の記念館をそれぞれ2、3回見た上での感想です。蘆花の旧宅は世田谷区の蘆花公園に保存されています。三島由紀夫と蘇峰の記念館はいくつかありますが、その一つは山中湖の傍に向いあって建っています。私は山中湖へ行くと、時々寄って見ます。
下にその3つの記念館の写真を示します。蘆花旧宅はWikipedeaの徳富蘆花の記事からの転載です。2枚目の写真は三島由紀夫記念館で、3枚目のは徳富蘇峰の記念館です。8月25日に自分で撮ってきたものです。
蘆花旧宅に入場するとその質素さに言葉を失います。奥の書斎にはロシアの文豪のトルストイ夫妻をはるばる訪問した時の写真が展示してあります。トルストイ夫妻と蘆花が楽しそうに一緒に馬車に乗っている写真です。その下にはロシアへの長旅で傷だらけになった皮のトランクや持参した文房具類も展示してあります。
写真に写っているトルストイの顔を注意深く見ると、遠くから来た蘆花を心から歓迎している気持ちがあふれているのです。トルストの作品を翻訳し、日本へ紹介した蘆花に感謝もしているのでしょう。初対面の2人ですが深い友情が見える写真なのです。
三島由紀夫の文学作品の素晴らしさに異をとなえる人は居ません。私個人は、「午後の曳航」に魅せられた記憶があります。ノーベル文学賞を貰っても不思議のない文豪でした。それが晩年に狂ったように右翼になります。楯の会という私兵を従えて市ヶ谷の自衛隊へ押し入り、切腹自殺しました。彼の文学作品の価値とは一切の関係の無い愚かな行為でした。残念でした。その右翼の三島由紀夫の記念館の3倍も、4倍も大きな徳富蘇峰記念館が隣に建っています。
徳富蘇峰は巨大な国粋主義者でした。貴族院議員を1911年から1945年まで34年間務め、精力的な文筆活動で国粋主義を鼓舞し続けたのです。終戦の時は戦争継続を昭和天皇へ進言し、聞き入れらませんでした。進駐軍にA級戦犯の容疑をかけられましたが老齢の為起訴されず追放されました。マッカーサーの言うことをよく聞く昭和天皇を、「天皇としての修養が足りない」と批判しました。戦後も一貫して右翼思想を捨てなかったのです。三島由紀夫記念館が徳富蘇峰の記念館の傍にあるのは決して偶然ではありません。
ここまで書けばお分かりですね。私は徳富蘆花が好きです。尊敬しています。三島由紀夫の作品は好きです。しかし彼のもう一つの側面の右翼的思想は尊敬出来ません。残念です。徳富蘇峰については批判をひかえます。しかし日本を破滅へ導いた彼の言論活動へ歴史はどのような審判をするのでしょうか?それを審判するのは後世の日本人の考えにゆだねます。
それにしても明治、大正、昭和は激しい時代でた。激動の時代でした。平成になって平穏な時代になったと、つくずく感謝しながら老境の日々を送っています。この拙文を読んで下さって有難う御座います。尚、関連記事の、山中湖、三島由紀夫文学館 もご覧頂ければ嬉しく思います。(終り)
明治の文明化以来、日本にとって、欧米人を理解して、その文明文化を早急に輸入することが国家目標であったのです。近代科学、蒸気機関、ジーゼルエンジンなどの技術の導入は素早く出来ました。しかし欧米人を理解するという問題は困難なこととして現在も残っています。
欧米人を理解するにはキリスト教徒になるのが手っ取り早いという説もあり、明治時代から洗礼を受けた人も少なくありません。
キリスト教徒になると欧米人の人間としての弱さはよく理解できます。日本人と同じように人間としての弱さを持っていて親しみを感じます。その側面は日本人と共通な性質です。
しかし相違点が見えて来ません。単に人間の弱さは世界のどの民族も同じだという感慨に捉われるだけです。
そこで宗教から離れて、彼等の考え方や行動を冷静に観察してみます。すると欧米人の違いの一つは、合理主義が大きく人生に根付いていることです。その点は日本人と非常に違います。
人間は鳥でないから空を飛べない! そんなことはありません。ライト兄弟が飛行機を発明したではありませんか! 帆船は追い風を受けて走るのだから風上には走れない! 本当にそうででしょうか? その根拠となる理論が無い時代です。それなら実験をしてみよう! 帆の形を色々変えて実験をしてみたところ、風上に走ったのです。 もっと早く風上へ走る船の形と帆の形はどう改良すればよいか? 改良を重ねる度に実験をする。そうして1500年ころに3本マストの外洋航海用の帆船が出来上がったのです。下の写真は20世紀初頭にイギリスで完成した4本マストの帆船です。長く日本の船乗りの練習船として使われて来た帆船日本丸です。現在は横濱のみなと未来に係留、展示されています。
東洋人には実験実証主義的な考え方が無いのです。これこそが東洋人と西洋人の重大な一つの相違と信じています。欧米人は他の民族を制圧して植民地に出来たのは、この実験実証主義のお陰です。
クルーザーヨットに乗って、その部品一つ一つの合目的完璧性、船全体の構造の無駄の無さ、絶対に転覆しないキールの重さ、などなどを体感的に理解すると、欧米人の合理主義の極地が理解できるのです。これこそヨーロッパ文化の真髄と、クルーザーに乗る度に感動します。
ヨーロッパ文化へあこがれる日本人、科学や技術を職業とする日本人が、クルーザーヨットの趣味をもつと文化の相違の本質が理解できると信じています。単に楽しい、心地よい、というような表面的な楽しみの趣味ではないのです。
このブログの副題を「クルーザーヨットのブログ」とした意味は、「明治維新以来の我々の課題はクルーザーヨットの趣味を持つと解決しますよ!」そんなメッセージを含んでいるのです。
欧米人の理解の仕方はよくキリスト教を理解すると良いと言われます。キリスト教の信仰をもってみると人間の同一性は理解できますが、相違点は理解出来ないのです。キリスト教は欧米人の精神文化です。物質文明の本質は合理性や合目的性にあります。工業製品は無駄をそぎ落とし、目的の性能や機能を出すために徹底的に改良して行きます。自働車も飛行機もインターネット技術もそのような努力の積み重ねによって出来あがってきたのです。日本人の貢献は非常に少ないのが実態です。科学者や技術者はそのことをよく知っていますが、それ以外の人々はそのように理解していません。
さて皆様は上のような見方をどの様にお思いでしょうか?コメントを頂ければ嬉しく存じます。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人