ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

お散歩大臣の憂鬱。(卒論編)

2005-11-21 14:42:56 | 日記
 不安でガクガクブルブルしている時にかぎってブログがメンテ中で書き込みできなくてストレスのやり場に困った挙句に真昼にお風呂でドストエフスキー読んだり夜の大久保を徘徊したり一日15時間以上寝たりレンタル開始して速攻借りてきたハウルを連続3回見たりしている卒論人間って別にわたしだけじゃないよね(すでに記憶がごっちゃごちゃで時間軸がぶれまくっているが、まああながちウソは書いてない。順番ばらばらだが一応上記のこと全部やった)。
 そつろーんーー。

 この前、すごく久しぶりに空を飛ぶ夢を見た。狭いベッドで寝て体がキシキシだったからかもしれないが、この手の夢は大抵強迫観念の現れである。昔は毎日のように見ていたが、最近は本当に全然見ていなかった。超久しぶりで懐かしい感触だった。空を飛べるから自由というわけではなく、むしろなかなか思うように飛べないからストレスが溜まるんだけど、それにしても、空の上ではいつも一人なので、その点とてもすがすがしい。

 幸福と不幸に振れる振り子の幅はいつも一定、という人生の法則を発見してから、できるかぎり振れ幅の少ない人生を生きたいと考えていた。そして、だんだん振れ幅を小さくしていくことに成功し、今ようやくほとんどどっちにも振れてない状態になってるとおもう。ただ街を歩くだけで楽しいとか、幸福にも不幸にもぎゅんぎゅん振り子が振れてた時には見落としてたものに目が行くようになった。このまま、もっともっと心を平静にして、振れ幅が完璧にゼロになり、心の湖の水面が一点の曇りも無い鏡面のようになったら、一体どんな日々がわたしに訪れるのだろう。世界平和かな。

 そのためにはまず卒論をやっつけなければならない。そつろーんーー。
 今日はさすがに手をつけないとだめだという自覚があるので、これからやる。最近見つけた気に入りのお散歩スポットを堪能しつつハウルをビデオ屋さんに返しに行ってそのついでにハガレンの新刊を買うというビッグイベントを鼻先にぶらさげたまま自分がどこまでがんばれるのか見ものだ。もうすでにくじけそうなんだけど。お散歩したいよー。ハガレン読みたいよー。

とりあえずいろいろ記録。

2005-11-19 02:25:04 | 日記
 能の発表会の話。
 わたしはこういうイベントが大嫌いだ。イベントに関してはシロートの集りなのだから、段取りが悪いに決まってる。段取りが悪いことほどストレスのたまることはない。
 おまけにのどが完璧に壊れてしまっていて、のど飴と水とマフラーを手放さずにどうにかだましだましって感じだった。
 でも舞台はすばらしかったわ。4年間の自分の成長をきちんと感じられたし。最後なんだーという感じはしなかったけど。あとからじわじわくるのかな。
 能は、シテの着付けから見ることができたのがとてもよかった。普段一緒に練習したり遊んだりしてる人々が、能楽師に囲まれて、どんどん綺麗な衣装を着せられてく。いや、着るというよりはかづくって感じか? そんな日本語使いたい。まるで、人じゃなくなっていくための儀式のようだ。長い女の髪のかずらを頭にいただいた瞬間、なんともいえずドキッとした。髪は女の命なのだ。間違いない。男の子に女の魂が宿る瞬間を見てしまった。2年前、先輩の着付けを見た時にもおもったことだが。着付けを見ているだけで泣きそうになった。
 能の本番も、今までにない感慨があった。自分の同輩および後輩がシテおよび子方をつとめるというのは、なんだかすごいことのように思える。今までは雲の上の先輩がさらに雲の上の上に行っちゃったなーという感覚しかなかったけど。一緒に地謡に入った後輩は、感極まって泣いていた。正しい反応だとおもう。
 ただ、4年間地謡をつとめてきたわたしとしては、過去3年間と比べてしまうわけで。単純に曲だけを見れば、今年の「船弁慶」より断然去年の「巴」が好きだったなー、なんて。さらに今年は仮説舞台だったから、本物の能楽堂でやるよりも感動はぐっと小さくなってしまった。残念。
 でもやっぱり特別だった。
 4年間最後、という感じはやっぱりしなかった。ただ、とても自然に、わたしの中で能がおわった。


