ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

リラホルンを聞きながら。

2007-12-13 00:32:28 | 日記
 書き込みすぎなのかなぁ。

 「伝えたい」と、歌い手の人なんかがよく口にするフレーズだけど、意味不明だよなぁとおもう。そんな、一方的に伝えたいことがつんがつん伝えられましても、こっちは困る。表現という行為は、何を表現するべきなんだろう? 自意識が邪魔だ。そんなのは気持ち悪い。
 でも、他人の書いたものを読むとき、誰かの自意識に触れたいとおもっているのも事実のような。そのチラ見せの絶妙なバランスが大切なのか。でも、太宰の「晩年」のすごさっていうのは、どうせ死ぬんだし、という開き直りからくる自意識フルスロットル感なのではないかとおもったりも。さらけ出し方によっては、それはそれですごいものになるのかもしれない、自意識。
 しかし、まあそれは太宰マジックなので、とりあえず自意識が前に出過ぎない方法を会得したい。
 小説の文中から「~とおもう」という文章を単純に全削除してみたらどうなるだろう? と仕事にいく途中の電車のでちょっと考えてみたりした。どうしても多くなってしまうので。今はとりあえず気にせずに量をガスガス書くことにしているけれど、いずれは刈り込まなければならない。感情なんて直接書いたら負けで、情景描写に心情がにじむのが本当だとおもう。おもったってなかなかできないわけだけど。
 いろいろ思いつくにはつくけど、時間が足りない。ニコニコ動画のやりすぎだ。ボーカロイドたちの新曲を追いかけるのに日々忙しい。だめじゃん。