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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

数珠を手にし、生きさらばえる

2006年01月18日 | 文化・創作・メディア
証人喚問の後でヒューザーの社長が涙ながらに「死んでお詫びをするのか、生きさらばえて...」と言っていたから、何と仏教的な境地よと思ったら、なんと数珠を手にしたまま国会に来ていたのだった(証言の間、ずっと握っていた)。ブラックなスーツに数珠では、殆ど葬式だ。

#くれぐれも、前向きに生きて欲しいとは思うが、境地がおかしい。付き合いきれない人である(他人だけど)。

追記:さすがに聞いた記者がいて、数珠やブラックタイ・ブラックスーツは、11月24日に自殺した森田設計事務所代表の建築士森田信秀氏(日刊スポーツ2005/11/27)に対する弔意であるという。しかし11月29日の参考人質問では、ごく普通のビジネススーツだった。

そういえば「生きさらばえ」の用法はあるが、気になって辞書で調べたら見つからない。「さらばえる」は元は「さらぼう」で、元を辿れば「さる」、漢字を使って書けば「曝る」だ。

雨露にさらされて骨だけとなるの意だ(「曝される」が思い出される)。骨となるなら、死んでいるので、「生き」と結びつかない。もっとも、口語的には「生きさらばえる」は、死んだも同然のように生きること、という意味だと思われる(多分、最近の誤用か…未確認…「生き恥を晒して...」という言葉から連想したのかな)。辞書に載っているのは、素直に「老いさらばえ」「痩せさらばえ」だ。老いたり、(病的に)痩せ細る様なら、「さる」と素直に結びつく。

風雨に曝されて骨となる様は、非常に仏教的世界だ。特に中世的な終末思想を感じさせる。当時は野捨てが一般とも言うが、遺体が時間の経過で骨となっていく様は、ある種、浄化の過程でもある。餓鬼草子の世界だ。

ついでに、「さらぼう」に「雨露」と「露」がつきまとうので、何でかと思ったが、徒然草の「あだし野の露」が元なのだろうか。「雨露」をしのぐのは、家の基本だ。

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