 クラス会の話。
 小学校のクラス会。すでに一週間前の話だけども、一応記録。
 女の子は化粧するから印象変わるけど、でも中身はぜんぜんかわってないし、よく見れば外見だってあんまりかわってない。男子もほとんど変わってない。小学校も、あんまりかわってない。何年かぶりで中に入ったけど、見た瞬間にいろいろよみがえってくる思い出。夢の中によく出てくる校舎。おもわず写メを取りまくる。
 10年の時間の流れの力はすごい。小学校時代(あと、ほとんどの人とは中学も一緒だったから中学も)は、もっとも人とうまく接することができなかった時期だったから、クラスのほとんどの人は敵、少なくとも味方じゃないぐらいの気持ちでいたものだが、ぜんぜんみんなと普通にしゃべれる。なんのわだかまりもなく(まあ、当時からわだかまってたのはわたしの方だけだったのかもしれないけど)。女子はともかく、男子とそのようにしゃべれたのは驚きだった。しゃべった記憶もほとんどないような男の子と、二次会の飲みの席で盛り上がったりとか。すげーな。でも、これは10年の時間の流れがさせることで、これからずっとみんなで仲良く、という風になるかといえばそうはならない。それでいいとおもう。そんなものだとおもう。
 小学校2年生の時、男の子二人と近所の公園に宝物(ビービー弾)を埋めたらしい。ぜんぜんまったく覚えがないのだけれども、その二人の中では語り草になっているそうな。記憶っておもしろいな。記憶の取捨選択っていつ誰がしてるんだろう。


 八周年の話。
 プレゼントも記念品もなく、おしゃれディナーもない一日。昼まで寝てて、地元では有名な中華屋さんで朝昼ごはんを食べたらおなかがいっぱいになったから、夕飯食べずに解散。はっきりいってだらっだら。でも、ここのところの二人のあり方を反映していて、ある意味とてもいい記念日(正確に言えば前日だったけど)の過ごし方だったような気がする。だらだらが一番幸せです。

ほかのすてきイベントは全部後回しだ。

2005-11-15 00:36:24 | 日記
 先週の土曜日は小学校のクラス会。今日はお付き合い8周年記念日。今週の木曜日には卒論を出来てるとこまで先生に見せに行かなきゃならない(大ピンチ)。
 これら超強力ラインナップを全部ぶっ飛ばす勢いで、明日、能のサークルの発表会がある。もうこれしか考えられないわ。大学生活で一番大きくわたしの心を占めてきたサークルの、4回目にして最後の発表会。総決算。うまく実感できないけれども、わたしと同じく一年生ぽみんとして入ってきた人らが能のシテをつとめてしまうなんて、歳とるはずだよ、とさっき急に感慨が。能に対する思いは尽きないけども、明日は舞台設営のために6時起きだから、早く寝ることにする。
 わたしと同じ時間を過ごしてきたシテたちを、わたしはとても信頼している。明日はきっととてもよい舞台になるだろう。楽しみ。すごく楽しみ。

ドラマウォッチャーの血は母子感染する。

2005-11-11 02:26:53 | 日記
 土曜に小学校のクラス会があるので、なんとなく懐かしくなって卒業アルバムのぞいて見た。将来の夢の欄にはやっぱり予想通りのことが書いてあった。凹むかともおもったがちっとも凹まなかったな。もちろん夢をあきらめたというわけではないけど、ある程度現実は見えてきている。が、しかし、人生は小学6年生が想像する以上のおもしろさを秘めている。ということがわかるようになったのがいい感じ。なにより、本質がまったく昔とかわってないのがいとしい。わたしは、後悔しないことが得意なのかもしれない。妥協が得意ということでもあるけど、まあとにかく自分で選んだ生き方だから、結果はどうあれ納得はいくのだ。
 歳をとるのは本当に楽しい。
 まあ、あきらめたわけじゃないからこんなこと思えるのかもしれない。そもそも、あきらめないで済む夢をえらんだのだ。小学2年生の時から、わたしは自分にそういうスタンスが向いていることを知っていたんだとおもう。
 最近、後輩たちが就活イベントなんかにちらほら行きだしている。「この時期の就活イベントで培った理想を全部ぶちこわすのが、就活だよなぁ……」と友人と呟きあったのだが、これは本当に真理だとおもう。今の時期、合同説明会には超有名企業ばっかり。だけど、名前知ってる企業だの、花のあるっぽい職業だのにつける人は本当にごく僅か。みんな泥にまみれて生きているのだ。それを自覚するための就活ジャマイカ。まあ、みんながんばれ、と。


