ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

クレしんの映画はなんでこんなに出来がよいのだか。

2005-10-17 02:17:41 | 日記
 不安を手なずけるのはだいぶ得意になったが、根本的に解消することができないので、きっかけさえあればあふれる。でも、あふれたところで源泉は健在だから、あんまり意味はない。その場だけでもすっきりする、ということすらない。なんか、こんな日はむなしいね。どれだけ泣いても、次の日の朝には、なかったことにされるんだ。わたしの想いはまったくの無駄なのだ。泣いても意味がないのだとおもうとさらに泣けてくるのだからダメスパイラルだ。

 すべて自意識の過剰が原因という気がする。周り中に手当たり次第に感じている劣等感はたぶん裏返せばどこかで卑屈な優越感につながっているし。怖がるのは本当は傍に寄りたいからだし、好かれたいから嫌うのだ。人との距離感がつかめん。外に出るのはやはりこわい。意味のないことのようにもおもわれるし。ベッドの上から一歩も出ずに一日過ごすことと、外を動き回り人と会ったりしゃべったりすることに、どれだけの差があるのだか。誰かと一緒にいたいんだけど、人間には軽く絶望している。

 クレヨンしんちゃんの映画は無駄に出来がいいなぁ。ドラえもんとかルパンもこれくらいクオリティ高ければいいのに。来年のドラえもん映画、見るのこわいなぁ。あの声に耐えられるだろうか。大問題だ。その頃にはわたしも社会人か。おお。