フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

問屋街のほとんどが中国人の経営だった。

2013年04月14日 | パリ11区

とうとう、20日間のフランス滞在最後の日がやってきた。 

エリックとイザベル達は既に出勤し、私は荷物を置いたまま預かった鍵を持ってアパルトマンから出かけた。 

バスに乗ってパリ市役所近くで降り、そこから地図片手にパッサージュ見学に行った。アーケードのある通りであるが、日本の商店街みたいな賑やかさは無く高級店が並んでいる静かな感じだった。 

面白い看板もあった。道頓堀の蟹道楽を思い出すのもあった。

 

トンボの看板の意味は不明だった。

 

パッサージュはベルギーのブリュッセルでも見たことがあるが、勿論パリが発祥の地らしい。最近はパリも流通形態がかなり変わったせいか、静かで人通りも少なく衰退傾向にあるようにさえ思えた。 

パッサージュ・デュ・グラン・セールと言うところと、パッサージュ・デュ・ブール・ラベと言うところを見た。ガイド本によるとこのあたりに全部で20くらいあるようだ。

パッサージュ・デュ・グラン・セール

パッサージュ・デュ・ブール・ラベ

パッサージュ内部

天井

 

そこから北の方に歩いて行くと、サン・マルタン門が見えた。ルイ14世の時代ここは城壁があり、門は各地の戦勝を記念して建てられたようだ。

そこから引き返すと、国立工芸院という学校の前を通った。

国立工芸院

やがて何やら装身具などを売っている店が沢山並んでいる所に出た。そこで一つの店に入って見ると商品の価格が非常に安い。買おうかなと考えていると、店の女性(中国人)が英語で「ここは問屋だから、最低100個単位でないと売りません。」と言った。 

なるほどここは問屋街だったのかと、そこで初めて気がついた。どうりで単価が安いはずだ。それにしてもどの店も見事に全部中国人の経営ではないか。そこへ白人が買い付けにやってきていた。

後でこの事をフランス人に話すと、初めはフランス人の経営の店ばかりだったが、いつの間にか中国人に全部とって代わられたのだと言うことだった。

改めて中国人の商売のうまさを実感した。 

カフェで休憩し、アイスクリームとエスプレッソで一息ついた。

それからピエール夫妻のアパルトマンへ向かった。

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