フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

大使館公用車、我が家に来る

2011年07月14日 | パリ郊外

奈良の「興福寺」と「猿沢の池」の間に、「すべり坂」と言う坂道が有る。 

 

春まだ寒い3月、そこの北側の歩道を東に登っている時、西に下ってきたカップルがあった。 

近づくにつれ「どう見てもフランス人」と確信した。 

 

声をかけるともう大喜びで、写真を撮り合いアドレスを交換して別れた。 

その間10分ぐらいだったと思う。

 

                      

 

 

 

 

 

帰国後のメールによると、彼等夫婦は共にフランスの警察官(国家警察)だった。

正確に言うと、ムッシュはリタイアしていて、マダムがまだ現役だった。

 

出会ったときは観光旅行中で、その年の9月から東京のフランス大使館に奥さんが赴任するということが判った。

リタイアしたムッシュももちろん一緒である。

 

やがて彼等はやってきた。

 

そして関西へ仕事でやって来る機会が訪れた。

縁と言うものは不思議なもので、このようにどんどん進行する。

 

私の家に招待したので、彼等は大阪の仕事の帰りに狭いけれど私の家に泊まることになった。

公務の出張なのでフランス大使館の公用車でやって来ると言うことだ。

 

家の近くまでやってきて、電話がかかってきた。

「パチンコ屋さんの近くまで来た」と言うのである。これが聞き取れなかった。

なぜか「パーキング」と聞こえたのだ。

やっと「パチンコ」と言っている事が判った。「よしわかった。そこで待って。今ゆくから」と近くのパチンコ屋の付近に行った。

ところが見つからない。

すったもんだ右往左往した揚句、もう一つ別の全然違う方向にあるパチンコ屋だったことは後で判明した。

てっきり別のところの方だとこっちが勝手に思い込んでしまったのであった。

 

我が家に車で(しかも公用車で)やってきたのは後にも先にも彼等だけだった。

それはさておき、夕食をともにし、再会を喜び、語り合った。

12月だったので、鍋を囲んだ。

簡単な夕食だったがことのほか喜んだ。

滞在中に日本人の知り合いもできたが、招待されたりすることはなかったようだ。

フランス人はレストランではなく、家に招待する。

それは大きな家でなくとも大変なご馳走でなくても嬉しいようだ。

それが親しみを表す一番のおもてなしになる。

 

あくる日のランチは近くのビストロに連れて行った。

 

そして再び彼等は公用車で高山に向かっていった。

駐車場に外務省ナンバーの公用車を見た人は驚いたに違いない。

 

 

日本に赴任中、日本中を旅したようだし、近隣諸国へもかなり出張していた。韓国とか、インドとか行っていたようだ。

 

彼らの2年の赴任期間の内に、私も東京に行く機会が出来、彼らの住居に招待された。

 

その時のこのことについては、また別に書きたい。

なお、彼らのニックネームは「大使館」である。

 

 

 

 

 

 



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