脱亜論とは何なのか。これは日本人が抱えた課題だ。あるメルマガにこんな文章があった。
そんな事じゃないよと思う。特に、中韓だけは違うのだ。日本は、相手を仲間だと思い、共感し、大陸の人々と交流し、助けようとして、巻き込まれていったのだ(主に大陸浪人的なスタンスを指す)。朝鮮/韓国にも、中国にも、近代化を目指す連中がいたし、国を危うくする勢力との抗争で、日本は近代化勢力に肩入れする形になった事が多かったのだ。友と手を結べば、友の敵を敵に回す。ミイラ取りがミイラになったようなものなのだ(ちょっと違うけど)。関与がエスカレーションし、そんな事の繰り返しが、とうとう占領までいってしまったのだ。動機は善意だし、余計なお世話(文明の押し付けともいう)だし、それに日本の誇りや経済的利益が絡んでいった。
福沢諭吉も、最初はアジアへの共感を抱き、途中で、その抜き差しならない、どうしようもなさに気づいたのだ。脱亜論(原文)自体は、「悪友を謝絶する」が主旨だった。脱亜論は、「朝鮮独立党の処刑」を踏まえないと理解できない。この時、独立党が失脚し、事大党に敗れていたのだ。そう、福沢は独立党を支援していた。つまり、いわば革命の輸出を行おうとしていたのだ。そして夢が潰えた。アジアに友を見出し、手助けしようとする、まさに友情の行為が、友の敵を敵に回すことになる。それだからこそ、悪友と謝絶という話になったのだ。
ここから汲み取るべき教訓の一は、中韓に好意的に関与する事のリスクだ。中韓には、中韓の流儀がある。そこに、彼らの自身の近代化を作り出してもらうしかない。彼らの内部の問題に、日本が直接できることはない(善意の直接関与が、入亜論だと思う)。留学生を受け入れ、近代文明原理を広めるぐらいが、関の山である。福沢は、入亜を経験し、挫折して、脱亜を説いたのだ。手を結べる相手はいないと。
現代日本において脱亜が意味するのは、中華思想の世界とは、友人でも親戚でもなく、純粋に経済的に付き合いなさいという事だ。そのスタンスは、アメリカとそっくりでいい。だからこそ、日米同盟に合理性があるのだ。これは、日本が20世紀に学び取ったはずの、地政学的宿命だ。
長屋住まいの子が同じ長屋の仲間と遊ぼうとせず、屋敷町に住んでいる上品な少年・少女の仲間入りしたがっているようで...
そんな事じゃないよと思う。特に、中韓だけは違うのだ。日本は、相手を仲間だと思い、共感し、大陸の人々と交流し、助けようとして、巻き込まれていったのだ(主に大陸浪人的なスタンスを指す)。朝鮮/韓国にも、中国にも、近代化を目指す連中がいたし、国を危うくする勢力との抗争で、日本は近代化勢力に肩入れする形になった事が多かったのだ。友と手を結べば、友の敵を敵に回す。ミイラ取りがミイラになったようなものなのだ(ちょっと違うけど)。関与がエスカレーションし、そんな事の繰り返しが、とうとう占領までいってしまったのだ。動機は善意だし、余計なお世話(文明の押し付けともいう)だし、それに日本の誇りや経済的利益が絡んでいった。
福沢諭吉も、最初はアジアへの共感を抱き、途中で、その抜き差しならない、どうしようもなさに気づいたのだ。脱亜論(原文)自体は、「悪友を謝絶する」が主旨だった。脱亜論は、「朝鮮独立党の処刑」を踏まえないと理解できない。この時、独立党が失脚し、事大党に敗れていたのだ。そう、福沢は独立党を支援していた。つまり、いわば革命の輸出を行おうとしていたのだ。そして夢が潰えた。アジアに友を見出し、手助けしようとする、まさに友情の行為が、友の敵を敵に回すことになる。それだからこそ、悪友と謝絶という話になったのだ。
ここから汲み取るべき教訓の一は、中韓に好意的に関与する事のリスクだ。中韓には、中韓の流儀がある。そこに、彼らの自身の近代化を作り出してもらうしかない。彼らの内部の問題に、日本が直接できることはない(善意の直接関与が、入亜論だと思う)。留学生を受け入れ、近代文明原理を広めるぐらいが、関の山である。福沢は、入亜を経験し、挫折して、脱亜を説いたのだ。手を結べる相手はいないと。
現代日本において脱亜が意味するのは、中華思想の世界とは、友人でも親戚でもなく、純粋に経済的に付き合いなさいという事だ。そのスタンスは、アメリカとそっくりでいい。だからこそ、日米同盟に合理性があるのだ。これは、日本が20世紀に学び取ったはずの、地政学的宿命だ。