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世界の覚書

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脱「入亜」論としての脱亜論

2005年05月12日 | 地政学
脱亜論とは何なのか。これは日本人が抱えた課題だ。あるメルマガにこんな文章があった。
長屋住まいの子が同じ長屋の仲間と遊ぼうとせず、屋敷町に住んでいる上品な少年・少女の仲間入りしたがっているようで...

そんな事じゃないよと思う。特に、中韓だけは違うのだ。日本は、相手を仲間だと思い、共感し、大陸の人々と交流し、助けようとして、巻き込まれていったのだ(主に大陸浪人的なスタンスを指す)。朝鮮/韓国にも、中国にも、近代化を目指す連中がいたし、国を危うくする勢力との抗争で、日本は近代化勢力に肩入れする形になった事が多かったのだ。友と手を結べば、友の敵を敵に回す。ミイラ取りがミイラになったようなものなのだ(ちょっと違うけど)。関与がエスカレーションし、そんな事の繰り返しが、とうとう占領までいってしまったのだ。動機は善意だし、余計なお世話(文明の押し付けともいう)だし、それに日本の誇りや経済的利益が絡んでいった。

福沢諭吉も、最初はアジアへの共感を抱き、途中で、その抜き差しならない、どうしようもなさに気づいたのだ。脱亜論(原文)自体は、「悪友を謝絶する」が主旨だった。脱亜論は、「朝鮮独立党の処刑」を踏まえないと理解できない。この時、独立党が失脚し、事大党に敗れていたのだ。そう、福沢は独立党を支援していた。つまり、いわば革命の輸出を行おうとしていたのだ。そして夢が潰えた。アジアに友を見出し、手助けしようとする、まさに友情の行為が、友の敵を敵に回すことになる。それだからこそ、悪友と謝絶という話になったのだ。

ここから汲み取るべき教訓の一は、中韓に好意的に関与する事のリスクだ。中韓には、中韓の流儀がある。そこに、彼らの自身の近代化を作り出してもらうしかない。彼らの内部の問題に、日本が直接できることはない(善意の直接関与が、入亜論だと思う)。留学生を受け入れ、近代文明原理を広めるぐらいが、関の山である。福沢は、入亜を経験し、挫折して、脱亜を説いたのだ。手を結べる相手はいないと。

現代日本において脱亜が意味するのは、中華思想の世界とは、友人でも親戚でもなく、純粋に経済的に付き合いなさいという事だ。そのスタンスは、アメリカとそっくりでいい。だからこそ、日米同盟に合理性があるのだ。これは、日本が20世紀に学び取ったはずの、地政学的宿命だ。

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2 コメント

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『福沢諭吉の真実』の作者です (平山 洋)
2005-05-30 11:33:35
福沢諭吉の論説「脱亜論」の解釈について、私もほぼ同様の理解をしております。ただし、福沢の意見が120年後の現在もなおまったく同じように妥当するかどうかについては、一定の保留を付けたいと思います。
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また考えてみます (worldNote)
2005-05-30 13:42:12
コメントを頂き恐縮です。『福沢諭吉の真実』を読んで、また考えてみます。
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