 録りためておいた「不機嫌なジーン」の再放送を見てむふむふする毎日。この時の竹内結子は本当にかわいいなぁ……。わし、生まれて初めて人をみて「こんな風になりたい……☆」とおもった。相手役の内野聖陽も、典型的なプレイボーイなんだけど、たまにかわいい。その「たまに」って当たりが激ツボで、もうどうしていいかわからないよー。こんなのと付き合ってみたいなぁ。夜景の見える素敵なレストランとか海辺とか連れてってほしいなぁ。きっと完璧だろうなぁ。でも、結婚は絶対したくないなぁ。このドラマ見てると、ごく当たり前のように男性不信になる。
 ドラマといえば、「花より男子」の松潤もすごい。あんなにツボ直撃されたのは初めてくらいの勢い。意地っ張りっておいしいなぁ。素の部分とのギャップにくらくらするぜ。ニヤニヤ。
 萌えはないけど、「大奥」もいい。うける。今回はシリーズ最高だとおもう(将軍の壊れっぷりが)。谷原くん、適役だなぁ。ほんとすごいなぁ。あと、今日の藤原紀香の「なんやて?」は、迫力満点だった。
 「危険なアネキ」は弟萌え全開だし。「ブラザービート」は男兄弟のわたわた感がかわいい。「野豚。をプロデュース」もなんだかんだで見てしまうのだが、かとぅーん的な顔は好みではないな……。
 昼ドラも見る。けど、今季のはあんまりおもしろくない。「冬の輪舞」はよかった……。

 ドラマは、お母さんと一緒に見ることが多い。まわりにあんまりTVっ子がいないから、自分の見てる番組の話できる場が少なくてかなしい。自分、テレビ依存率高いんだろうか? と最近ちょっとおもっている。

お散歩大臣。

2005-11-10 03:40:20 | 日記
 昨日のコース。市ヶ谷~四谷~赤坂見附~青山~表参道~原宿~代々木八幡。キーワード:おしゃれ街の底力。
 サークルが終わったあと、新宿駅の中心で「どっか散歩したいね」という話になり、「やっぱりテンションあげるには水だよね!」という共通認識を確認しあった後、一番手っ取り早く水が見られるお堀を目指して黄色い電車に飛び乗った。
 山手線の真ん中を通る中央線と並走する総武線はちんたら各駅停車する。大学四年生の女二人、ドアにべったり張り付いてお堀を眺める。水のある場所は緑があるし空も広くてとてもいい。このあたり、特に御茶ノ水ら辺の、線路が容赦なく何本も混線してる感じもとてもラブリー。たっぷりお堀を堪能した後、浅草橋でUターン。飯田橋にあるお気に入りのお堀端カフェにいくつもりだったけれども、Uターンしている隙にすっかり日が落ちてしまったので、行きの車中で気になっていた市ヶ谷駅前のタリーズでお茶することにする。オープンスペースからお堀の水が見えるもんだとおもい、ワクワクテカテカして行ってみたら、道路を挟んでいるために距離があってまったく見えない。残念。プロジェクトXのエンディングテーマを歌いながら流れていく自動車の列を眺めていた。
 道路とお堀をはさんで、向こう側には市ヶ谷駅が見える。そこに発着する電車は街路樹の陰でちらちらと明かりが見える程度。市ヶ谷は位置がちょびっと低くなっていて、そこに入ってくる線路は若干下り坂になっている。その傾斜具合と、日没後の暗闇のちょうど良い目隠し具合があいまって、街路樹の奥から市ヶ谷駅に滑り込んでくる電車が、まるで夜空から舞い降りてきたように見える。一度そうおもうと、次々発着する電車が全部銀河鉄道におもえてくる。だって、あの線路は絶対に空に向かって伸びてるよ……! なんかもう、超テンションあがった。電車が次々と舞い降り、次々と夜空めがけて走り出す。市ヶ谷は、銀河鉄道の発着駅だったんだ……!
 銀河鉄道とコーヒーを充分堪能した後、ぶらぶらと隣駅まで歩いてみることにする。お堀ぞいにぞろりぞろりと歩く。四谷駅にはあっという間に着いて、なんだか歩き足りないのでもっとまっすぐ行ってみることにした。とはいえ、東京の道はまっすぐ歩けるようにはできていない。うにゃらうにゃら歩いていたら、なんかえらそうな建物がたくさん建っている。赤坂見附だった。をを、これがかの有名な……。まだ歩けるのでまだ歩く。交番の前にある地図を確認したところ、「青山」というキャッチーな地名を発見。ふらふらとそちらに向かって歩いていく。途中見つけたファーストキッチンで「月見キーマパスタ」なるものを食べ、まだ歩く。表参道。え、ここからなら原宿まで行っちゃった方が帰りが楽じゃね? 道もおもしろいし? ということでさらに原宿を目指す。いい街は歩くのが本当に楽しい。高そうな服売ってる店がたくさんある。手がトドかなすぎて笑える。で、原宿に到着。すると、小田急線ユーザーのY女史が「ここまで来たら代々木八幡まで歩くよ」と言い出したので、わたしも着いていく。わたしは新宿にさえたどり着ければ定期で帰れるので、とにかく新宿にいける電車ならなんでもよいのであった。代々木八幡から無事帰宅。
 東京散歩はおもしろいだろうなーとはおもっていたけれど、まさかここまでおもしろいとはおもわなかった。目的をまったく持たずに闇雲に歩いてもたくさん地下鉄の駅があるから帰ろうとおもえばどこからでも帰れるし、分け入っても分け入っても知ってる地名が出てくるので飽きない。なにより街がおもしろい。散歩は昼間じゃなきゃおもしろくないとおもっていたけれど、東京は夜歩いても別のおもしろさがきっちり備わっている。東京ばんざい。

