ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

参宮橋賛歌。

2005-10-28 02:52:36 | 日記
 価値とは信じることだ。
 わたしの中で、言葉の価値が日々低下していく。じゃあ何を信じて生きていくのだろう。


 小学校のクラス会があるらしい。一学年一クラスしかなかったから同期会でもある。私立の人以外は中学もみんな一緒。だから割と思い出が濃い。
 いじめとまではいかないが、それなりに迫害をうけた記憶がある。ヲタ的な人間には人権がなかったのである。まあ、友達がいたので、そんなに深刻じゃなかった。それが当たり前で日常だった。わたしの中の卑屈の芽は、このあたりからニョキニョキと確実に育っていたのだ。だので、会うのがちょっとこわい人もいる。けど、さすがに小学校は10年前だ、年月の浄化作用を信じてもいいだろう。みんなが今なにしてるのか、という好奇心に勝てない。

 で、なつかしーなーとおもっていたら、今日は駅でまったく偶然ばったり高校の友達に会った。会うのは教育実習以来。うひゃーひさしぶりー超奇遇ーなどと言い合う。またみんなで集りたいねーむしろ集めてよーなんて。高校は小・中学校以上にトラウマの温床みたいなところだったけど、実習に行ってだいぶ漂白された感じがする。もうこうなったらとことん傷口をえぐってみたい気もする。社会人になるという一区切りの前に。こんなに懐かしいことが一気に起こるなんて、なんらかの神様のおぼしめしなのではないか、なんて。
 いつまでも人間怖がってたってしょうがないよ、とか。
 それにしても、離れてみると、つくづく学校というのは異常な場所だよなぁ(大学は、なんかちょっと違うけれど)。あんな狭い場所にあんな人数が毎日毎日通い続けていたなんて、なんか密度が濃すぎて今なら絶対耐えられそうにない。元気なうちに通っといてよかった。


 少し前のことになるけれど、月曜日に父と母と三人で代々木公園に行った。秋晴れで、まったくピクニック日和だった。芝生のすぐそこが噴水、というロケーションがえらく気に入って、そこでひるごはんを食べることにした。オリジン弁当参宮橋駅前店で好きなおかずをごっそり買い込んで、噴水のそばに新聞紙をひいて、マイナスイオンを感じながらごはんを食べるのは、おもった以上にエンターテイメントで楽しかった。食べ終わってから、しばらくぼーっとそこにすわっていた(父は寝転んでいた)。われらと噴水の間にはバカップルが座り込んでいて、ものすごい勢いでイチャイチャしており、母は「死ねばいいのにー」と言った。犬がたくさん通りかかった。大きいのも小さいのも。
 なんてすてきな家族の時間だろうね。空は完璧に近いくらいきれい。東京に空がないというのは間違いで、東京だからこそ空は貴重で、なんかすばらしいのだ。
 おばあちゃんが死んでから、いつか家族はばらばらになるのだというおごそかな変えようのない事実が胸のどこかにいつもあるから、家族でいるということが当たり前じゃなくてすごくいいことなんだと、なんかしみじみおもってしまったことだよ。ほんとうに。
 それにしても参宮橋はすてきなところだ。休日に当たり前のように公園で本が読めるだろうし、閑静な住宅街で見上げれば間近に高層ビルって、なんだかテンションの上がる立地だ。わたしはうさぎを追う山でも小鮒を釣る川でもなく、高層ビルにこそふるさと感を感じる子だから、これはなんだかとても落ち着くことなのだ。いつか住処にしたいのう。いかにも家賃高そうだけども。