ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

連投。

2005-11-21 16:38:01 | 日記
 今日の発見。
 わたしは結局同じところをぐるぐる廻っている!

 まあ、これを発見するのも何十回目かなんだけど。
 卒論のためにはまず部屋を片付ける! すっきり! とおもって部屋の片付けなんて始めちゃったら昔の日記やらもらった手紙やら読み始めてしまった(セオリー通り!)

 わたしの幸せに関する見解は昔からちっとも変わってない。で、今度こそ! 今度こそ! と決意するのにそのたびにいつのまにか挫折して、振り出しに戻って、喉元過ぎた頃にまた「今度こそ!」と思う。なんともかわいらしい生き物じゃないか。
 今、人生で何十回目かの「今度こそ!」なわけだ。もう、なにがなんだか。
 とにかく、いつだってわたしは幸せになりたいのさ。

 卒論をやれ。


お散歩大臣の憂鬱。(卒論編)

2005-11-21 14:42:56 | 日記
 不安でガクガクブルブルしている時にかぎってブログがメンテ中で書き込みできなくてストレスのやり場に困った挙句に真昼にお風呂でドストエフスキー読んだり夜の大久保を徘徊したり一日15時間以上寝たりレンタル開始して速攻借りてきたハウルを連続3回見たりしている卒論人間って別にわたしだけじゃないよね(すでに記憶がごっちゃごちゃで時間軸がぶれまくっているが、まああながちウソは書いてない。順番ばらばらだが一応上記のこと全部やった)。
 そつろーんーー。

 この前、すごく久しぶりに空を飛ぶ夢を見た。狭いベッドで寝て体がキシキシだったからかもしれないが、この手の夢は大抵強迫観念の現れである。昔は毎日のように見ていたが、最近は本当に全然見ていなかった。超久しぶりで懐かしい感触だった。空を飛べるから自由というわけではなく、むしろなかなか思うように飛べないからストレスが溜まるんだけど、それにしても、空の上ではいつも一人なので、その点とてもすがすがしい。

 幸福と不幸に振れる振り子の幅はいつも一定、という人生の法則を発見してから、できるかぎり振れ幅の少ない人生を生きたいと考えていた。そして、だんだん振れ幅を小さくしていくことに成功し、今ようやくほとんどどっちにも振れてない状態になってるとおもう。ただ街を歩くだけで楽しいとか、幸福にも不幸にもぎゅんぎゅん振り子が振れてた時には見落としてたものに目が行くようになった。このまま、もっともっと心を平静にして、振れ幅が完璧にゼロになり、心の湖の水面が一点の曇りも無い鏡面のようになったら、一体どんな日々がわたしに訪れるのだろう。世界平和かな。

 そのためにはまず卒論をやっつけなければならない。そつろーんーー。
 今日はさすがに手をつけないとだめだという自覚があるので、これからやる。最近見つけた気に入りのお散歩スポットを堪能しつつハウルをビデオ屋さんに返しに行ってそのついでにハガレンの新刊を買うというビッグイベントを鼻先にぶらさげたまま自分がどこまでがんばれるのか見ものだ。もうすでにくじけそうなんだけど。お散歩したいよー。ハガレン読みたいよー。