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フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

三人娘の家族とお爺さん

2011年06月15日 | ラングドック・ルシオン

アヴィニョンアルルの友人宅に泊まりながら、カルカッソンヌとペルピニャンへの小旅行をすることにした。

キャリーも借り、軽装だ。

 

実はスペインにはまだ行ったことがない。ペルピニャンはスペインとの国境の近くで、昔はスペインだったこともあるせいか街並みもスペインを感じる。

国境を超えるとすぐバルセロナだ。

ペルピニャン行きを決めたのは、なかなかスペインに行く機会がないこともあり、ちょっとそんな雰囲気を味わいたかったこともあったのだ。

 

ピンクや赤の壁の家が多く、家もスペインを感じる。

あちこちで表示にもスペイン語(カタラン語)が書かれている。

 

半日余りの観光で街を散歩し、マジョルカ宮殿に行った。

 

そこで、出会ったのがこの家族である。

三人の娘を連れた夫婦とそのご主人の父親であるおじいさんと6人であった。

彼女たちは幼稚園から小学校中学年くらいだったのではないだろうか。

とにかくお人形のように可愛い。仕草も可愛いのである。

 

お城の上に上ると眺望も素晴らしい。

「あれはピレネーですか?」と奥さんに聞いてみた。

「ここからピレネーは見えないのではないかしら?」

「そうなんですか」

しばらくして、ご主人に確認されたようで、「ごめんなさい。あそこに見えているのは全部ピレネーでした」

ピレネーとは特定の山を言うのではなく、全部を「ピレネー山脈」ということを知った。

 

聞けば彼女たちはトゥールーズからきていると言うことだったが、ピレネーはすぐそばなのに全く天然な?奥さんに親しみを覚えた。

 

それからまたそのお城の中で、女の子たちに出会ったので、折り紙を渡した。

そしてまた別々に見ていたところ、おじいさんがやってきて「さっき孫たちにプレゼントをいただいてありがとう」と大層喜んで、わざわざお礼を言いに来てくれたのだった。

ここまでくればあとはお決まりの、アドレス交換、写真撮影と発展したのは自然の成り行きだった。

 


ニームのマダムともう一人の同居者

2011年05月28日 | ラングドック・ルシオン


このマダムとはネットで知り合った。メールでやり取りしているうちに、かなりの日本通だと判ってきた。

なにしろ彼女は日本の弓道を習っていた。
それで大会のため日本に来たこともあるようだった。
ニームの自宅に弓道の練習場があるというから驚きだ。

その内ぜひ自宅に来てほしい、カンヌにも連れて行くからということになった。

そこでアヴィニョンに行く時、ニームにも寄ることにした。
ニームにはアヴィニョンでフランス語を習った先生が住んでおられ、その先生にもお会いできるよい機会だった。

さてそのマダムの家は確かに広く、敷地の中には昔羊飼いが使っていた石積みの小さい小屋などが残っていた。
ただ彼女の持ちものではなく借りているのだった。またもう一人のマダムと二人で同居していた。

確かに弓道の練習場があり、使っていないがプールもあった。


このマダムの特徴は、他人に対する警戒感が強いことであった。
例えば、連れて行ってもらった骨董市の開場前に並んでいたときのことだった。
前の女性が私にどこから来たのとか、めずらしい東洋人に話しかけてきた。

私も日本から来たとか、この骨董市はどうなのかとか少し話した。
その内ふと気がつくと、一緒にいるマダムが少しもこの会話に加わらず、無視している事に気がついた。

次に見本市の中で珍しく日本人の女性と、そのご主人に出会った。
彼女の夫はフランス人で今英国に住んでいるとのことだった。
なかなか感じのいいカップルで、話していると、マダムが呼びに来て次のところへ行こうという。
どうやら私が、日本人とは言え初対面の人と親しく話しこんでいるのが、気に召さなかったようだった。

更に昼のレストランでのことだった。
軽い食事を済ませた時、店の子らしい可愛い女の子が遊んでいたので、折り紙をあげた。
女の子はお父さんに言われたのか、ほっぺにお礼の「チュ」をしに来てくれた。
この間マダムは精算にいき、帰ってきて、おおよその経過は知っていたはずだが、「何してるの?」という感じだった。

このように他人に対する警戒感は、多かれ少なかれフランス人は共通して持っているものであるが、このマダムは顕著な感じであった。さらに、気になるのはこの裏に隠された「階級意識」である。日本より封建的な面を感じざるを得ない。

このマダムのようにあちこち案内してもらえるのは大変効率がよく、安全で楽であるが、反面自分だけの行動はとりにくく、新しい知り合いができるチャンスもなくなるという欠点がある。



