ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

とりあえずいろいろ記録。

2005-11-19 02:25:04 | 日記
 能の発表会の話。
 わたしはこういうイベントが大嫌いだ。イベントに関してはシロートの集りなのだから、段取りが悪いに決まってる。段取りが悪いことほどストレスのたまることはない。
 おまけにのどが完璧に壊れてしまっていて、のど飴と水とマフラーを手放さずにどうにかだましだましって感じだった。
 でも舞台はすばらしかったわ。4年間の自分の成長をきちんと感じられたし。最後なんだーという感じはしなかったけど。あとからじわじわくるのかな。
 能は、シテの着付けから見ることができたのがとてもよかった。普段一緒に練習したり遊んだりしてる人々が、能楽師に囲まれて、どんどん綺麗な衣装を着せられてく。いや、着るというよりはかづくって感じか? そんな日本語使いたい。まるで、人じゃなくなっていくための儀式のようだ。長い女の髪のかずらを頭にいただいた瞬間、なんともいえずドキッとした。髪は女の命なのだ。間違いない。男の子に女の魂が宿る瞬間を見てしまった。2年前、先輩の着付けを見た時にもおもったことだが。着付けを見ているだけで泣きそうになった。
 能の本番も、今までにない感慨があった。自分の同輩および後輩がシテおよび子方をつとめるというのは、なんだかすごいことのように思える。今までは雲の上の先輩がさらに雲の上の上に行っちゃったなーという感覚しかなかったけど。一緒に地謡に入った後輩は、感極まって泣いていた。正しい反応だとおもう。
 ただ、4年間地謡をつとめてきたわたしとしては、過去3年間と比べてしまうわけで。単純に曲だけを見れば、今年の「船弁慶」より断然去年の「巴」が好きだったなー、なんて。さらに今年は仮説舞台だったから、本物の能楽堂でやるよりも感動はぐっと小さくなってしまった。残念。
 でもやっぱり特別だった。
 4年間最後、という感じはやっぱりしなかった。ただ、とても自然に、わたしの中で能がおわった。


 クラス会の話。
 小学校のクラス会。すでに一週間前の話だけども、一応記録。
 女の子は化粧するから印象変わるけど、でも中身はぜんぜんかわってないし、よく見れば外見だってあんまりかわってない。男子もほとんど変わってない。小学校も、あんまりかわってない。何年かぶりで中に入ったけど、見た瞬間にいろいろよみがえってくる思い出。夢の中によく出てくる校舎。おもわず写メを取りまくる。
 10年の時間の流れの力はすごい。小学校時代(あと、ほとんどの人とは中学も一緒だったから中学も)は、もっとも人とうまく接することができなかった時期だったから、クラスのほとんどの人は敵、少なくとも味方じゃないぐらいの気持ちでいたものだが、ぜんぜんみんなと普通にしゃべれる。なんのわだかまりもなく(まあ、当時からわだかまってたのはわたしの方だけだったのかもしれないけど)。女子はともかく、男子とそのようにしゃべれたのは驚きだった。しゃべった記憶もほとんどないような男の子と、二次会の飲みの席で盛り上がったりとか。すげーな。でも、これは10年の時間の流れがさせることで、これからずっとみんなで仲良く、という風になるかといえばそうはならない。それでいいとおもう。そんなものだとおもう。
 小学校2年生の時、男の子二人と近所の公園に宝物(ビービー弾)を埋めたらしい。ぜんぜんまったく覚えがないのだけれども、その二人の中では語り草になっているそうな。記憶っておもしろいな。記憶の取捨選択っていつ誰がしてるんだろう。


 八周年の話。
 プレゼントも記念品もなく、おしゃれディナーもない一日。昼まで寝てて、地元では有名な中華屋さんで朝昼ごはんを食べたらおなかがいっぱいになったから、夕飯食べずに解散。はっきりいってだらっだら。でも、ここのところの二人のあり方を反映していて、ある意味とてもいい記念日(正確に言えば前日だったけど)の過ごし方だったような気がする。だらだらが一番幸せです。