ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

友達の作り方が知りたい。

2007-12-07 00:03:06 | 日記
 三回働いて一回休んで二回働いて一回休む、が1セットになった一週間をひたすら繰り返していた書店員時代。盆も正月もなく(むしろ、盆だから正月だからという理由でいつもより多く働く)、「連休? なにそれおいしーの?」というあまりにも規則正しい一週間の繰り返しだったのだった。
 そして今、パートタイム局員となり、週に5日きっちり8時間働いて、週末はきっちり2日休む、という生活は、なんだか驚きの連続だ。人間はこんなにも健やかな時間を生きれるのかと。規則正しい時間はすばらしい。毎日同じ時間に起き、同じ時間働き、同じ時間に帰ってこれる。

 しかし、躍動感の足りない生き方であることよ、とも感じる。その躍動感とやらが嫌さに選んだ局員生活であるのに。やはり若い時はがむしゃらに働いて時間感覚が狂ったりする方が、のちのち思い出すのが愛しかったりするのではないか。その最中はつらくとも。当たり前の話だ。がんばった思い出を思い出すほうが楽しいに決まっている。がんばらない人間はそれをよく知っている。骨身にしみている。

 あと、週末2日休むと、もう仕事にはいけないような気持ちになる。完璧に、仕事場での擬態がはがれてしまう。今の仕事場は人間関係がとても良好だし、けっして無理してなじんでるわけではないのだけど、それでも、離れて2日もたつと、もう戻れない、絶対無理! という気分になる。というわけで、月曜あたりが一番つらい。水・木あたりは案外元気だ。いちど局員のテンションを思い出すと、そのあとはすんなりと毎日楽しく局員できる。週末に一度局員じゃない自分になると、また局員の気分に復帰するのは大変だ。週末に、友達に会うと特に。
 ある集団にいるために、自分をその集団色になじませる、そのやり方がおそろしく不器用なのだろう。そんなのはその場をしのげる程度に適当にこなせばよいのに、やるからにはとことんやろうとしてしまう。どっぷりとその人間関係に浸かりたいとおもってしまう。女子中学生の親友ごっこじゃないのだから、もっと大人なさらりとした人との付き合い方を覚えればいいのにねぇ。仕事してるときは仕事場の人と仲良く、友達と遊んでるときはその友達と仲良く。中学時代の友達といるときのテンション、サークルの仲間といるときのテンション、それぞれが楽しい。みんな違ってみんないい。ただそれだけの話なのだがな。それが下手だ。思いいれすぎてしまう、それぞれに。だからみんなと遊び終わった後とてもさみしい。捨てられたような気分になる。みんなにはそれぞれ帰る場所があるのに、わたしはどこに帰ったらいいのかわからないよ、という気持ちになる。もうどこにも行きたくないのに、誰のそばにもいたくないという気持ちになるのに、でも人恋しい。いつまでもさびしいままだなぁ。
 よりどころがないのだ。だから心がふらふらして、そのたびにつらい思いをする。よりどころ。中学とか高校の頃はそれがあった。世界が狭くて幸せだった。わたしのような心の人間にとっては。いつまでもあのぬくぬくした場所で純粋培養されていたかったなぁ。