 今日のコース。竹橋~日比谷~芝公園~麻布十番~六本木ヒルズ。キーワード:東京タワーの脅威。
 前日すっかり味をしめたわたしたちは、今日もサークル終了後に散歩に繰り出した。部室でだらだらだべっていたらすっかり暗くなってしまったのだけども、まあおかまいなしに適当に東西線に乗り、適当に竹橋をチョイス。下車。地下鉄出口を登りきり、皇居だーとおもって、振り返った瞬間、真正面に東京タワー。東京タワーのパワーは、なんか、すごい。お土産やさんで売っているミニチュアと同じように、うさんくささを通り越して神々しいほどの輝きを放っている。ふらふらと引き寄せられるように東京タワー方面へ。皇居をぐるりとまわり、とりあえず日比谷公園に行こうということになる。それにしても、皇居あたりにはスカイがある。そして、広いスカイの中にたたずむ東京タワー。まったくファンタジーだ。子供のころに読んだ童話を思い出してしまったもの。
 日比谷公園を経由して、もっと東京タワーに近づこうという気持ちになってきたので、そっちめがけて進む。しかし、東京タワーはすぐに見えなくなってしまった。むむむ、とおもいながら、とりあえず芝公園を当面の目的地に設定。しばらく東京タワーのことを忘れたまま歩いていると、突然、道沿いのビルの窓に東京タワーが写りこんできた。絶句。しかし、虚像は見えども実物は見えない。なんだか大きな予感を胸に秘めて進むと、ある角に差し掛かった瞬間、さっき見えてきたものの5倍くらいの大きさの東京タワーがいきなり眼前に迫ってきた。うあー。遠くから見る東京タワーはかわいらしいけれど、近くで見る東京タワーは、なんか、えげつない。恐怖を覚えたわたしたちは、今度は東京タワーから遠ざかることにする。道路標識を見つつ、とにかく東京タワーから遠ざかれそうな方向に歩く。歩く。しかし、いつのまにか東京タワーは我々の真横に回りこんでいる。こわい。さらにすすむ、すすむ。麻布というキャッチーな地名が目に入ったので、とりあえずそっちを目標にして進む。しばらく東京タワーの姿が見えないので安心していたら、突如としてさっきよりさらに大きくなった東京タワーが現れた! どうやらうろうろしているうちに東京タワーを半周くらいしたようなことになったらしいのだけれども。東京タワーが追いかけてきたみたいでおそろしくこわかった。ずっと姿が見えているわけでなく、ある時突然目の前に現れるというのがなんともホラーだ。足が生えているとしかおもえない。麻布の真ん中を必死で突っ切って、東京タワーから逃げた。何度も振り返って東京タワーが追いかけてこないことを確認しつつずんずん進んだら、いつしか住宅街に迷い込み、ちょっと途方にくれた。ずっと前方に見えていた高いビルを目標にして、なんとか歩を進める。麻布十番駅にやっとのことでたどり着いた安堵感といったら! で、駅で地図を確認すると、さっきから我々が頼りにしていたビルが六本木ヒルズと判明。六本木ヒルズはわたしたちを東京タワーから守ってくれたんだ! というわけのわからない感動を覚え、今日の散歩の終着点は六ヒルにしようと決める。にょきにょき歩いて六ヒルらしき場所に到着。一部では有名な、スタバを併設したやたらおしゃれなツタヤらしからぬツタヤを発見。けやき坂のイルミネーションを眺めながら優雅にコーヒーを飲むことにする。をを、六本木がなんでえらいのかわかった気がするよ! で、イルミネーションと散歩中の犬と外人さんをすっかり堪能した後、大江戸線の六本木駅から無事帰路についた。
 今日は東京タワーの魔力のおそろしさを身をもって実感した日だった。東京タワーが発する電波は、人をふらふらとひきつけるおそろしい魔力を持っているのだ。東京タワーはのぼるもんじゃない。遠くからながめるものだ。近づきすぎてもいけない。距離感が大事なのだ。