別の話になるがこのマダムとシェアをして一緒に住んでいるもう一人の小柄なマダムがいた。
日曜日、隣の敷地のご主人が草を刈っているような、かなり大きな音がした。
彼女はやかましいと隣に苦情を言い、ついには何かを隣の家に投げ込んで怒っていた。

この根底には、休日は静かに休息して過ごすもので、休日に働くことは良くないことであり、ましてや休日に騒音を出して隣に迷惑をかけるなんてことは論外と言う考えがある。

彼女は抹茶の飲み方の作法を聞いて、これはかなわないと目をまん丸にし両目を寄せて見せた。茶筅の動かし方は真剣だったけれど、なかなか上手だった。さらに飲んで「苦―い」とすごい顔をして見せたひょうきんな彼女ではあったが、この騒音騒ぎには真剣に怒っていた。


彼女は黒澤作品なども好きで日本には興味はあるが、フライトが長いので日本に来ることはないと言っていた。
マダムの車でこの家を去る時、送りに出た彼女が手を振り、最後にうつむいたさびしそうな様子は忘れられない。
今も元気だろうか?


ニームのフランス語の先生

2011年05月26日 | ラングドック・ルシオン

学生時代からの夢に胸を膨らませ、小さな語学学校の門をくぐった。
迷路のような細い道が多いアヴィニョンで、その学校も小さな道の奥に門があり、木の扉を入る。
ちょっと遅れると鍵がかかるので、ベルを押し、扉を開けてもらわなければならなかった。

クラスには私を入れて、四人だけ。
それが翌週には三人になった。
たった10日間だったからか、正直語学力の向上は期待外れだった。
ただ、その時の先生(30代後半くらいの女性であった)との出会いは、今もなお続く大きな収穫であった。

最後の授業の後、庭でティータイムがあり、その日で終了のものが挨拶をする。
簡単なフランス語で、楽しく過ごせたこと、先生やクラスメートとの出会いに感謝を述べた。
そして最後に「アデュー」と言った。
「ノン、それはないでしょう。オー・ルヴォワールでしょう」とすぐに先生は訂正した。
フランス語にはいくつかの「さよなら」の言葉がある。
アデューはもう会うことのない人へ言う言葉なのだ。もちろん知っていた。私はもう会うこともない人たちだからと、使ってみたわけだ。

しかし、フランスで「アデュー」を使うのは永遠の別れ、つまり亡くなった人への「さよなら」。そしてもう一つは恋人など決別を意味するときに「アデュー」と言う。(物理的にはどこかでまたすれ違ったりするとしても)
それ以外はすべて「オー・ルヴォワール」(また会いましょう)、もしくはすぐにまた会うときは「ア・ビアント」(またね)と言うのだった。
もう物理的に会うことはない人でも、永遠の別れの言葉は使わない。

結果的に私はその後アヴィニョンにも何度もそのあと訪ねることになったし、先生とも再会したのだから、まったくそれは間違っていたのだ。

さて、それから二年。私がアヴィニョンを訪ねるとメールをしたとき、もう先生はアヴィニョンではなく、先生が住んでいるニームと言う街でまた教師をしていた。
「どこを案内しようか」と尋ねられ、交通の便が悪くなかなか個人では行きにくい、南仏では最高の(と私は思う)世界遺産、「ポンデュガール」(ローマ時代の水道橋)をリクエストした。
前日パリのホテルに電話があり、4月末、ニームは何と30度で、夏日だと言うことだった。




ニームの駅で再会を喜び、ニームの街を案内してもらった。

先生は大きなペットボトルに水を入れて持ってきてくれていた。
そして「私の車はエアコンがなくて、ごめんなさいね」としきりに気にする。
それより驚いたのが、駐車する時、ハンドルが動かないような大きなロックをかけたことだ。
「車を盗まれない」ためのものだった。その可能性が想像できるような場所も車で通った。


このニームというのは、ジーンズでもおなじみの「デニム」の語源でもある。
デニム(デ・ニーム)、つまり「ニーム産」と言う意味だ
詳しく言うとSerge de Nimes(セルジュ・ド・ニーム)、sergeとは綾織り(サージ)のことで、ニーム産のサージに由来する。

昼食を取った時、「オムレツ」を頼んだつもりだったが、何と一人分のお皿に三つの目玉焼きがのっていたのにはびっくりした。

先生は日本からのお土産に「もし可能ならお味噌製品、そして日本地図」をと言われ、その時先生が日本に興味を持っていることを感じたのであった。
日本に興味があるからと、すぐに来れる人はやはりまだまだ少ないのである。
ハイキングが趣味だと言い、「いつか日本に行けたらいいのだけど」と言っていた。名残リを惜しみながらお別れした。


その後は、ほとんどカードのやり取りだけだったが、東北の震災後はすぐに手紙で私の状況を尋ねて来られ、被災地の方々への哀悼と激励の言葉を頂戴し、先生の温かい人柄を再び確認したのだった。


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