フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

元軍人さんと英語の先生のほんわか夫婦

2011年07月19日 | ミディ・ピレネー

この人達夫婦とは正直最初にどこで会ったのか記憶が無い。

 

突然はるばるフランスから電話がかかってきた。

その奥さんはダニエールと名乗り、なかなかいい声で上品な感じだった。

ダニエールはその時点で他に3人の知り合いがいたので、どのダニエールかわからなかったのだが(結局4人目のダニエールだった)、とにかく奈良で会ったことがよほど嬉しかったということで

帰国してから電話を下さったのだった。

 

多分、やはり奈良の興福寺あたりで会った団体客の内の年配カップルだと思うが、しかとした「あの時のあの人達か」という記憶が出てこないのである。

 

その後メールをやり取りしていると、彼等は南部の大きな町、トゥールーズに住んでいるらしい。

 

昨年パリ祭に併せて予定を組み、渡仏した際、息子さんに会いにパリに来ていたこの夫妻に再会した。

アヴィニョン滞在からパリにもどる日で、着く時間に合わせてパリ・リヨン駅で待っていてくれた。

 

                  

             

 

実にいい人である。

彼らと凱旋門でパリ祭前日のリハーサルを見物した。

ラ・マルセイエーズが演奏され、リハーサルに参加している彼等全員が敬礼していた。

 

「ドゴールは今でも尊敬されている?」と聞くと「ウイ」と大きくうなづいた。

                     

そう答えるはずだ。

奥さんによるとご主人は軍人さんだったとのこと。

さらにブルゴーニュ出身で、いわゆる「ブルトン人」なのだそうだ。

「彼の若い頃のブルターニュの田舎では、農業をするか、軍人になるくらいしか道が無かったのよ」と言った。

 

このリハーサルを彼らと一緒に見てから地下鉄に乗りパリ市役所前で降り、そこからずっと歩いてノートルダム寺院などを見ながらサンジェルマンでプレ教会近くまで行った。

             

               

             

なぜそこに行ったのかと言うと、実は別のもうひと組の友人が経営するレストランで食事をする予定だったからだ。

 

そのレストランの友人のことは別に書くとして、この元軍人さん夫婦が付き合ってくれたことを、特筆したい。

本来せっかく私に会いに来てくれたのだから、私達だけで友情を交換すべきところなのだ。

ところがパリは友人が多すぎて、友人に会うのに超過密スケジュールの私にはこういう申し訳ないダブル交流みたいなことになってしまったのだ。

 

しかしこの夫妻は嫌な顔一つせず付き合ってくれ、私がレストランの友人と交流する時もいつも控えめにいてくれた。

それだけでなくパリ在住の息子とそのガールフレンドもこのレストランに呼び寄せ、一緒に食事してくれた。

 

そしてその友人夫妻のことやお店のことをお世辞ではなく、褒めてくれたことは自分のことを褒められる以上に嬉しかった。

「彼等はほんとに感じがいい。えらそうにせず、パリ祭の花火の穴場など的確にアドバイスもしてくれた」と、大喜びだったのだ

 

奥さんはノール地方(北の方)の出身で、リタイアされたが英語の先生だったとのこと。

奥さんもムッシュとお似合いの温かい人柄だった。

 

帰りも一緒に地下鉄に乗り、またの再会を約束して、私は凱旋門近くの友人宅に宿泊している関係上先に凱旋門の駅で降りた。

 

いつかトゥールーズに行きたいと思っているが、結構トゥールーズやその近辺に友人が増えて、どこに御厄介になるかが問題になってきた。

とりわけこの素晴らしいご夫婦には安心できるものがあり、第一候補に勝手に上げているのである。

 

 

 

 

 

 



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