 とまあ、二日にわたって行き当たりばったり散歩をしたわけだけど、東京散歩はほんとうにおもしろい。行き当たりばったりでも帰りに困らないし、きちんとおもしろい場所にたどり着ける。東京の懐の広さの勝利だ。
 あと、二日とも夜に散歩をして再確認したのは、夜景の威力。すごい。ロマンチックパワー全開だ。そりゃあデートだってしたくなっちゃうよ。こんなシチュエーションで口説かれたら落ちちゃうよ。一生に一度くらいしてみたい完璧なエスコートつきの夜景デートについて、Y女史と熱く語り合いながら歩いた。夜景デートというのは、どんな形であれとにかく夜景があればいいという広義なもの。今まで敬遠していたけれど、クリスマスイブに東京タワーの見えるホテルの部屋を予約、などというベタなことも、今ならきっと許せる。むしろされたい。うわー、考えただけでとろけてしまうな。東京タワーばんざい。


 ただの散歩がこんなに楽しいなんて。大人になってよかった。これはきっと子供とかの感性では楽しめない類のものだ。うんうん。

かえるぴょこたん。

2005-11-07 03:40:47 | 日記
 日記に対する気分がかわってきたからテンプレも変えてみる。具体的にどうかわったというのはまだよくわからないんだけど。外部に対してどんどん気持ちが閉じていくのを止められないことと関係しているかもしれないかもしれない? 
 鬱とは違うのだがな。なんだろうこれは。人としゃべらなすぎたか。まあ、仕事がはじまればかわるだろう。こんなこと言ってられなくなるだろうし。
 人生に対する肯定度が最近めきめき上がっている。生きてるだけでおもろいなぁ、とおもうことが多い。幸せなのかもしれない。けどやっぱよくわからない。不健全な心持のような気もする。

 木漏れ日がとても恋しい。晴れた日の散歩とか公園とか、ものすごく行きたくなる。一時的なことかとおもっていたけど、最近ずっとそうだ。気持ちはからりとかわいたさびしい気持ち。晴れた日に見える絶望に似ている。
 ところで、晴れた日に絶望が見える、というようなフレイズがどこかにあると記憶していたんだけど、検索してみたらおもったようなソースが出ない。わたしはどこでこの言葉を刷り込まれんだ?


