遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

鬼平、死す!

2021-12-02 16:55:12 | 日記

令和3年12月2日(木)

中村吉右衛門さんの死

歌舞伎界を代表する、人間国宝の中村吉右衛門さんが亡くなった。

11月28日、心不全のため都内の病院で亡くなられた。77歳。

大星由良助

菅原伝授手習鑑、松王丸、

俊寛、

勧進帳、弁慶

 

「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助、「菅原伝授手習鑑」の松王丸、

「俊寛」の俊寛、「勧進帳」の弁慶等、数多くの当り役を務めて

来られた。

八代目・松本幸四郎(初代、白鸚)の次男として1944年(昭和

19年)5月22日生まれ、母方の祖父である初代中村吉右衛門の

養子となり、1948年に中村萬之助の名で4初舞台を踏む。

1966年、2代目中村吉右衛門を襲名した。

2002年、日本芸術院会員となる。

2011年、人間国宝となった。

2017年。に文化功労者となり、文化勲章を授与される。

父は初代白鸚、兄は二代目白鴎、甥は松本幸四郎、娘婿は尾上菊之助

中村吉右衛門と、兄の2代目白鸚(右)

 

テレビには、「切り捨て御免」(1980年~82年)で主演。

1989年から始まった「鬼平犯科帳」で、火付盗賊改方長官

の長谷川平蔵(4代目)に出演、2001年迄9シリーズで主演

その後の単発作品を含め膳150作品をこなした。

初代の鬼平は父の初代白鸚、2代目は丹波哲郎、3代目萬家錦之

介、そして4代目の鬼平を演じ、当第一の鬼平の評判を取った。

初代鬼平を演じた初代白鸚

二代目鬼平の丹波哲郎、

三代目鬼平の萬家錦之介

そして、中村吉右衛門の鬼平

 

 

中日新聞朝刊コラム「中日春明」に中村吉右衛門さんの追悼記事

が載ったので紹介したい。

『演じれば演じるほど、客は笑ってくれた。多くの劇評判が好演

を称えている。 ニ十歳の頃に絶賛を得た役者萬之助だったが、

独り落ち込むばかりだったという。 「俺は二代目吉右衛門を

継がねばならない役者なのだ。脇の三枚目が当り役、はまり役と

言われてどうする。 精神安定剤と酒に助けを求めた末に、血を

吐いて倒れ休演する事になった。」と著書に告白している。

一代で時代を築いた明治生まれの初代中村吉右衛門の大きさは、

途方もなかったようだ。22歳で二代目を襲名した後、重圧との

闘いが続いたという。 名前の重みを正面から受け止め、新たな

境地に達した人だろう。

大星由良助、松王丸、俊寛、、、、時代物の名演だけでも数え切

れない。 

血の滲む努力のたまものを残し、歌舞伎俳優の二代目中村吉右衛

門さんが亡くなった。 七十七歳吉右衛門の名をさらに大きくして

の旅立ちだろう。 

松貫四の名で自ら筆を執り、一人芝居「須磨浦」を書き下ろした。

無観客の舞台で昨年、自ら演じた映像が、NHKで放送されていた。

我が子を手にかけなければならなかった、熊谷次郎直実の悲劇で

ある。あらがえない運命と孤独、痛切な親子情が、コロナ過の中

で迫って来た。 歌舞伎を大きくするような新境地でもあったが、

惜しまれる。 背に悲しみをたたえながら舞台を去って行く直実

の後ろ姿が浮かぶ。(令和3年12月2日、中日新聞朝刊コラム

:中日春秋より引用しました。)

 

今日の1句

のぼりつめ千両役者冬薔薇    ヤギ爺