


長崎県の北西の海上に平戸島があります。幅の狭い平戸瀬戸の上に橋がかかっていて九州本土の平戸口と繋がっています。この平戸瀬戸へ面した平戸島の港は船の往来で繁栄した港町でした。この海峡は九州の南の海と玄界灘をつなぐ最短距離なのです。
奈良時代や平安時代には遣隋使や遣唐使の船の出発港としても重要でした。 現在は九州本土から観光バスで行ける上に、平戸市には昔の領事館、商館の跡やキリシタン関連の史跡が多いので、一つの観光スポットになっています。
私共も3回ほど訪問し、古い平戸の町並みを歩き、キリシタン時代の教会を訪ねたことがあります。そんな観光案内を以下に示します。 1番目の写真は手前が九州側で橋の向うが平戸島です。上と下の全ての写真は平戸写真画像集からお借りしました。
2番目の写真は現在の平戸港です。木造の遊歩道が付いています。左の奥の方に領事館跡や商館跡があります。この港を見下ろすように平戸城があります。平戸城の見える反対側の高台に博物館があり、その隣には、風情ある茶室(閑雲亭)があります。感じの良い女性が綺麗なお点前でお茶をたててくれました。銘菓カスドースの甘さと共に家内と懐かしく思い出します。
3番目の写真は平戸の風景です。このような小道を登って行くとキリシタン時代の教会の跡地に出ます。現在はカトリック教会とお寺とが並んで建っています。
4番目の写真はキリシタン時代の教会の跡に建っている教会です。現在はカトリックの教会になっています。
ザビエルの来訪を喜んだ平戸領主、松浦隆信は平戸での布教活動を支援したのです。平戸滞在一カ月足らずの間に100人の日本人がキリシタンになったのです。しかしそれも禁教令の歴史で暗転するのです。
その後400年経って1949年(昭和24年)に平戸市にザビエル記念碑が出来ます。当時のローマ法王ピオ12世は特使の枢機卿を派遣し、除幕式を行ったのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
長崎の観光名所の一つに日本26聖人像があります。今日はこの26聖人の事を書いてみようと思い写真を検索して、探していました。
そうしたら鮮明な写真に素晴らしい文章のついたブログを発見しました。
江島達也さんのブログ: http://hayabusa-3.dreamlog.jp/ です。
このブログの中から観光名所になっている、26聖人像の写真をお借りして以下に示します。(出典」は、http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51207384.html です)。
有名な彫刻家の船越保武氏が4年余の歳月をかけて昭和37年に完成した芸術作品です。余談ながら私はカトリックなのでこの像の前に立ったり、写真をみるのが好きです。祈っているのです。
この26人は1597年2月5日、長崎の西坂で十字架にはりつけにされて殉教しました。
ローマ教皇ウルバノ八世は、1627年9月14日に、フランシスコ会関係殉教者23の列福を認めたのです。続いて同じ年の9月15日にイエズス会殉教者3名の列福も認めました。
それから235年後の1862年6月8日にローマ教皇ピオ九世により聖人と認められたのです。1862年といえばまだ江戸時代です。日米、日露なとの修好条約が出来、領事館が出来たころです。
尚、船越保武氏の作った着物姿のマリア様の像は東京のイエズス会修道院のミサのための堂の入り口にあります。以前、このブログでその写真を紹介しました。
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参考資料:出典は、Wikipedeanの「日本二十六聖人」です。
26聖人像の右側から左へ順に殉教者を説明します。
(以下、二十六聖人記念碑の右側から順に列挙)
夏になると特急つばめと東海道本線の旅を思い出します。懐かしい特急つばめと東海道本線の旅の思い出を書きたいと思います。昭和16年から戦後にかけての思い出です。
昭和11年に生まれた私は毎年夏になると特急つばめに乗って兵庫県の田舎にある父の実家へ行ってました。父の実家は曹洞宗のお寺です。父母と兄弟3人で1週間ほど泊まりました。
当時住んでいた仙台から上野までは蒸気機関車だったので煤煙でシャツが真っ黒になったものです。
それが東京駅で「つばめ号」に乗り換えると煤煙がなく素晴らしいのです。窓を思いきり開けて涼風が楽しめるのです。
新幹線の開通の後あの懐かしい「つばめ号」は消えて無くなりました。
しかしインターネットには写真が残ってい.ます。その「つばめ号」の写真を示します。
超特急「燕」は東京~大阪間568kmを、それ以前の特急「富士」に比して2時間半近く短縮する,8時間20分(表定速度68.2km/h)で走破し、「超特急」と称されました。
「つばめ」の食堂車は「みかど」が営業を請け負い,洋食を提供しました。
開業日の定食メニューは,スープ,伊勢エビのゼリーかけ,牛肉の松茸ソース,七面鳥の蒸焼き温野菜添え,果物,珈琲で〆て一圓三十銭でした。
さて大阪の梅田に着くと今度は阪急電鉄に乗り換えます、更に能勢電鉄に乗り換えて父の実家へ着くのです。
東海道本線ではあちこちで途中下車して観光しました。熱海の温泉街や名古屋城。そして伊勢神宮や熱田神宮などに懐かしい思い出があります。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)