 基礎化粧品がちふれと無印良品、というのは、どうなんだろう。高い化粧品も使ってみたいけど。お金をかければかけただけいいんだろうなぁーとおもう。けど、実際問題お金がないのである。社会人になったらデパートのカウンターとかで買ってみたい。
 今使ってるクレンジングがなくなったら、ドルックスに手を出してしまいそう。ああ、ドルックス。2ちゃんにたっているドルックススレの名前がなんかいとおしい。

 

人間関係の困難について。

2005-11-05 03:49:43 | 日記
 ラグナロクとかおもしろそうだけど。ミクシーなるものが流行ってるそうだけど。
 ネット上の人間関係って、最近おそろしい。昔はね、住み分けがもっとはっきりしてた。オンラインの知り合いはオンラインの知り合い。オフの知り合いはオフの知り合い、というように。でも、今はすべてが渾然一体となって、見境がないというか、人間関係の混沌が最先端技術に後押しされて、なんだかものすごいカオスを生み出しているような気がしてならない。わたしが人間関係苦手だからそう思うだけかもしれないが。あいまいな部分がなければ、人づきあいなんてとてもしてけない。発言がログとして残り、訪問の回数とかが数字ではっきり表示されちゃうような世界でまともに人間関係構築できるものかな? とまあ、まともに人間関係構築できないやつのひがみ根性なわけだが。人とつながっていたい気持ちはよくわかる。けど、つながったりつながらなかったりしたいわけであって、ずっとずーっとつながってたいわけじゃないよねみんな? それとも、一人の時間もたっぷり必要、というわたしみたいなのは少数派なのか。インターネットが時間も空間も越える力を与えてくれるから、そこで人間関係つくったら、もう「一人でいるための言い訳」ができなくなる気がしてこわい。うまく言えないがそういうことだ。多分、物理的な不可能、物理的に仕方がないこと、というものは、人間関係の上での強力なエクスキューズだったのだ。とおもう。それがなくなったらとおもうと、みんなよくも平気ですね、とおもう。仮病ならぬ仮故障とか使ってる人いそうだな。昨日ケータイの電波入らなくてさー、みたいな。
 昔々、某メーリングリストに所属してた頃にはもっと秩序があって、きちんと楽しかった。まだわたしが、人間関係をこわがってなかったからかもしれないけど。ああ、若かったなぁ。

好きなのに、

2005-11-01 00:49:15 | 日記
 福田さんがいない……。
 安部さんはあんまり好きくない。しかし国民の人気はダントツらしい。国民ってだれだ?


 今日、あまりの寒さにジャケット衝動買いした。前々からほしかったんだけど、それにしても寒くてもう今日買わなきゃ明日外出できないという危機感の元に買った。どうも寒さのせいで判断力が鈍った感もあるが、とにかく一つはないと寒くて外に出れないのだからどうしようもない。去年はどうしてたんだろうと考えてみたところ、多分妹のを借りパチしていたのだ。今年は貸してくれなかった。ケチ。
 それにしても、なんで一年中服がないんだろう。服がない服がないって言って、年中服買ってる気がするぞなもし。


 最高の話し相手、と、恋人、とは、兼任できないものなのだろうか。でも、どうやらそうっぽいな。そして、どうにも恋人より最高の話し相手(とか親友とか?)の方が地位(という言い方が正しいのかどうか、でもそんな感じ)が高いような気がするのは、多分セックスの有無に関係している、とおもう。どうがんばっても、女はそこに持ち込まれたら受身だし。支配されてる感がぬぐえない。負けてる感がぬぐえない。対等な尊厳を守るためには、そういうことをしてはいけないのだ。だから、本当に好きな人の彼女になるのはよくないことなのかもしれない。でも、それにしてもなぁ。非処女の処女に対する優越感、というのをどこかで見たが、それと似たような心理もまた生まれる気がするから、友達と、恋人と、どっちがいいかなんてやっぱり一概には言えない。
 わたしのように損な方へ考えるのが得意なやつは、どちらの立場になっても、もう一方に劣等感を持ってしまう。から、なんかやっぱりとても損してる気がする。考えないのが一番かもしれないけど、それでもやっぱり考えてしまう。こうなったら、一人で生きていくのが一番だ。にしても、女である以上、それは幸せでないのではないか。男だったら一人が許されるような気がするけど、女の幸せは「一人」というところにはないような気がする、なぜだろう。
 ということについて最近ぽつぽつ考えている。考えても詮無いことだとおもいながら。